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樺太生まれ青森育ちの父と、東京生まれ東京と大阪育ちの僕

もう亡くなりましたが、僕の父親は樺太生まれ。
祖父祖母は富山と青森の生まれで、成功を求め樺太の地へ向かったようです。

今年は何か継続したいなぁと思い、なんとなかnoteをはじめて、今日から仕事なので、電車でかける内容ないかと思って父のことを。

樺太、サハリン、遠い遠い北の果て。
真岡というところで生まれたそうです。
「おれはロシア人だ」とよく酔っ払って言ってましたね。違うと思ってましたし、間違ってるよって思ってました。言ったり言わなかったり。

今電車で河を渡っています。
荒川だろうか。

樺太は4歳くらいまでしかおらず、父自身の樺太の具体的な話はほとんど聞いたことがなく、具体的な話は、父の兄姉や、父と兄妹のように育ってきた従兄弟たちから断片的に聞いたことしかありませんでした。

父の記憶の話といえば、自衛隊(おそらく警察予備隊?)の行軍が集落まで来て野営する際に、背負ってたでかい鉄鍋にいろんな缶詰やら野菜やらを入れて煮込んでるのが美味そうだったなぁとよだれを垂らさんばかりの芝居がかった顔をして話すのや、
隣の家のりんごや柿を木から盗んで食べた話や、
鶏の捌き方(足を持って逆さ吊りにして首を落としても数分は歩きつづける)とか。
全部本州に戻ってからの話でした。

ここまで書いてた下書きがあったので、もったいないから一旦この辺で終わらせて、また続きは別の日に書くと思います。

「樺太帰り」という共通項を持つ父の友人がいたのかは定かではないが、なんかいろいろ思うところがあったようです。
しかしほとんど記憶が飛んでいるらしく、父が書いた樺太の追憶の文章はなんかおじさんやおばさんのお話とちょっと外れている気がしてなんでかなと。

父の樺太生まれのおかげで、閉じる3か月前に、日本樺太協会に入れた。
会の解散に伴い、樺太協会のタオルをいただけたのは良き思い出。


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