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どこでもできるオフグリッドライフ

2020年になって、オフグリッドでできることを考え始めた。

「電力、上下水道、ガス」

毎月の光熱費で必ず支払っているこの三つをどれだけオフグリッド化(既成の供給網からのの自立)できるかということである。

電力は、太陽光発電、上水道は雨水、ガスは薪ストーブなどというのが、大体の方策である。

簡単に試せるのは、太陽光発電と、雨樋から雨水を貯めるというシステムである。薪ストーブはちょっと敷居が高いが、これも不可能ではない。

日常生活でコストがかかるのは、以下のことである。

1)夜間の照明器具

2)エアコン、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジ、アイロン、テレビ、デスクトップPCなどのハイパワー電気器具、スマホ充電、WIFI機器のような小電力家電

3)トイレ、風呂、炊事の水

1)については、徹底的にLED化することでかなりの節電となる。

2)については、できるだけ使わないというライフスタイルに切り替える。小電力のものは、12Vで太陽光+バッテリーから直接供給することで節電となる。

3)については、雨水を貯めて、庭の撒き水に使う。これは簡単な工夫で可能である。井戸水、湧き水などがあるならそれを利用できるが、都市部では難しい。

さらに具体的にするなら、次のような取り組みとなる。

まず、小さな太陽光システムを作る。私の場合は、12Vで100Wのパネル12V36AHのバッテリーと、120WのACインバーターで、LED照明を照らすことができた。また、ノートパソコンやスマホの充電を行う。これが第一段階。

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もちろん、実生活で不要な電気を消す習慣が必要である。我が家の場合は、徹底して待機電力をオフにした。特にデスクトップパソコンの使用時間を短くし、ノートPCを多用する。(動画編集はデスクトップでなければできないので、使用は続けている。)

さらに、夜間や薄暗いとき使っていた、リビングのメイン蛍光灯(41+32+30W)を、LED電球60W 2発に切り替えた。これまでは、数十ワットの消費電力であったが、15Wほどに低下した。その照明は、太陽光からのバッテリーで行っているので、事実上、この部分の電気代は無料となる。

これからの改善としては、テレビを見る時間を減らすこと。(これは年老いた母親なのでむずかしいが)そして、冷蔵庫を省エネタイプに切り替え、洗濯機を二層式に切り替えることである。

エアコンについては、熱中症の危険もあるので、真夏は積極的に使うことにする。これは節電ではなく、健康保持のためである。

冬の暖房器具については、これまで灯油ファンヒーターを使っていたが、これからは、据え置き型の普通の石油ストーブに切り替える。これで灯油代はかかるが、電気代はかからない。電気炬燵については、母親が使うので、これも節約とはしない。ただし、私たちは、電気カーペットなどは使用をやめることにする。もちろん各種の電気ストーブも使わない。すべて昔からの灯油ストーブに切り替えることにより、ファンを回す電気代を節約することとする。将来的には、メインリビングを薪ストーブにしたいのだが、設置コストが高いのが難点である。

残りの課題は、風呂の温水である。現状、風呂は灯油のボイラーで上水を温めている。この部分を太陽熱による温水供給にすることができる。中国製の真空パイプ(魔法瓶の原理)のものや、塩ビパイプを黒く塗る自家製も考えられる。ただし、配管の手間が大きいので、準備や学習が必要である。しかし、これも十分可能な方法で、現状捨てている「太陽熱」を有効利用できるので、トライする価値があるだろう。

雨樋からの貯水は、現状簡易的なものしかないが、500Lの水タンクを使っての、本格的貯水はさほど経費も掛からず実現可能である。雨樋からの分岐はすでに部品が売られているから、作業もむずかしくはない。夏の間の菜園や花壇への水やりは、500Lもあれば十分であり、車の洗車などにも利用できるだろう。非常の際は、トイレの水などにも利用可能である。

このほかのエコの取り組みとしては、庭の畑にコンポストがあり、日常の生ごみはすべてたい肥化しているので、すでに生ごみは循環型となっている。

100Vの正弦波の安定した電気は、日本においては当たり前のように供給されている。しかし、その電気を生み出すための大規模発電所から少しでも離れることは、災害時などに大きな意味を持つだろう。

そして、電気にあふれた生活から、少しでも距離を置いて生きることは、文明の脆弱性を理解する第一歩となるのではないだろうか。

新コロナウイルスの自粛で、一瞬、大都市の空気が浄化されたように、家庭でオフグリッド的な生き方をすることは、魂の浄化にもつながると考えている。これは、ヒッピー的、ニューエイジ思想ではなく、拡大する文明に追われ続けて生きるのではなく、むしろ文明を正しく理解し、来るべき創造主たる唯一の神との邂逅にも備えることにつながるのだ。

現代社会は、すべてを陳腐化することによって、購買意欲を刺激している。その刺激を満足させるためにだけ、働いているとしたら、それはむなしい生き方である。しかし、神とともに歩む「非文明的生き方」は、決して時代遅れにはならない。

わたしは、そのことをこれからも追求したいと願っている。








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