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平田真夫『水の中、光の底』(東京創元社)

熟成された味わいの短編集


平田真夫『水の中、光の底』(東京創元社)

オリジナルは過去にmixiに感想を書いたもの(まだ、若かった)。そこからもう10年以上経過するとは、時が経過するのは本当に早い。この感想、今は亡きシミルホンで公開していたが、国産ゲームブックの話題がSNSで出たのもあるので、noteで再公開してみた。

これは齢を重ねることの刹那を味わう物語だ。人は加齢と共に知識や経験を得るが、同時に獲得する事で失われるのは、「初めて体験する」新鮮な感覚だろう。しかしその分、「熟成したモルト」を味わうかのように、若年から中年に向かう人達には、人生の別の楽しみ方があることを教えてくれるのがこの短編集である。

大人の世界と思っていたバーや酒の愉しみを味わえるようになった今、人知らぬ秘密の場末のバーで、バーテンダーの出す酒を味わいながら、本小説の色なす世界観に浸りたい。カクテルはたぶん、ダイキリあたりだろうか。本短編集は、作者の織りなす10つの幻想的な短編の瞬間がカクテルのように、変幻自在の変化する。その味わいは一人静かに、隠れ家のようなバーで、濃厚だけれども爽やかなものである。

仕事を終えたあと、電車や夜道を歩いているとき、ふと夜空や風景を見ると「この瞬間」に出会うことがある。「この瞬間」は、月からやさしく降り注ぐ月の光であったり、川面に反射する街のあかりだったり、虫の声だったり、夜霧で一面が乳白色になった瞬間など、人それぞれ持っている。それはまるで展覧会で展示される絵のように、変化に富み、つかみどころがない。僕らは「この瞬間」を「永遠」にとどめようと、その時は思う。しかしその試みは日々の生活によって上書きされ、打ち消されていく。

齢を重ねていくと、現実と幻想の間に境界が生まれ、その境界はますます大きくなっていく。平田氏は表裏一体となっていた現実と幻想の間にある、「不思議」を10の短編に託し、それを一つの平面の中に封じ込めた。10の短編は重なり合いがある不連続な空間の中で、世界観を共有し、まるで万華鏡のようにとらえようのない、フラクタルな世界が展開していく。一旦読み始めれば、その短編たちは雲海から地上を眺めたり、天上を見上げたり、水の中で光が変化していくその感覚を、自分たちの日常として取り入れることができる(これは偶然にも『展覧会の絵』でも10枚の絵画を冒険する話だった)。

この短編集は若いうちには、あまりよさが分からないかもしれない。なので読むのは、中年に向かう30代あたりで読むといいだろう。特に社会人になってから読むと、この幻想短編集の素晴らしさはよくわかるだろう。日々の生活によって失われたものたちは、決して手に入れることができないものである。しかし、時には運よくそのかけらを手にすることもできるかもしれない。実は酩酊しているときこそ、どこか現実と幻想が重なりあい、この短編集で展開される「不思議」を味わえるのかもしれない。そんな一瞬のために、僕らは日々の生活を過ごしているのかも、と思える一冊。

実は、平田さん名作ゲームブック『展覧会の絵』(東京創元社、現在は創土社から発売されている)の作者であった。このゲームブックで「展覧会の絵」という音楽を知り、富田勲さんのシンセサイザー曲を聴いて、このゲームブックをやっていたのを思い出した。記憶を失った吟遊詩人になって、プロムナードから10枚の絵画に入り込む。僕らの人生も吟遊詩人の旅のようなものなのかもしれない。

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