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「嫌い」
今朝も、いつも通りに朝を迎えた。
お布団の中で朝を迎えて、子どもたちと朝ごはんを食べて、見送って。幸せだなぁ。
今朝の矢野けいかさんのFacebook朝活配信のテーマ「嫌い」。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2699821163457224&id=100002881014284
コンプレックスの塊の私。
たくさんの「嫌い」の波が一気に押し寄せる。
・都合よく誰かを利用する人に、上手いこと使われる自分がキライ。(Win Winを考えない人に振り回されている劣等感が一番近いかも。)
・とにかく自信のない自分がキライ。
などなどなど…
まだまだ出てくるけど、多すぎるので止めておく。
「嫌い」の 深掘りをしてみる
・都合よく誰かを利用する人に、上手いこと使われる自分がキライ。(Win Winを考えない人に振り回されている劣等感が一番近いかも。)
コレについては、かなり根強い。
【都合よく使われている≒貢献している】
なんて式は、私には存在しなかった。
今思い出したけど、小学生の頃から父は、私や妹に「洗濯物をたたむのを手伝え」
「お母さんを手伝え」とよく怒鳴っていた。
当時は、4人姉弟。私は長女だ。
普段、母を手伝っていないわけではなかった。
近所の子どもたちと遊んだり、犬・うさぎの世話、姉弟でお風呂に入ったり、ごはんの支度の手伝い等、よその子と同様に過ごしていたと思う。
母のことは大好きだったが、長男である弟をひたすらに可愛がる父は、正直好きになれなかった。
植え付けられた感情は、今でもほぼ変わらない。
過去、何とか父に褒めて貰おうと、努力したこともあった。しかし、長男である弟には到底敵わないのだ。
例えば私が空手の試合で賞を貰っても、練習場所や試合を見に来ることは一度もなかった。
しかし、長男のレスリングの練習には毎週付いて行ったのだ。いつもべったりの父に、長男はうんざりしていたようだ(後日談として母に聞いた)。
母はというと、こうと決めたら譲らない父に
「何を言っても無駄だ」と、聞いたことすら忘れるという神業を繰り出していた。
そんな母でなければ、とっくに家庭崩壊していただろう。
話が大幅に逸れたが、当時、父の言いなりになっていた母や自分にコンプレックスがあり、どうしようも出来ない劣等感を感じていた、という事らしい。
ポジティブに捉えると、「巻き込まれ上手」らしい。まだ未知の世界なので、理解したらいつの日か書けるときが来るとか来ないとか。笑
・とにかく自信のない自分がキライ。
そうやって日々を過ごすうちに、
『お前は自分で何も出来ないダメなやつだ』
と言う声なき声が根っこを張り、家族のことも自分のこともキライになった。
フツーに学校行って、卒業して、社会に出て生きていけたらいいと思った。
楽しかったはずの小学生の高学年から高校卒業までの記憶は、残念ながら私には殆ど無いのが事実である。
そんなわけで
私の「キライ」が出来上がった。
おもっっ!!
余談だが、母が神業を繰り出している間、私は母の気持ちを父に対って代弁した事もあった。
世の中を斜めから見て面白がっているだけかもしれないが”小さなHONESTYだった”とカッコつけておく事にする。笑
理不尽なことはキライ。
結果も大事だが、そこだけを見ることは、まだ出来ない。
青臭くて結構!!!
私一人くらい、こんなヤツがいても、神様は困らないと思う。