疲労が趣味と心を食い散す話
趣味に心血を注げなくなってきた。
趣味のことは好きだ。今でも。
仕事中には趣味の時間が楽しみであれもこれも、と欲張りだ。
仕事を終えて帰宅後、様々を特急で済ませる。
一通り終えて、PC前の椅子に座る。
ふうと一息ついて、PCに電源を付ける。
起動を待つ。
パスワードの入力を待つ画面を眺めて、思う。
あー!もう、めんどくさい。
この時間のために頑張ったのにな。
時間の確保に力を使い果たして、本来の目的よりも休息を求めてしまう。
動けない。動きたくない。
あ~、本当にめんどくさい。
瞼が重い。閉じちゃいたい。
抗うことで不快感になった疲労は、瞼を閉じた途端に心地よい眠気となる。
眠気が襲ってきた時に床に就けた睡眠ほど、気持ちの良いものはない。
気持ちの良いはずの朝、胸には虚無を包む喪失感がある。
また、昨日の夜も楽しめなかったな。何もない。
疲労に全部食い散らかされて、綺麗。
朝を迎えた私はパスワード入力画面を眺める同じ目つきで、綺麗に空っぽになった夜を眺める。
睡眠7時間の疲労感のない体と、すっきりした脳内と、喪失感。
睡眠4時間で疲労が残る体と、日中睡魔と戦い続ける道と、少しの獲得。
どちらが幸福なんだろうな、とよく考える。
日本の人間には、三大義務が課せられている。
義務を果たせば権利があると思っているけど、本当は逆なんだと思う。
「生まれながらに生きる権利が与えられているんだから、ありがたいでしょ。義務を果たしなさい。権利だけ貰って義務を果たさないこと、勝手に命を捨てることは許されていません。生きなさい。」と言われているような気分になる。
義務果たしマシーンですか、私は。
生きるためには、お金が必要。
お金を得るには、労働。
労働するには、労働の土俵に立つためのそれらしい身なりと健康な体が必要。
身なりと健康な体は労働じゃないから、プライベートの時間を充ててね。
はあ。
はああ。
5000兆円ほしい。
日本人、金と時間と心の余裕のなさは異常。
せめて、毎晩趣味ができるくらいの小銭と自由な時間をくれ。
こんな虚無な日々、生きている意味があるんかね。
自分から死ぬ理由も特にないし、「そうだ、死のう」とかはないけど、じゃあ心は?
心は生きていますか。
疲労に食い散らかされていませんか。
有休5000日ほしい。
体が生きていれば、心は死んでいてもいい風潮、そろそろどうにかなりませんかね。
注げるほどの心と血、返してくれませんかね。