見出し画像

【パイロットインタビュー第6弾】声を楽器に。病室から紡ぐ、ようぽんさんの言葉のメロディー。

note担当のあーりん&くどぅです! 
パイロットインタビュー第6弾は、富山県在住で現在公認OriHimeパイロットでは唯一の病室からパイロット勤務をしている、ようぽんさんです。

ようぽんさんは2022年1月に日本橋の分身ロボットカフェDAWNver.βにてパイロットデビューし、以降さまざまな場所でも活躍しています。(分身ロボットカフェ)DAWNでの仕事の他にも障害平等研修(Disability Equality Training: DET)登録ファシリテーターとしての活動も行っており、活躍は多岐にわたっています。
そしてようぽんさんと言えば、音楽家でオルガン奏者!
DAWN店内では、ようぽんさんがお客様と一緒に歌をうたう素敵な光景もよく見られます。

朗らかで優しいイメージのあるようぽんさんですが、音楽家として活躍していた最中、入院生活を強いられることになったり、病棟にいる故の悲しいことや苦悩も多かったとか……。そんな中でも使命を感じ、声で奏で続けようと思えた経緯や、『病室から働く』という一筋縄では行かないようなことを成し遂げている方法。心の奥深くにあるさまざまな想いなどを伺いました。


富山県在住のオルガン奏者!ようぽんさんについて

──早速ですが、ようぽんさんについて、経歴やお身体の状況を教えてください。

幼少期より進行性の難病である、筋ジストロフィー(FSHD:顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー)と共に生きてきました。
富山県出身で、大学生時代は横浜で音楽を専攻し、パイプオルガンを演奏していました。その頃はまだ自分の足で歩き、私生活をそれなりに自力で過ごすことができていたのですが、卒業後富山に帰郷した頃から歩くことが困難になり、車椅子ユーザーとなりました。
その後病気の進行により、パイプオルガンの演奏時に使用するベンチにも移乗できなくなり、それからは足踏み式のリードオルガンを演奏するようになりました。
オルガン奏者として、各地での演奏活動を行ったり、講演会や朗読公演、コンサートなどの企画制作なども手がけていました。ワオンレコード より2枚のCD(リードオルガン)もリリースさせていただいたんですよ。
2017年に肺炎から呼吸不全をきたし、気管切開ののち人工呼吸器装着となって以来、入院生活を送っています。

根本的な治療法もなく、病院からも「治療のしようがないから、何かあった時だけ来てね。とにかく日常生活を大切に過ごして」ということを言われていて、高校生の頃から「どうやって人生に生きがいを見出し、生き切ってゆくか」を漠然と考えていました。
じっとしているよりかは、無謀だと思われるようなことにも果敢に挑戦していく性格だと思っています。

OriHimeでオルガンに向かう、ようぽんさん
(横浜・関内「BELUGA(ベルーガ)オルガン練習室」にて)

OriHimeパイロット応募への経緯

──OriHimeパイロットへの応募のきっかけは何だったのでしょうか?

以前より、オリィさんの「孤独の解消」という視点に立った新しい発想と具現化、番田雄太さんとオリィさんとのストーリーに心躍らせていました。
7年前に肺炎で倒れた際、なんとか命の危機を乗り越えはしたものの、今後一生寝たきりで食べ物を食べることも喋ることすらもできませんと言われていました。それでも『必ずいつかまた喋ることもできるかもしれない』と諦めず頑張り、今では人工呼吸器のサポートとちょっとした工夫、たくさんの努力の上で再び声を取り戻すことができるようになりました。
どうしてこの声をまた与えられたのか、この声をどのように使っていくべきなのか、というのを凄く考えさせられて思ったのは、誰かを傷つけるためではなく、できることならば誰かを元気づけたり希望を与えるためにこの声を使いたいということでした。
ですが、そういった思いを抱くまでには様々な事由があるのです……

コロナ禍の閉ざされた世界を経て気付いた事

――いったいどんな事由があったのですか?

生命の危機を脱して2年後くらいでしょうか。身体の状態が少し落ち着いてきた頃から私は、入院生活をしながら医療的ケアを必要とする人たちの地域支援体制作りに奔走していました。
それぞれの疾患だったりで、呼吸器等医療機器を外せない方たちは、ヘルパーさんの中でも喀痰吸引の資格を持っている方の同行が外出する際必要になります。
しかしその当時、喀痰吸引等第3号研修(※)の研修受講が富山県では叶わず、他県に行かなければ資格を取得することができなくなっていました。
私自身も当事者と同じ状況になり、「生きるためのハードルが上がった。なんで、外出するというこんなあたりまえの事ができなくなるんだ」という気持ちでいました。
そこで富山県の様々な機関に訴えかける活動をし、富山県でも喀痰吸引等第3号研修(※)の受講ができるようになりました。
ようやく自分にも専属のヘルパーさんが付いてくれるようになり、「さあこれからたくさん外出も楽しむぞ!」という時にコロナ禍へ突入し一切外出することができなくなってしまいました。
凄く頑張って働きかけて、ようやく実を結んだ今! と言う時に、外の世界へのシャッターが閉じられてしまい、感染症対策という名の社会からの隔離があり、深く考えさせられたことがたくさんありました。

当初は「もう病院を出るしかない! そうじゃないと自分の社会生活は取り戻せない」と思っていました。いつか私は病院を出て、地域に帰る。そのために制度の面でも働きかけてきたんだ、と。
でもそれは自分がどこかお客様感覚でいたんだってことに気付いたんです。

(※)喀痰吸引等第3号(特定の者対象)研修
重度障害者に対する喀痰吸引等、個別性の高い特定の対象者に対して特定の介護職員が喀痰吸引等を実施する場合に必要となる有資格者を養成する研修。

――お客様感覚とは?

感染症対策により外へ出ることが閉ざされた日々を過ごすうち、病棟内で何十年も入院生活をしている方々へ仲間として想いを馳せることができるようになりました。
コロナ禍が明ければいずれ私は外に出られるかもしれない、でもここにいる方々にはそれが叶わない人もたくさんいらっしゃる。
以前に入院していた慢性期の専門病院で出会いを与えられた患者さんたちのことを、思わずにはいられなかったのです。
彼らの生き様を多少なりとも見聞きしてきた身としては「もっと活躍できたはずだ」という想いが強くありました。
例えば、鼻マスクで人工呼吸器をつけているのにずっと喋っているような、すごくおしゃべりが大好きな方がいらしたんです。でもその方はお母さんへ電話をすることしか外との繋がりがありませんでした。
もしこの方がOriHimeパイロットになっていたら、たくさんのお客様を楽しませることができただろうな、いろんな繋がりができていただろうなと思います。
OriHimeパイロットと言う道があったら、どんなに豊かな日常を送ることができただろうと具体的に思い浮かぶ方がたくさんいらっしゃるんです。
それまで、自分の中で長期入院患者の方と自分は違うんだというラインを引いていたことに気付き、愕然としました。無意識のうちに差別のようなものがあったんだと思います。
「私は仲間として生きていかないといけない」そう思ってから見る景色が変わってきました。
たとえ病院にいてもその人らしく生きられる選択肢の一つとして広めていく役割が私にはあるんじゃないかと思っています。

――実際に見聞きしてきたからこそ、自分ができることをしようと思ったんですね。

私がOriHimeパイロットを経験するだけではなく、入院先での医療関係者さんにもOriHimeでの働き方について広めたり、募集期間には「今パイロット募集しているので、そういった方がいれば早急に是非!」と伝えてみたり。まずは私を取り囲む周りの人たちに広めることで、意識を変えてもらいたいなと言う気持ちがあります。
「病室からでも働けるんだ。いろんなことができるんだ!」と思ってもらったり、それをまた誰かに伝えてもらって広がっていってほしいなと思います。

主治医の先生が見守る中、病室からOriHimeを操作するようぽんさん。

病室から働くということ

――いろいろと制約があるであろう入院生活の中で、パイロットとしての仕事を始めるために、どのような問題があったのでしょうか?

療養介護という医療福祉サービスを受給しながら勤務することになるため、まずは各関係機関へ相談し、制度上の問題をクリアしました。
そして、病院と特に病棟スタッフの理解や協力も欠かせないため、慎重に丁寧にこちらの想いを伝えることを心がけています。
ありがたいことに、当時から主治医や師長さんをはじめ、皆さん喜んで病院を上げて応援してくださっていることが本当に嬉しいしありがたいです。

――まずは、制度面については各関係機関へ相談。日々の生活を支えてくれる病棟スタッフへも、丁寧にお話を進めていったのですね。
病室からお仕事をするうえで「これは困ったな」ということはありましたか?

パイロットとしてデビューして間もなく、病院側の通信状況が微弱であることが判明しました。
そのためにお客様との会話の継続が困難になったり、OriHimeへ接続できないなど、接客をする以前の問題が起こってしまいました。
こうした事情でせっかく開けた道が再び閉ざされてしまうことは悲しく、残念でならないと感じ、病院へインターネット環境の改善を依頼するべく、一筆いたしました。
長期入院患者からの声を,院長をはじめとした病院側が真摯に受け止めてくださり、少々時間はかかりましたが、通信環境の改善を行っていただくことが出来ました。
この件を通して実は、通信環境の問題で職員の方も仕事上で支障をきたしているということが判明し、そちらの問題も解決となったようです。
とてもエネルギーの要ることではありますが、当事者の声を届けていくことの大切さを再認識する機会にもなりました。

――パイロットのお仕事を続けるために、日々工夫していることはありますか?

病棟スタッフとの信頼関係があってこそ、いろいろな活動を応援していただくことができています。
そのために、連絡や相談、対話は欠かせません。
慎重に丁寧にこちらの想いを伝えたり、日々を一緒に楽しんで、喜びを分かち合い、良い意味で巻き込んじゃう! そんな好循環ができるように心がけています。
私は病室の個室から日々勤務をしているのですが、病室の扉へ毎朝「今日の勤務予定」を手書きで書いて貼り、誰が見ても状況がわかるようにしています。
ケアタイムや食事の配膳など、調整や配慮をお願いすることもあるので、その場合も丁寧にメモを書いて事前に連絡するようにしています。
病棟内はたくさんのスタッフさんが行き来しており、担当の看護師さんにお伝えするだけでは認知していただけないことがあります。
たとえばケアのタイミングや病室の清掃については、この時間は勤務中なので、時間を調整してほしい旨。
食事の配膳時間と勤務時間が重なりそうであれば、こういった配置でセットしていただけると自身で食べることができる等、見るだけでわかるように明記しています。
「仕事中」ということを掲示していると、やはりみなさんもプロの仕事人ですから、邪魔しないようにしよう、音が入らないように静かにしよう、と気遣ってくださいます。
食事の配膳なども静かにセットしてくださり、接客中の私に「がんばって!お食事置いておくね!」と言わんばかりのアイコンタクトをさっと送ってくださる、なんてこともあるんですよ。

――そんなやりとりが! 良い関係性ができているからこそ、みなさんも協力し応援してくださるんですね!

その日のスケジュールを毎朝手書きし、病室の扉に掲示。
配膳時のお願い事メモはベッドサイドへ。

自分でも知らなかった「私自身」に出会う

――ようぽんさんの中で、OriHimeパイロットの仕事を始めて、なにか変化はありましたか?

もともと演奏活動などで全国各地に知り合いがいたりとアクティブに活動するタイプでした。
OriHimeパイロットの仕事は、お客様にはこちらの顔も見えないし、病室のパジャマのままでも話せるという気軽さがあって、だからこその自分の知らない私自身に出会ったという感覚があります。『ようぽん』になりきっちゃう! というような。

――その感覚わかります! 普段の自分とは違うけど、でもパイロットの自分にも自分らしさがある!

『分身』じゃなくて『変身』したような気持ちになります。新しい自分を演じているようで声のトーンも上がるし、ますます輝いてるなと感じます。
病気だからとか、入院しているからとかそういった理由でできないができるに変わる。そんな思いがけない出来事に日々驚いています。

病棟にいることで辛い出来事もあるし、病室での生活に悩みもあり、気分が沈むことは多いです。
でもそういった苦しい事に頭を抱える現実だけではなく、パイロットとしての社会への扉があって、心の交流をすることができ、私自身の心の風通しがよくなったと感じています。
現実の身体は病院と言う箱から出られないけれど、番田雄太さんが仰っていた「心が自由ならどこへでも行ける」という言葉をすごく実感しました。

英語での接客にも挑戦する、ようぽんさん

今後の目標

――ご自身の、今後の夢や目標はありますか?

まずは、一日一日を精一杯大切に生きたいです。
私は将来的に病院を出ることができるかもしれないし、できないかもしれない。もしも病院が私の一生の生活の拠点になったとしても、私が私らしく私の人生を輝かせたい。
そして、たとえベッドから離れられなくても、どこにも行けなくても、地域に出ていかないと社会ではないように思われることもあるけれど、ここも社会と繋がることができる場所であるという希望を伝えていきたいです。OriHimeを通してなにかできたらいいなとも思います。

障害平等研修サブファシリテーターとしての活動も行っています。
障害平等研修(Disability Equality Training: DET)サブファシリテーターとしての活動も行っています。

ようぽんさんにとってのオルガン演奏

――毎朝、病院でオルガン演奏をなさっているとお聞きしました。

皆さんの存在を感じながら毎朝オルガンを弾いています。今の私にとってのステージであり、何気ない日常での音楽でもあります。でもこれが本来一番届けたかった音楽でもあるなと思います。
たとえば外出困難だったり入院中だったり、演奏会に直接来られない方々にどうしたら音楽を届けられるんだろうと考えていたころ、CDをリリースしませんかとお声がけをいただきました。そのおかげで自分の音楽をどこにでも羽ばたかせる事ができたと思っていたんですけど、自分が今こういった病院内に身を置くようになって、あの時思っていた「本当に届けにくい所に音楽を届ける」ということがもしかして今与えられているのかなと思ったらすごくワクワクしました。
朝のオルガン演奏は、今できる精一杯の音楽ではあるのですが、それが誰かの耳に届くのであれば嬉しいなと思います。
実はOriHimeの操作もオルガン演奏と似ているところがあるなと思っているんです。
パイプオルガンは鍵盤を押してから実際に音が届くまでに少し時間がかかります、ある意味遠隔操作なんです。
常に聞き手のこと、お客様のことを考えて、どうパフォーマンスするか、どう伝えるのか、そういったところが同じだなと思います。

病院でのクリスマスコンサートの様子
病院でのクリスマスコンサートの様子

病室からパイロットを目指すあなたへ

――入院をしていてもOriHimeパイロットを目指したい! 働きたい! と思っている方へ、アドバイスやメッセージをお願いします。

まずは思いを伝えることが大事だと思います。なぜ自分がそれをやりたいのか、周りに伝えることで徐々にでも「できない」と思っていた事が「できるかも」と、意識を変えてもらうことに繋がります。
そうしてスタッフさんたちと対話し、「どうやったら実現できるのか、解決できるのか」を一緒に考えていきましょう。
そういったプロセスを一つずつ積み重ねることで、一緒に喜びを分かち合うことができる。
なのでまずは、周りのスタッフさんを味方にしていくのがポイントだと思います。

――一緒に考えていくというのが大切なのですね!

病室の扉に掲示している病院スタッフの似顔絵イラスト。ようぽんさんの妹さんが描いたもの。

あとがき

1時間のインタビューでたっぷりとようぽんさんのお話を聞かせていただいたのですが、ようぽんさんはやっぱり音楽家だなと感じました。溢れ出てくる言葉の一つ一つが歌のように美しく、心に沁みわたり、深い意味での音楽と言うものを感じさせてもらいました。「声」という楽器を使い、言葉の一つ一つがメロディーとなり、たくさんの人を元気づけています。
筆者自身も長期入院を経験したことがあり、「あの環境でどうやって仕事を始めるんだろう?」という疑問がありました。それを可能にするための様々な工夫やスタッフとのコミュニケーションの大切さを知ることもでき、今後「病室からでも働きたい」と思う方々への道しるべになったのではないでしょうか。
これからもたくさんのメロディーを紡いでゆくようぽんさんに、幸多からんことを願います!

・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・
あなたもぜひ一度、OriHimeパイロットに会いに来ませんか?
DAWN公式ホームページはこちら...
最新情報やお店の様子は公式X(旧Twitter)InstagramFacebookをチェックしてね!

『分身ロボットカフェ DAWN ver.β』
[営業時間]
全日11:00-19:00
[定休日]
木曜日(祝日の場合は営業致します。)
臨時休業など最新の営業時間などは、公式Xをご覧ください。
[住所]
〒103-0023
東京都中央区日本橋本町3-8­-3
日本橋ライフサイエンスビルディング3 1F
TEL : 03-3527-2136
メール : dawn@orylab.com
[アクセス]
●東京メトロ日比谷線 : 小伝馬町駅 徒歩4分
●JR総武線 : 新日本橋駅 5番出口すぐ
●東京メトロ銀座線 : 三越前駅 徒歩7分
●JR山手線 : 神田駅 徒歩10分
●東京駅より タクシー約4分(約1.9km)
●上野駅より タクシー約6分(約3.1km)


いいなと思ったら応援しよう!

分身ロボットカフェDAWN ver.β
よろしければぜひサポートをお願いします! いつも応援、本当にありがとうございます❣️