もう一人の…
呼ばれる。
静かに微かに、名を。
『…ぎ…』
あたしの声に、とてもよく似た声色で。
『…麻樹…』
最初は夢の中、だった。
けれど、今は、どこまでも追われるように、現実に…
『…麻樹…
…今度は……が…生きる……』
「…ぎ?…麻樹!」
呼ばれて意識が現に戻る。
「保…?」
「どーした?ぼんやりして。寝不足?」
心配そうな保の表情を見て、安堵する。
「ううん、何でもない」
気のせい、だから。
自分の声が自分を呼んでいる、何て。
「そっかー?」
保はまだちょっと訝しんでる様子。
あたしは努めて、明るい声で、
「それより、さ。
今日の帰りはどうする?」
今日はあたしの誕生日。
幼なじみの保とは、何となく毎年一緒にお祝いしていて。
今年の春に、お互いの気持ちを確認して付き合うようになってから…
初めての、誕生日。
「…ん。Groovyで飯食ってこ」
何だか少し照れたような保を見ていると、あたしまでドキドキしてしまう。
『…麻樹…』
「…!」
また、呼ばれた。
今度ははっきりとした声で。
まるで、隣りから話しかけられたように…
「麻樹?」
どちらが現実の声?
保が?
あたしに似た声の方が?
ふわっと意識が浮遊する。
「麻樹!!」
呼ばれる声に吸い寄せられるように…
『麻樹…』
あたしは、保の心配そうな顔を見た直後に、ふつりと、意識を失った。
『…ぎ…』
ん…
また、あの声、だ。
『麻樹…』
執拗にあたしを呼び続けている。
暗い靄のかかった、澱んだ空気の重い、場所。
足元から冷えるように冷たい。
ここ、は…?
『麻樹…』
すうっと近付く人影の輪郭が、少しずつはっきりとしてきて。
あたしの、意識も。
『麻樹』
そう、あたしを呼んでいたのは…
紛れもない、あたし自身…!?
『ねぇ…覚えてる?麻樹』
もう一人のあたしは、ゆっくりと側に寄り、あたしの髪をそっと優しく掬う。
『あたしたちは、双子だったの』
…双子?
あたし、が…?
そんな話、聞いたことも、ない…
『知らないわね、ふふ…』
『普通の双子じゃない。シャム双生児だったのよ?』
シャム双生児…?
『二人の胎児の身体が、いびつに重なっていたの』
以前、ニュースで聞いた言葉、映像が、遠い記憶としてうっすら蘇る。
『そのままでは、二人共が育つ見込みがなかった。だから、二人を切り離す手術を受けたの』
淡々と告げる『あたし』の声には、何の感情も感じられず…
『完全に肢体が揃っていなかったあたしには、生き残る選択肢さえなかった』
あたしの身体のあちこちに残る、大きな幾つもの痣…
幼稚園でからかわれ、泣いていた時、その相手を殴って叱られていた保。
『…覚えてなくても、心当たりは、あるわね?』
母が肌身離さず身に着けているペンダントのロケットの写真。
どんなにせがんでも、決して見せてはくれなかった…
『ずっとずっと、あたしは麻樹を、見ていたわ…』
『あたし』の冷たい手が、あたしの頬に、触れる。
『ねぇ?麻樹は、16年も生きて楽しめたでしょう?』
『あたし』の眼光が、暗く鋭く光り、あたしを見据える…
あたしの身体は、
動け
ない…?
『交代よ。今度はあたしが、生きる番…』
『あたし』があたしに、口付ける。
抵抗も出来ぬまま。
頭が酷く痛み、まるで、身体から全てを引き剥がされるような……
『…さようなら、麻樹…』
「…さぎ…、麻樹!?」
見上げた天井が眩しくて。
心配そうに見下ろす人の顔が、逆行ではっきり見えない。
「気付いた?」
深い安堵のため息をつく、この人を…
あたしは、誰よりも、知っている。
「保…?…あたし…」
「教室でいきなり倒れるからさ。マジびびったわ」
言いながら、軽く頭を掻く仕草。
「…心配かけて、ごめんね?ありがと」
そう言いながら、あたしは保の右手に触れる。
「…帰ろっか?」
ギュッと握り返される。確かなこの感触と温もり。
これは、現実…
「ん。行こ♪」
自分の足で立ち、歩く。
ただそれだけが、素晴らしく。
そして。
隣りには、保が、いる。
…さようなら、麻樹。
あたしは振り返りはしないまま。
けれど確かに気配を感じる。
背後の麻樹に別れを告げた。
今日からあたしが麻樹として、生きてゆくのだから…