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「我慢」と「根性」って必要?

私は自分のことを「精神的に脆いタイプ」と思っている。が、周囲からは「ストイック」「我慢強い」「根性がある」と思われている。

そりゃそーだ。一度決めたらとことんやる。諦めが悪く執念深い。中途半端が嫌い…的な行動が多いからね。

でもね、コレ、我慢とか根性とか関係ないですから。何も考えず、ただ同じことを繰り返してるだけですから。そもそも我慢と根性って何?って思うんだよね。

日本の戦後教育の賜物、「我慢」と「根性」。「欲しがりません!勝つまでは!!!」ってか。

我慢と根性とは、結局「耐え忍ぶ力」なんだろうけど、そもそも耐え忍ばなきゃいけない世の中ではなくなっているのに、それ必要?って思う。むしろ耐え忍ぶ前に、耐え忍ばなきゃならない状況を解決しろよ!って話だよね?

私の、他人よりも物事に固執して継続する力は、部活動経験にあると思う。「根性がつくから」と無理やり入れられた運動部がバカみたいにハードな部だった。現在だったら大問題なことばかりで、指導者からの暴力は当たり前、筋トレやシゴキ(死後やね…)はぶっ倒れるまでされたことも多々…。

だから少々の体力面での辛さや面倒臭さは経験値内なわけで、別に根性出しているわけでも無いし、我慢は多少はあるかもしれないが、むしろ、途中で止める勇気や代替案を出す知恵の方を持ち合わせていないだけなのだ。

毎日嫌々ランニングをする。何故か不意に3月頃より始めてしまったランニング。。。一日5キロを雨の日以外走る。正直、走るのは嫌いだ。だが、途中で止める勇気がない。走っている間は「はー、しんど。止めたいな~止まりたいな~何で走り始めちゃったんだろ…。やめた~い。」ばっかりである。我ながら難儀な性格だと思う。


人生は時にして有限なんだから、我慢とか根性出さずにやりたいことをどんどんやったら良いと思う。やりたいことをやってるときは我慢してやってるわけでも根性出してるわけでも無いよね、好きでやってるんだから。やりたくてやってるんだから。例えば、眠たくてもやりたいことの為に眠気を押して作業している時は「我慢」「根性」ではなくて「頑張り」なのだ。

「我慢」「根性」が必要な時ってさ、他に選択肢が無いようなどうしようもない状況下だと思うんだけど、それって正に戦時中とか災害時とか、とにかく非常時にしか発動しない。

今、コロナによって自粛が徐々に解除されつつある中でも、STAY HOMEをより楽しくしよう的な風潮がある。もう、我慢するくらいなら楽しく満喫しよう的な発想が主流だ。それが可能な世の中なのだ。選択肢はいくらでもある。

我慢や根性なるものが必要とされるのは非常事態に陥った時だけだ。例えば遭難したとか、食糧供給が何らかの原因でストップしたとか…まぁ、よほどでなければ使う場面は少ないと思う。そんな来るか来ないかも分からない局面を想定して、日々我慢強い自分、根性がある自分をこさえてどーする。耐え続けれたからって何?

辛い時間が長引くだけ人生損じゃない?

我慢や根性って聞こえはいいけど、アタマ使ってないように見える。選択肢はいくらだってあるのだ。苦行、苦境から「逃げる」のではない。捉え方次第。アタマ使ってよりよい環境に身を置く。どうすればそのような環境を作ることができるか、考える・調べる・試してみる…情報はそこら中にある。

学校再開にあたって、いじめにあう恐怖にさらされている人、続く不況に耐えるしかないと思っている人、私が我慢すれば丸く収まると自己犠牲を払う人・・・考えよう。頭を働かそう。我慢や根性で自分を苦しめることなんてない。

今の日本に「我慢」「根性」はいらない。必要なのは「しこう(思考・試行)力」だ。そんな風に思うのは私だけだろうか。

今日は、有酸素運動の仕方を変えてみよう。


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