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担当編集者に聞く、平野啓一郎『ある男』誕生秘話 〜本はどのようにしてつくられる?〜

「見慣れているはずの、日常の色が変わった。」
こう思わせてくれるような物語に、あなたは出会った経験があるだろうか。
数限りない本が満ち溢れている今日、そのような物語に出会えているとしたら間違いなくそれは幸せなことである。
 
幸運なことに、私はそんな物語──平野啓一郎『ある男』(文藝春秋)と出会うことができた。この度、これもまた幸運なことであるのだが、『ある男』の担当編集者の1人、文藝春秋の編集委員・山田憲和さんにお話を伺う機会を得た。
 
「ダ・ヴィンチ学生インターンA沢による編集者突撃企画」第二弾は、
『ある男』に込めた想いと、編集者という仕事の核心を存分に語ってくださった山田憲和さんのインタビューである。

平野啓一郎『ある男』あらすじ
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。
ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。

「活字の世界で勝負したい」という思いから編集者の道へ

1990年に第一志望だった文藝春秋に入社した山田さん。今と同様、当時も出版社に入社することは難しいと言われていた。文学部でもなかった山田さんはなぜ、編集者を志したのだろうか。

「両親ともにフリーの編集者だったので、たくさんの本に囲まれて育っていました。大学時代は経済学部だったので、まわりに本を読む人がそんなにいなかったんです。自分が本を好きだと思ったことはないけれど、本を好きな人は好きっていうか(笑)。だから20歳のときに「活字の世界で生きていこう」と決めて、編集者になろうと思いました。本屋さんや図書館に通って、文藝春秋の本や雑誌をたくさん読みました。運よく入社できて、ラッキーでしたね」

”『ある男』はチームでつくっていきました。”

入社後、雑誌『Number』、『文藝春秋』、『オール讀物』、純文学、文庫など様々なジャンルの編集職を歴任していった。そんな中、小説『ある男』のプロジェクトが始まったのは、2016年の夏のことだったという。

「『ある男』はちょっと特殊で、平野さんのエージェントであるコルクの方々を含めて、5人ぐらいのチームがつくられました。最初は平野さんからフワッとしたアイディアが浮かんだということで、すぐにお目にかかったんですけど、そこからはチームで打ち合わせを重ねて、2018年の9月に単行本を出したという流れでした」

多くの読者は、編集者と作家が一対一で本を作っていくというイメージを抱いているだろう。だが、本を作る上で「チーム感」を意識しながら仕事をすることは多いと山田さんは語る。

「一冊の本を編集するときには、まずは作家の意向があって、それに沿って進めていきます。本をデザインするのは別のセクションで、雑誌や文庫の担当もいます。宣伝や営業の担当もいます。僕自身にはこうしたいという具体的なイメージはほとんどなくて、どうすれば面白くなるか、良いものになるかを考えながら、ちょっとずつ調整や修正をしていくという感じです」

『ある男』では、死刑や在日コリアンなどといったいわゆる“社会問題”が物語の中で重要なファクターとなっている。文学という一種のエンターテインメントの中に、これらの問題を入れることは、時にプラスとマイナスの二面性を持たせることとなる。


「在日コリアンのような問題については、小説が重くなってしまうという意見もあるでしょうね。『在日』という言葉のイメージも人それぞれなので、そこはすごく難しい。政治的なことにコミットしていくと、短期的には読者を失うかもしれないという見方もあります。僕としては、作家の考え方を尊重します。いまは意見の違う人であっても、長期的にみれば、平野さんの言葉を信頼するようになるかもしれません。『ある男』の場合には、在日の問題にしても死刑制度にしても〝ストーリーの必然性〟があるので、こういう問題をあらためて考えるきっかけにもなると思っています」

「『ある男』は絶対に売れる作品にしなければならなかった。」と、当時を振り返る山田さん。そこまでの強い覚悟を持って取り組んだ理由は何だったのか。

 
「どんな作品をつくるときも、苦労すること、面白いこと、楽しいことはそれぞれあります。『ある男』の場合、僕にとっては〝作品を読者に届けなきゃいけない〟というのが、もっとも大切なミッションだったんです。あの当時、2016年に刊行された『マチネの終わりに』がものすごいロングセラーでした。書店でもずっと平積みになって売れ続けて、映画化もされました。『ある男』の刊行前には、次の作品を成功させなければならないという強い気持ちがありました」

「絶対に売れる作品に」という強い覚悟を持ち、妥協を一切せず、編集者は作品づくりに向き合う。

「平野さんの作品に対しては、僕は率直に感想を言うだけです。他の担当者が指摘した部分に対しても、違うなと思った部分はもちろん意見を言いますし、良い部分は良いと言います」

「愛したはずの夫はまったくの別人だった。」 “愛”に込められた想い


 「愛したはずの夫はまったくの別人だった。」
好奇心をくすぐられるこのリード文に惹かれて、『ある男』を手に取ったという読者も少なくないだろう。帯を考えることも編集者の重要な役目である。山田さんは「最初の文字は絶対に“愛”にしようと決めていた」という。


「一番考えていたのは、『マチネの終わりに』の読者を取り逃せないということでした。絶対に買ってもらいたい。同じ作家の作品でも、『マチネの終わりに』と『ある男』はタイプが違います。『マチネの終わりに』は純文学にもカテゴライズされますが、恋愛小説としての高揚感がありました。『ある男』は人間の本質に迫るような文学性もありますが、ミステリーとしてもおもしろい。このミステリー性を強調しすぎると、『マチネの終わりに』を買ってくれた読者を逃す可能性もあるというのが、ジレンマでした。
例えば、「主人公である在日の弁護士が、とある事件に巻き込まれた」というリードにしたら、どうなるでしょうか。おそらくミステリーのファンも、『マチネの終わりに』の読者も、本屋さんで手に取ってもらえない。そこで作品の視点人物である弁護士から離れて、最初に「愛」という言葉をもってこようと思いました。平野さんが素晴らしい作家で、作品の視点がぶれていないからこそ、あのリードは成立したのですが、僕としてはものすごく考えて提案させてもらいました」

金色の文字で書かれた “20万部突破のロングセラー『マチネの終わりに』から2年” 
ここからも前作の読者を惹きつけたい気持ちが伝わってくる。


「先ほども言いましたが、『ある男』が発売されたとき、〝恋〟をテーマにした『マチネの終わりに』は発売から二年たっているのに大書店で平積みになっていました。その隣に〝愛したはずの夫はまったくの別人だった〟という〝愛〟のリードの『ある男』をならべることができました。この一文に、僕が伝えたいことがこもっています

『ある男』を「売れる作品に」という気持ちはもちろん、作家・平野啓一郎をさらに「売れる作家に」という強い想いもあったそうだ。編集者は「作品を売る」ことだけでなく、「作家を売る」ことにも尽力する。


平野さんに限らず、僕が担当する本はすべて、長いスパンで作家としてのステージを上げる作品であってほしいと思っています。現在は平野さんの担当を離れていますが、『ある男』が多くの読者を獲得したので、いまはホッとしています」

“「僕は間違ってなかったんだ」と思いました。”

『ある男』は2022年11月に映画化され、日本アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞したことも記憶に新しい。意外にも、山田さんは最近になって映画を観たのだという。

「映画のキャッチコピー、〝愛したはずの夫はまったくの別人でした〟というのを目にして、『ああ、僕は間違ってなかったんだな』と思いました。おこがましいですが、映画自体も、僕がこういう角度で読まれてほしいと思っていたものと、近い感じがしました。日本アカデミー賞のあと、小さな映画館に見に行ったときも、たくさんのお客さんがいたので、すごく嬉しかったです」

編集者に必要なのは「純度の高さ」

「大切にしていることは、ふたつあります。ひとつは、世界に目を向けて、できるだけオープンでいること。僕は日本の小説以外に、海外の本や歴史の本が好きで、空間的にも時間的にも広がっていくんですよね。もうひとつは、弦が張られた楽器のように、心の琴線を張っておきたいということです。音楽でも、映画でも、雑談でも、いいものに触れると琴線に触れる、なんか心がジーンとするっていう感覚があると思います。この感覚は、ある程度は真面目に生きていないと持てない(笑)。いろんなものを率直に、素直に受け取って、自分自身の純度を高くしていくことが大切だと思っています」


おわりに

編集者は、作品を作家と共に作るだけでなく、それを売るため、さらには作家を大作家にするために奔走する。

編集者は、作家と同じくらい、たくさんの想いを作品に込める。

物語にありふれた日常の景色を変えてもらった時、心を動かされた時、そんな“込められた想い”に、私たち読者は常に心馳せできるような人でありたい。









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