炊き込みご飯

囲碁将棋の情熱スリーポイントというラジオを
聴かせてもらっている。

そこに、ラジオネーム「ダビドサラダ」として

メールを送らせてもらっている。

いくつかメールが読まれ、

色々と番組においしい思いをさせてもらった。


そんな自分は、

自分のメールが読まれた箇所を

めちゃくちゃ聴き返す。

ナルシシズムを、

自分の鼓膜の中で解放している。


そんな自分大好き人間の自分が

自分のメール以外で聴き返すメール、

それは

この回のタイトルホルダー(この番組では、番組タイトルになったメールのことをそう呼びます)にもなった「炊き込みご飯」のメールである。

これは確か、
職場の近くのジムで筋トレをしていた時のことだ。

まず、情熱スリーが更新され、

タイトルの確認。

タイトルには「炊き込みご飯」。

脳内ネットワークが動く。

「紙コップさん、炊き込みなんたらみたいな
ポストしてなかったけ?」

シークバーをふつおたらへんに動かす。

「ラジオネーム、紙コップさん」

文田さんが言う。

おおぅ、やられた。


正直言うと、自分はしつこい系のメールが
苦手だった。

なんか、こう、

構成の美しさとかでなく、

力技な気がして。

ポケモンでいう

ウオノラゴンの鉢巻えらがみのような。

「そりゃ強いよ、そりゃ。」

というような諦めが感じられる受け側。

なので聴いた当初は、「面白え」よりも

「ケッ」という意識が強かった。


しかし、キングオブコント2023を遅ればせながら視聴し、サルゴリラの「魚」のネタを見た。

面白かった。

不自然なタイミングで差し込まれる「魚」が

何か心地良かった。


ここで脳内ネットワークが働く。

「似たようなメール、なかったか?」

すぐ紙コップさんの「炊き込みご飯」を

聴き返した。

冷静になって効き返すと、

1回目「ケッ」ってなった時には

感じられなかった部分が感じられた。

まず、導入。

自分で読まれたメール、

もしくは情熱スリーで読まれているメールは

導入で「親しみ」を持たせる必要がある(と考える)

あるあるや雑学、主観など、様々。

そこで紙コップさんの「炊き込みご飯」

「アレ(炊き込みご飯)、めちゃくちゃ美味しくないですか?」

最近ハマっている食べ物という導入から、

聴き手に同意を求める。

ここで「親しみ」の関門は突破したと考えられる。

次には「味しない米より、味のする米の方が美味しいに決まってますもんね!」とちょい暴論。

ただ「自分は炊き込みご飯が好き」という

ご挨拶が終わっているため、

この暴論に不自然さは感じない。

が、不自然はここから。

ありとあらゆる「○○込む」という言い回しが

「炊き込む」になっている。

それだけでない。

「炊き込み先生」「炊き込み大学」など

乱暴な文が散見される。

っが、惹き込まれる。

最初の導入と

「炊き込みご飯が好きで堪らないやつ」

というコンテキストの上で繰り広げられる

炊き込み劇場。

囲碁将棋のお二人の反応と相まって、

素晴らしいメールだと思った。

と、同時に

あの時の「ケッ」は

シンプルな嫉妬であったと気づいた。

ふつネタライブまでにも2、3回聴き直し、

サルゴリラ×紙コップ の映像を見た時

「炊き込みだろうな〜」と考えてた。

児玉さんがタッパーらしきものを出した時

「炊き込みだろうな〜」と考えてた。

結果、炊き込みだった。

僕自身、紙コップさんの魅力に

炊き込まれているのだろう。

テクニックや分析云々では説明できない、

魅力的な人が思いのまま炊き込んだ、

素晴らしいメールだと思う。


みなさんも、囲碁将棋の情熱スリーポイントの

メンバーシップに加入して、

炊き込みご飯のメール、

聴いてみてください。

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