通信小説 ビートルズとともに始まる 第4話予告編「再びチャップマンがやって来る! ビートルズとともに団結の時が始まる!」by Terry Holiday
「アメリカは自由の国です。武器を保持する市民の権利を侵害してはならないのです。銃規制の有無に関わらず、暴力と犯罪は排除されないでしょう。武器を誤用することが問題なのです」
1981年3月30日、ジョン・レノン銃撃事件に続くように、アメリカ大統領ロナルド・レーガンが銃撃されて負傷した。銃規制法はまだ重要視されず、レーガンは自身が被害に遭った後も、銃保持者側の権利を支持する憲法修正第2条、即ち武装権を提言した。
「まあ結局、保身のための会見だな」
テレビでレーガンの記者会見を観ていたジョンは溜息をついた。1980年代後半から銃規制運動のリーダーとしても活動していたジョンは、各地でのコンサートツアーを兼ねて銃規制の強化を訴え、来場者から意見を聞いて署名を集めていた。
「私の存在意義は、ジョン・レノンを撃ったことにあるのだ」
法廷で自らの正体を晒す証言をしたジョン銃撃事件の犯人、マーク・デイヴィッド・チャップマンは、ニューヨーク州バッファローのウェンデ刑務所に服役していた。ジョンの生還から殺人未遂罪に減刑され、そして仮釈放申請が許可されたのだ。ジョンの命を一度は奪ったことに満足感を得て、極刑さえも望んでいたチャップマンにとって、仮釈放申請の目的は再度ジョンの暗殺であることを誰もが懸念していたはずだった。仮釈放を反対していたヨーコ・オノとビートルズ関係者にも当然、チャップマンの仮釈放日時の連絡が入った。
「あいつを絶たなければ平穏は訪れない。絶望を繰り返したくない。
ジョンを守るためなら何だってやってやるさ」
ポール・マッカートニーはニューヨーク市へ向かった。右肩にはショルダー・ホルスターを装着し、回転式拳銃リボルバーを収納していた。
仮釈放当日のウェンデ刑務所。出迎えた妻のグロリアと一緒に搭乗した車から、チャップマンが暴れ出して逃走したとニュースで報じられ、警察がホノルルにあるチャップマンの自宅を包囲する。その深夜、ニューヨーク市に到着したポールがダコタ・ハウス周辺を巡回していると、逃走中のチャップマンが、ジョンを撃った時と同じ回転式拳銃アンダーカバーを、コンバット・スタイルで構えていた。
「お前にジョンを撃たせないぞ!」
ポールが叫んだ時、チャップマンはポールに向けて発砲した。腕と足を撃たれ倒れ込んだポールの傍に、チャップマンが近づいて来た。
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