大阪に転校したから、一人で京都日帰り観光したら、京都タワーの近くでパンダの剥製に出会った
あれはいつの話だろう。
もう35年前かしら。
東京の高校から、大阪の高校に転校して、友達もいないし、中学三年生で京都に修学旅行行ったからもう一回行ってみようかなって思って、京都に行った。秋だったような、冬だったような。
清水寺までどうやってかたどり着いて、二年坂だか三年坂だかで柿の木の絵を描いたりして、素敵おれ素敵。
その後、等間隔に並ぶ鴨川沿いのカップルの間に一瞬腰を下ろして、やっぱり無理ってなって、カップルの背中と鴨川の流れを見ながら川下だか川上に向かって歩いてみたり。
お昼は何か食べたのだろうか、覚えていない。
昔の話だからね。
そのあと平安神宮?にいって瓢亭を見てすげーなって思ったりした。
入ってない、いいなって思ったけど入れるわけもなく。
で、錦の市場をそぞろ歩き、母がたまに買ってくる湯葉屋さんのおからを見て、「白い!まん丸や!白いやんけ!」と心でつぶやいたりしてみたりした。と思う。
パンダに行きつかない。
もうすぐ、長くてすいません。
基本長くなっちゃう。年だからじゃなくて、もともとそういう気質。
長いの。
気は短いのに。
東京の子が、大阪に転校するということは、当時すごくインパクトのあることだった。去年10年ぶりに同窓会があり参加したが、今でもアウェイ。
ヤンキー高校だったのもあるけど、今でもアウェイ。
どのくらいかというと、知り合い一人だけで参加ってのもあるけど、もう全然会話が成立しない。東京だとそんなことないと思うんだけどなぁ。
と思ったら、学校のコミュニティが苦手だったのをその場で思い出してドキドキしていたりした。僕の問題も大きかったですね。
でも、もう、笑いが365日24時間営業のこの街、大阪で。
日々ヤンキーとかいけてる女子たちや先生からはいじめというより、お説教。
「おまえおもんないのー」とか、「そこでなんで突っ込まへんねん!!」とか。
まじめか。
いや、まじめだったみんな。真摯に笑いに向かい合って生きてた。
尊敬の念も感じる。
「明石家さんま師匠のテレビ、全部録画して見て『間』を勉強してこい!」とか言われて、本当に3ヶ月くらい録画して見てみたりして、なんとなく「間」がわかってきた気がしたりした。ありがとう。
土曜日おひるになると吉本新喜劇の音楽を聴かないとソワソワしたりするようになるともう大阪大好き。
でもそんなに好きだけど、大阪は僕のことをそんなに好きじゃない。
知ってる、でも好きだよ大阪。
何の話だったかしら。
そうそう、京都タワーとパンダの剥製の話。
京都タワーを見ようと、近づいて、入ったような入らなかったような。
お金必要なエリアには絶対に入っていない、なぜならケチだから。
で、周辺を散歩してたら、大きな通り沿いの堀があったようなところの向かい側の、小さいけどきれいに立て直したばかりのビルがあり、そこの横を通り過ぎたところ、1階の窓の中に迷鳥のヤツガシラが見えた。
「剥製だ!ヤツガシラだ!」と思い、閉じた入り口のドアをそっと開けた。
中にはこんな風景が広がっていました。
ChatGPT便利。
でもだいぶちょっと違うんだけど。
※ChatGPTへの画像修正指示
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パンダは二本足で立ちあがっています。 おばあさんのもっと近く、真横。 パンダの位置: おばあさんの右側のパンダは手を上げて、二本足で立ってこっちを向いている。胸から「1億円」のプラカードを下げている。 おばあさんの左側のパンダは手を下げて、二本足で立ってこっちを向いている。胸から「1.5億円」のプラカードを下げている。 背景: おばあさんの後ろにはシマウマが。あと鹿も。鳥が背後の棚の上にかざられていたり、鹿の上にのってたりした
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※ChatGPTへの画像修正指示
ちがうんだよ、もっともっといろんな動物に囲まれてたんですよ。
動物の配置をもっと精緻に伝えないとやっぱり駄目ですかね。
まあ今度なおしましょう。
でもこんな感じ。
近い。
パンダは2歩足で両方とも、阿吽として立っていた。
このパンダの剥製にであったことでこの後、ずっとあのパンダの剥製は何だったのかと、パンダの剥製が心に刻まれることとなってしまった。
解決するのは35歳くらい、20年くらいかかってからだった。
ちなみに、本物か確認できていないけど、京都の喫茶店の食べログの口コミにパンダの剥製らしき写真が。ほんものかなー。みにいきたいなぁ。
なんでしたっけか。
そうそう、先ほどの画像のような光景が、ドアを開けた瞬間に眼前に広がりました。おばあさんも剥製かしら?とか思っちゃうくらいの当たり前感。
本当にしつれいだけど、死んでるのかもとか思ってドキドキしてたら「いらしゃい」と言われました。
入っていいですかとか、もう入ってるのに。
それで店内を見せてもらって、記憶では2時間近くいた気がする。
ずっと鳥とか動物の剥製を見ていた。
店内には嫌な臭いは全然なくて、静謐な空間がそこにありました。
でも、アイスの冷蔵庫の中には、つぐみがたくさん冷凍されていたり。
標本作るようだよって言ったのに、たたきにすると美味しいんだよとこそっと教えてくれたり。
パンダの入手経路を聞いた気がするんだけど、なんだか全然教えてくれないけど他の話で盛り上がったりしました。
シマウマもいたような。
クマと鹿とイノシシ、雉、孔雀、鷲とかフクロウとか、インコ?南国のきれいな羽の鳥がたくさん。
死んだ動物に囲まれて、僕とおばあさんは緩やかに会話しながら時間を過ごしました。
「また来ます」と一言残して、おうちに帰りました。
その後、なぜか京都に行っても、そこには立ち寄りませんでした。
パンダの剥製もすっぽり大阪にいる間は思い出せず。
東京の大学に受かり、上京(元に戻るだけだから上京ではない?)してからふと思い出すようになりました。
「パンダの剥製を京都タワーの近くで見たんだよね、知ってる?」と
京都出身者とかに会うたびに聞くようになりました。
誰も知らない。
京都タワーの近辺で剥製屋さんなんか知らない。
パンダの剥製が京都にあるの知らない。
知らない、だれも知らない。
まぼろし?あれは夢?幻?
僕はこの後20年近く、この行動をたまにするようになるのでした。
おなか減った。