「闘病と共存」
ミステリと言うなかれというドラマのエピソード4
病室の隣人の夜語りという回の中で「闘病」についてこんなセリフがあった。
「どうして闘病って言うんだろう。闘うと言うから勝ち負けがつく。勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、負けたから死ぬんですか?そんなことはない。勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。その時点の医療が負けるんです」
僕もこのセリフに共感を覚える。
闘病という言葉にどこかしっくりこなかったからだ。
がんに負けるということは、死ぬということ?
がんになっても、たとえ余命を宣告されても、その日がくるまで人生は続くのに、
それを闘いの勝ち負けの一言では、僕の人生は語れないと思ったからだ。
勝ち負けにこだわり、一生懸命に治そうとするとよけいに苦しい思いをしたり、痛い思いをしたあげくQOLが低下し、人生が楽しくなくなり、寿命を縮めることになる。
病も僕の一部だと考えることができるようになってから自分の体を愛するように、慈しむという治し方もありだなと思うようになってから、ピンと張り詰めた糸が少し緩み、これからはがんと共に生きていこうと決めたことを思い出した。
もしかすると、安易に勝敗や善悪など白黒決めすぎる余り
大切なことを見誤ることもあるのかもしれない。
例えば、うまく病と共存することを考え、焦らずゆっくりと前向きに生きていくという生き方や西洋医学も東洋医学も体質改善も、できることをその都度選択するバランスの良い生き方には、もっと人生に余裕があり、そこに勝敗などないように思える。
ただ、このセリフに対して、「『病と闘うぞ』という’’気持ち’’も大事なんだよ。
その気持が必要な時もある」と返した言葉の真意もまた深く感じた。
この気持ちは「覚悟」のことだと僕は思った。
僕の生き方(闘病生活)に勝ち負けはなく、病と共存する
具体的な3つの目標を持って生きていこうと決めた覚悟がこれだった。
①病気に学び、心身の声をよく聴く
②命に責任を持ち、自ら選択する
③人生を楽しむ
「あなたはがんです」と言われたときから、突然はじまる闘病生活で一番大切なことは、がんに勝つか負けるかなんかではないと思う。
これからどのように生きていきたいのか、そのためにはどうすればいいのか自分で判断すること、そして、過度に恐れず、楽しく望むままに、今日明日と一日一日を精一杯生きていくという覚悟を胸に前へ進むことだと改めて思い出させてくれる良いセリフだった。