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AI副業

一郎は35歳、中小企業の営業職として日々働くごく普通のサラリーマンだ。妻の美咲とは結婚して10年目。二人は質素ながらも穏やかな生活を送っていたが、経済的な余裕はあまりなかった。

ある日、一郎は同僚から「脳にチップを埋め込んで計算能力を提供すると、副収入が得られる」という話を聞く。

「生活に支障はないし、収入が増えるなら試してみる価値はあるかもね」と同僚は言った。一郎は家計の安定を望み、その提案に心が揺れた。帰宅後、美咲に相談すると、彼女は一瞬驚いた様子を見せたが、「あなたがそうしたいなら、私も応援するわ」と微笑んだ。

数日後、一郎はクリニックでチップの埋め込み手術を受けた。手術は短時間で終わり、医師からは「これまで通りの生活を送ってください」と言われた。

チップの埋め込み後、一郎の生活には変化が訪れた。毎月の副収入が増え、家計は一気に楽になった。美咲は新しい家具を選び、週末には二人でドライブに出かけるようになった。レストランでの食事も増え、生活の質が向上していることを実感していた。

職場でも、一郎はこれまで通り真面目に働いていた。同僚たちとの関係も良好で、新しいプロジェクトにも参加していた。しかし、彼は時折、頭の中に霧がかかったような感覚を覚えることがあった。それは一瞬で消え、彼は「少し疲れているのかもしれない」と自分に言い聞かせた。

休日になると、一郎は以前楽しんでいた読書やジョギングを控えるようになった。代わりに、ソファに座ってテレビをぼんやり眺める時間が増えた。美咲が「今日は公園に行かない?」と誘っても、「今日は家でゆっくりしようかな」と答えることが多くなった。

美咲は最初こそ心配したが、「仕事が忙しいから仕方ないわね」と自分に言い聞かせた。彼女自身も、新しい家電やファッションに目を向けることで日々を過ごしていた。

ある日、一郎は職場で新しい企画の提案を受けた。しかし、なぜかその話に心が躍らない自分に気づいた。以前なら「ぜひ挑戦したい」と意欲を見せていたはずなのに、今回は「必要ならやりますよ」と淡々と答えた。

同僚から「最近、落ち着いてるね」と言われ、一郎は「そうかな?」と首をかしげた。自分でも説明できない感覚に戸惑いを覚えたが、深く考えることはなかった。

テレビでは、AI技術の進歩による世界の変革が次々と報じられていた。難病の治療法が開発され、環境問題も改善に向かっている。しかし、一郎はそのニュースを見ながらも、遠い出来事のように感じていた。画面の中の映像は鮮やかで、解説者の声は希望に満ちているが、自分の日常とはどこか隔たりがあるように思えた。

美咲もまた、友人たちとの会話で新しいレストランや旅行先の話題に花を咲かせていたが、帰宅後には静かな時間を過ごすことが増えた。趣味だったフラワーアレンジメントの道具も、最近は手に取っていない。

ある日の夕暮れ、一郎はベランダから街の風景を眺めていた。オレンジ色の空を背景に、高層ビルの窓が次々と光り始める。車のライトが川のように流れ、遠くから聞こえる街の喧騒が微かに耳に届く。

一郎は深呼吸をし、頬を撫でる風を感じながら目を閉じた。心の中に小さな波紋が広がるような感覚があったが、それが何なのか言葉にできなかった。

「夕食ができたよ」と美咲の声が背後から聞こえた。一郎は振り返り、柔らかな笑みを浮かべて「今行くよ」と答えた。

食卓には美味しそうな料理が並び、二人は穏やかな時間を過ごした。美咲が「今日は会社で何かあった?」と尋ねると、一郎は「特に何もないよ。いつも通りさ」と答えた。美咲も「そう、よかったわ」と微笑んだ。

夜、ベッドに入った一郎は、天井を見つめていた。微かな眠気が訪れる中、彼は手を伸ばして隣で眠る美咲の髪に触れた。その感触に安心しながらも、心の奥底で小さな波が揺れているように感じた。しかし、やがて瞼は重くなり、静かな眠りに落ちていった。

窓の外では、街の明かりが静かに瞬いている。遠くのビル群は薄い霧に包まれ、幻想的な風景を描き出していた。その中で、人々はそれぞれの夜を過ごしている。

朝日がカーテンの隙間から差し込み、一郎はゆっくりと目を覚ました。隣を見ると、美咲は既に起きているようだった。彼はベッドから起き上がり、リビングへ向かった。

「おはよう。一郎さん、朝食できてるわよ」とキッチンから美咲の声がした。

「おはよう」と一郎は返事をし、テーブルに座った。トーストの香ばしい匂いと、淹れたてのコーヒーの香りが部屋に広がっていた。

「今日の予定は?」と美咲が尋ねる。

「特にないかな。ゆっくり過ごそうと思ってる」と一郎は答えた。

「そう。じゃあ、一緒に散歩でもしない?」と美咲が提案した。

一郎は一瞬考えた後、「うん、いいね」と頷いた。

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