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現代版隠れキリシタンは総人口の1割!?戦国時代から明治時代のキリスト教史|教会建築巡り横浜編

執筆日:2023年12月01日(金)
更新日:2023年12月02日(土)

オフィシャルサイト(ポートフォリオサイト)



はじめに

激動の戦国時代(中世)から安土桃山時代(中世)、そして、江戸幕府(近世)、明治時代(近世)の時代背景には、キリスト教史が存在します。さらに、大正、昭和、平成、令和と続きます。
日本の人口全体に占めるキリスト教徒人口は、わずか1%前後であり、超マイノリティでありながら、鈴木範久氏は、その10倍以上もの評価があると考えているようです。確かに、日本には、キリスト教の大学や幼稚園などが数多くあることから、教会に行っていなくても、幼少期や思春期に毎日礼拝を捧げていたとか、クリスマス劇である「ページェント」を毎年楽しみにしていたとか、現代版の隠れキリシタンとでもいえるような方々と数え切れないほど出会ってきた経験から、1%の数値以上の影響を及ぼしていると感じていた。鈴木範久氏は、自著の中で次のように述べている。

 キリスト教国ではない日本において、信徒数以上に注目されている二つの現象がある。その一つは、統計的な信徒数に数倍するキリスト教教育機関に学んだ経験者の数値である。これは筆者たちの企画した一つの全国調査においては、キリスト教教育機関に学んだ日本人の数は、実に信徒数の約十倍、全人口の一割を数えている。この数値は仏教教育機関とほとんど変わりない。この数値に見る限り、キリスト教の位置は仏教国日本に匹敵している。もう一つは、日本聖書協会が毎年発表している聖書の販売部数である。それが、とてもキリスト教国とはいえない日本において、毎年、常に日本の書籍のなかのベストセラーの位置を維持しているのである。
 この二つの傾向は、日本のキリスト教を考えるにあたり、教会内の信徒というマイノリティグループの人数のみを対象にするのでなく、広く日本の文化的、社会的広がりのなかでキリスト教の影響や役割を考慮する必要を物語っている。そうなると、日本のキリスト教の歴史を描く場合にも、個別教会内の社会経済史的な見方に劣らず教会外のいわば文化史的な見方が必要になる。
……
 キリスト教は、聖書すなわちイエス・キリストの言葉・教えを中心とした宗教文化である。とりわけ日本にあっては、前述したとおり聖書のもつ役割が信徒の実数以上に大きな位置を占めているから、聖書の影響または受容と展開を、広く、日本の教育、文学、思想、社会福祉などという諸文化の領域まで含めてみることが、日本キリスト教史にとって重要な視点になると思われる。
……
 この聖書の文化史的価値は、より具体的にいうと、1 超越的実在の思想、2 人や物を神化することの拒否、3 生命の尊重、4 個の確立、5 人間の平等、6 信教の自由、7 非戦平和、8 世界性、9 被造物の保護と共存(天然観)などである。
……
 特に日本のキリスト教に大きな影響を与えたものは、日本の政治であり宗教政策であった。そこで便宜上、日本の宗教政策との関係で日本のキリスト教史を捉えるとすると、たとえば時期区分は次のようになるであろう。

一 前史
イエス・キリストの出現とキリスト教の成立から、中国への伝播、宗教改革とその対抗改革としてのイエズス会の成立、その東洋進出の略述
二 渡来とキリシタン
一五四九年のイエズス会士フランシスコ・ザビエルの来日と伝道の展開
三 禁制と潜伏
豊臣秀吉による伴天逃追放令(一五八七)、徳川家康の直轄領への禁教令(一六一二)および全国への禁教令(一六一四)、キリシタンの潜伏
四 開国と再来
日米修好通商条約(一八五八)締結による開国、翌年からの宣教師たちの来日
五 黙許と第二維新
キリシタン禁制の高札(こうきつ)撤去(一八七三)による伝道の進展
六 公許と制限
大日本帝国憲法(一八八九)公布による信教の自由と制限
七 監督下の抵抗と順応
不平等条約の改正実施にともなう内務省令第四一号(一八九九)により、日本のキリスト教史上はじめての行政対象化、ならびに文部省訓令十二号による監督の強化
八 公認下のキリスト教運動
三教会同(一九一二)により、キリスト教の神道、仏教なみの公認扱い
九 軍国化と岐路
満州事変(一九三一)と「非常時」体制に面したキリスト教の変容
一〇 統制下の破争協力と弾圧
宗教団体法(一九三九)による宗教管理と戦争協力
一一 自由と新出発
敗戦後の日本国憲法(一九四六)の成立による、はじめての信教の自由
一二 土着化の道
再来百年(一九五九)にともなう土着化の反省

 この時期区分はあくまで便宜的な装置である。しかし、日本のキリスト教の歴史的展開に甚大な影響を与えたものが、その政治状況であった点は否みがたい

出典:鈴木範久 著『日本キリスト教史 : 年表で読む』(教文館, 2017.8)

つまり、キリスト教教育機関に学んだ日本人の数は、全人口の一割を数えており、尚且つ、聖書の販売部数が毎年、常に日本の書籍のなかのベストセラーの位置を維持していることが、日本におけるキリスト教徒の数値以上に影響を与えているのだという見解です。次に、日本のキリスト教に大きな影響を与えたことは、日本の政治であり、宗教政策から「前史」「渡来とキリシタン」「禁制と潜伏」「開国と再来」「黙許と第二維新」「公許と制限」「監督下の抵抗と順応」「公認下のキリスト教運動」「軍国化と岐路」「統制下の破争協力と弾圧」「自由と新出発」「土着化の道」と、時期区分できます。その中で、教会建築の歴史は、「開国と再来」「黙許と第二維新」の時代にあたる江戸から明治に変わるときであるといえます。関東で初めて建設されたキリスト教会堂は、下記の教会めぐりでも訪れるカトリック横浜教会(1862年、江戸時代)です。さらに、1872年(明治5)には、日本初の日本人がつくったプロテスタント教会「日本キリスト教会横浜海岸教会」設立され、1873年(明治6)にようやくキリシタン禁制高札撤去されたのです。それ以降も、教会建築の歴史は、現代まで続きますが、教会めぐり【横浜編】にて、歴史の始まりを探求することができます。

教会めぐり【横浜編】

【横浜】一度は訪れたい港町3つの教会めぐり、美術家と祈りの聖堂を拝見
~バラ窓、列柱、尖塔アーチ…戦禍を乗り越えた近代日本最初の教会へ~


一度は訪れたい、横浜の美しい聖堂へ。
関東大震災からの復興、
そして戦禍を乗り越え
大切に守り継がれてきた
祈りの空間です。

今回はなんと、
2つの教会を特別に拝見。

近代日本初の教会、
現在のカトリック山手教会。
美しいステンドグラスに
荘厳なパイプオルガン。
三廊式バシリカの礼拝堂は、
天への上昇感を放っています。

鐘塔がシンボリックな
ゴシック建築の横浜指路教会。
バラ窓、列柱、尖塔アーチ…
横浜大空襲の痕跡も。
厳かで静謐な空間に、
思わず息を呑みます。

ほかにも、日本最古の
プロテスタント教会、
横浜海岸教会もめぐりましょう。

異国の文化が混ざり合う港町。
著書『日本の最も美しい教会』でも
話題を呼ぶ、クリスチャンで
美術家の鈴木さんとともに、
祈りの聖堂を訪ねます。

出典:まいまい東京
https://www.maimai-tokyo.jp/event/tk23d1050/



自著『東京の名教会さんぽ』の冒頭より

 日本のキリスト教は、1549年(天文18)に聖フランシスコ・ザビエルによりもたらされましたが、1587年(天正15)に豊臣秀吉の伴天連追放令や徳川家康による禁教令から1873年(明治6)に禁教の高札が撤去されるまでの300年間、迫害と弾圧に苦しんできました。
 禁教期の中、1859年(安政6)の開港により宣教師が来日し、再び宣教活動が始まりました。それから現在までの約150年間に、「主イエス・キリストと共に生きる喜び」が伝えられ、祈り(信仰)の場がつくられ、美しい教会堂が数多く建てられてきました。
 しかし、明治、大正、昭和、平成の時代は、決して平坦な道ではなく、1923年(大正12)の関東大震災太平洋戦争など幾多の困難にあいながらも、そのたびに乗り越え、教会は現代に受け継がれています。聖書には、以下のような御言葉があります。

一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
(詩篇第46篇6節)

 ある時代は、怒濤の勢いをもって流れても、ある時代は、小川の流れのように静かに流れることもありました。ある時代は、地下深くにその姿を隠して流れることもありました。しかし、一つの川の流れは絶えることがありませんでした。そればかりか、その流れのほとりに植えられた木は、時が来ると決まって実を結びました。主イエス・キリストの愛(アガペー)は、変わることがなく、豊かな恵みを注ぎ続けているのです。

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)


インフォグラフィックで見るキリスト教史

戦国時代から明治時代のキリスト教史
戦国時代から明治時代のキリスト教史

1859年(安政6)~:宣教師らの日本上陸開始。 
(カトリック)ジラール、カション、プティジャン、フュレー
(プロテスタント)長老派 ヘボン、タムソン/改革派 ブラウン、シモンズ、フルベッキ、バラ
/聖公会 リギンズ、ウィリアムズ、スミス/バプテスト派 ゴーブル 
(正教会)マーホフ、ニコライ


日本でのキリスト教伝道

 日本でのキリスト教伝道はカトリック教会のイエズス会*、フランシスコ・ザビエルに始まった。戦国時代のさなか、1549年(天文18)のことだ。ザビエルの離日後も宣教師は続々と来日し、織田信長の庇護を受けることに成功する。大友宗麟や高山右近など、入信するキリシタン 大名も数多く現れた。
 キ リスト教徒の勢力拡大に脅威を覚えた豊臣秀吉は1587年(天正15)、バテレン追放令を発する。豊臣家の没落とともにやがて追放令も空文化するが、徳川幕府が1612年(慶長17)に禁教令を発布。最後のキリシタン大名である有馬晴信が切腹を命じられ、以後江戸期での伝道活動は途絶することになる。
 幕末の通商条約の締結に伴って禁教令の緩和が見られるようになり、プロテスタントを含む宣教師が来日。天皇=神道を中心とする政権運営を考えた明治新政府は1868年(明治元)、高札に禁教を掲示した(「五榜(ごぼう)の掲示」という)。
 しかし諸外国の批判を受け、明治政府は6年後に高札を撤回し、後に公布された大日本帝国憲法も信教の自由を保障したため、日本での伝道もようやく自由化された。
*: イエズス会はカトリック修道会。プロテスタントに対抗し、世界的な布教活動を行った

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)



カトリック山手教会

開港後、最初に献堂された歴史的な教会

カトリック山手教会
切妻屋根に尖頭アーチ形の梁が天への上昇感を感じさせる三廊式バシリカの礼拝堂。中央の祭壇の奥に香部屋がある。また、中央祭壇の上方には、胸の部分にキリストの愛に燃えた心が表された「聖心のイエズス像」がある。右側には現在は使用されていない説教壇がある。壁には、イエス・キリストの十字架に至る歩みを黙想するための「十字架の道行」(14シーン)がある。

 カトリック横浜教区の中心となるのが山手教会。その前身は、1862年(文久2)、横浜居留地に近代日本で初めて建てられた教会「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)である。
 1906年(明治39)には、付近の市街化により現在地に移転。双塔をもつゴシック風の教会堂は威厳のある姿で知られたが、関東大震災によって崩壊してしまう。
 1933年(昭和8)、約10年にもわたる募金活動の末、再建されたのは鐘楼をもったゴシック的な聖堂。設計を手がけたのは、山手教会信徒・チェコ人建築家のヤン・ヨセフ・スワガーだ。
 鉄筋コンクリート造のこの建物は戦満をくぐり抜け、1988年(昭和(3)に横浜市の歴史的建造物に認定されている。

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)

ステンドグラス
チェコのプラハで親しまれている聖母子像。その前に祈っている殉教者ヨハネネポムク神父は天の雲に乗っています。下の光景はモルダウ川に架かるカレル橋。背景はプラハ城と聖ヴィート大聖堂。

左脇祭壇:中央が聖母マリア像、左は1858年フランス・ルルドで聖母のご出現を受けた聖ベルナデッタです。右はイザベラと4歳のイグナチオ、二人は1622年長崎で殉教しました。

中央祭壇:上方の「聖心のイエズス像」は、胸の部分にキリストの愛に燃えた心が表されています。山手教会の固有の名称は「聖心司教座聖堂」(Sacred Heart Cathedral Yokohama) といいます。下方の彫刻は最後の晩餐です。

右脇祭壇:中央が聖ヨゼフ像、右が26殉教者のひとり聖パウロ三木、左が24歳で帰天した聖アロイジオ、下方の彫刻はパンの増加の奇跡です。

カナの婚姻での奇跡:左脇祭壇下
最後の晩餐:中央祭壇下
五つのパンと二匹の魚の奇跡:右脇祭壇下

初代聖堂「横浜市中央図書館所蔵」
初代聖堂「横浜市中央図書館所蔵」
出典:カトリック山手教会
https://catholicyamate.org/history/

1906年、天主堂付近の市街化により移転を行い、山手町44番地(現教会番地)に双塔を持つゴチック風の威風堂々とした聖堂が献堂されました。しかし、1923年の関東大震災によって崩壊、就任間もない主任司祭ルバルべ神父はその犠牲となりました。

出典:カトリック山手教会
https://catholicyamate.org/history/
2代目聖堂「横浜市中央図書館所蔵」
2代目聖堂「横浜市中央図書館所蔵」

その後、約10年の建設募金活動等を経て、1933年に鐘楼をもったゴチック式鉄筋コンクリート作りの美しい現在の聖堂が献堂されました。設計者は山手教会信徒・チェコ人のスワガー氏です。この司教座教会は教区の母なる教会であるだけでなく、1988年に横浜市の歴史的建造物に認定され市の文化的建物でもあります。

出典:カトリック山手教会
https://catholicyamate.org/history/


カトリック山手教会
1874年(明治7年)、フランスから贈られた尖塔の鐘。第2次世界大戦に金属類回収令による回収の危機に見舞われたものの、鐘に刻まれている「NAPOLEON」の文字によりその難を逃れたと言われている
尖塔の鐘
尖塔の鐘

尖塔の鐘は、1874年(明治7年)にフランスから贈られたものです。第2次世界大戦における兵器の製造に必要な金属資源の不足を補う目的で公布された金属類回収令による回収の危機に見舞われたものの、鐘に刻まれている『NAPOLEON』の文字によりその難を逃れたと言われています。

出典:カトリック山手教会
https://catholicyamate.org/history/
カトリック山手教会
横浜教区の母教会であることから司教座が置かれ、司教の紋章が掲げられている。横浜教区は、神奈川、静岡、山梨、長野の4県にわたり、約100の教会がある
教会の中庭にある聖母像は、1868年(明治元年)にフランスから贈られたものである

教会の中庭にある聖母像は、1868年にフランスから贈られたもので、開国後初のキリスト教会として1862年(文久2年)に居留地に建てられたイエズスの聖心教会の入り口の上に人々を見守る形で設置されていたものです。1906年(明治39年)に教会が、現在の地(山手町44番地)に移転した際に現在の場所に移されています。

ジラール神父、ルバルベ神父の遺骨
ジラール神父、ルバルベ神父の遺骨
聖堂内の祭壇の左右の壁には、ジラール神父、ルバルベ神父の遺骨が安置されています。


横浜天主堂
横浜天主堂跡(現カトリック山手教会)に再宣教100周年を記念したイエス像(横浜中華街出入口付近)
横浜天主堂
横浜天主堂跡
横浜天主堂
横浜天主堂跡


カトリック山手教会
カトリック横浜教区聖心司教座聖堂(カテドラル)

教会堂名:聖心大聖堂
設計者:ヤン・ヨセフ・スワガー
建築年:1933年(昭和8)
構造:鉄筋コンクリート造
住所:〒231-0862神奈川県横浜市中区山手町44
電話番号:045-641-0735
礼拝時間:毎日曜日7時30分~ミサ9時30分~ミサ(英語)11時30分~ミサ毎土曜日17時~ミサ19時~ミサ(英語、第2・第4週のみ)※諸集会は、教会のHPを参照
開門時間:月曜日~土曜日7時~16時30分
アクセス:JR根岸線「石川駅」南口より徒歩10分、みなとみらい線「元町中華街駅」より徒歩15分※別路線有

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)

↓カトリック山手教会の天主堂跡(横浜中華街出入口付近)

各教区の巡礼指定教会・聖堂
特別聖年の間、各教区の司教座聖堂や、教区司教によって指定された教会・聖堂を訪問することで、免償を得ることができます

現時点で、各教区から公表されている、巡礼指定聖堂は以下の通りです。
(2015.12.22)
◎長崎・中町教会、追加。(2016.1.20)


札幌教区
札幌カテドラル北一条教会(北海道)
旭川五条教会(北海道)
根室教会(北海道)
帯広教会(北海道)
北見教会(北海道)
宮前町(函館)教会(北海道)
苫小牧教会(北海道)

仙台教区
仙台カテドラル元寺小路教会(宮城)
弘前教会(青森)
十和田教会(青森)
四ツ家教会(岩手)
水沢教会(岩手)
・大籠教会(岩手)
古川教会(宮城)
原町教会(福島)
野田町教会(福島)

新潟教区
新潟カテドラル新潟教会
高田教会(新潟)
山形教会(山形)
秋田教会(秋田)

さいたま教区
さいたまカテドラル浦和教会(埼玉)
前橋教会(群馬)
松が峰教会(栃木)
水戸教会(茨城)

東京教区
東京カテドラル聖マリア大聖堂(関口教会・東京)
神田教会(東京)
築地教会(東京)
麹町教会(東京)
八王子教会(東京)
西千葉教会(千葉)

横浜教区
横浜カテドラル山手教会(神奈川)
浜松教会(静岡)

名古屋教区
名古屋カテドラル布池教会(愛知)

京都教区
京都カテドラル河原町教会(京都)
福知山教会(京都)
鈴鹿教会(三重)

大阪教区
大阪カテドラル聖マリア大聖堂(玉造教会・大阪)
仁豊野ヴィラ(兵庫)

広島教区
世界平和記念聖堂(広島カテドラル幟町教会・広島)
山口教会(山口)
米子教会(鳥取)
岡山教会(岡山)
津和野教会(島根)

高松教区
高松カテドラル桜町教会(香川)
徳島教会(徳島)
中島町教会(高知)
松山教会(愛媛)

福岡教区
福岡カテドラル大名町教会(福岡)
佐賀教会(佐賀)

長崎教区
長崎カテドラル浦上教会(長崎)
滑石教会(長崎)
相浦教会(長崎)
平戸ザビエル記念教会(長崎)
青方教会(長崎)
福江教会(長崎)
大浦教会(長崎)
・聖フィリッポ教会(日本二十六聖人記念聖堂・長崎)
中町教会(長崎)

大分教区
大分カテドラル大分教会(大分)
宮崎教会(宮崎)
・野津のルルド(けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 恵の聖母修道院内・大分)

鹿児島教区
鹿児島カテドラル ザビエル教会(鹿児島)
名瀬教会(鹿児島)
母間教会(鹿児島)

那覇教区
那覇カテドラル開南教会(沖縄)
安里教会(沖縄)
宮古島平良教会(沖縄)
石垣教会(沖縄)

出典:https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/holyyear/jubileemercy/pilgrim/



日本キリスト教会 横浜海岸教会

日本人がつくった日本初のプロテスタント教会堂

日本キリスト教会 横浜海岸教会
三廊式バシリカ礼拝堂は、身廊部分が切妻形で側廊部分が水平の天井を有している。大改修の際、横方向の強度を上げるために、縦長開口部の中央部分に梁を入れている

 日本人による初のプロテスタント教会である日本基督公会が設立されたのは1872年(明治5)のこと。その3年後には横浜海岸教会と改称されて、現在の開港広場に100名以上収容できる旧教会堂が献堂された。
 現在の教会堂は、関東大震災から10年後の1933年(昭和8)に建築家雪野元吉※の設計によるもの。2015年には1年以上にもおよぶ大改修が行われ、今も大切に使われている。
 内部の礼拝堂は、パシリカ式教会堂の特徴的なクリアストーリー(高窓)のほか、ゴシック的な意匠である尖頭アーチを含む多様なアーチの意匠が見られる。細長い開口部が両側廊側にいくつもくり貫かれた、明るい礼拝堂となっている。中央通路(身廊)上部の切妻形の梁は、鉄筋コンクリート構造で、着色したラワン合板が取り付けられ、礼拝堂を上品な雰囲気に仕上げている。

※雪野元吉(1897-1945)名古屋生まれの横浜育ち。東京美術学校(現東京芸大)建築学科出身。宮内省内匠寮に務めながら数々のコンペに入賞。1938年(昭和13)に内匠寮を辞める前に横浜海岸教会を設計している


 教会の歴史であるキリスト教伝道は、ジェームス・ハミルトン・バラ宣教師らによって創設されたバラ塾(聖書をテキストとして英語を教える私塾)により始まる。塾生には、外務大臣・逓信大臣の林董、総理大臣・大蔵大臣の高橋是清、三井物産の創始者益田孝、東京大学の初代医学部長である三宅秀、東京・横浜毎日新聞社長、改進党党首の沼間守一らがいる。

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)
日本キリスト教会 横浜海岸教会
1945年(昭和20)の横浜大空襲の際には、当時の渡辺連平牧師が、教会堂の屋根に登って焼夷弾による建物の延焼を食い止め、教会堂を守り、今に受け継がれている
日本キリスト教会 横浜海岸教会
祭壇上部は、蝋燭の光を象徴した意匠を施したアーチである。ロマネスク的な柱頭やモールディングには、職人の技巧が見られる
日本キリスト教会 横浜海岸教会
礼拝堂開口部は、ゴシック的な尖頭三弁アーチの意匠が施されている。大改修の際、外観の印象を一切変えないために、壁厚を15cm内側に増している 


石の小会堂(1868年11月献堂)
石の小会堂(1868年11月献堂)
1868(明治元)年には現在の横浜海岸教会が建つ場所に小さな石造りの小会堂を建設。
小会堂は大きさや形から、『聖なる犬小屋』と呼ばれていた。
花壇を囲む石は、バラ宣教師が初期に建てた石造りの小会堂の遺構
最初の大会堂(1887年 創立15周年記念写真)
木造仮会堂 (1925年3月献堂)

横浜海岸教会の歴史

西暦1859年、まだキリシタン禁教の時代に日本にキリストの福音を伝えようと、海外から非常な危険を冒して多くの宣教師等が日本に上陸して来ました。その年、神奈川に渡来したのは米国長老派教会の、J.C.へボン、米国改革派教会の、S.R.ブラウンなどでした。1861年11月には、米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻が神奈川に渡来しました。

彼等はまず横浜で英語私塾を開き、同時にキリスト教の開拓的伝道のための準備を始め、1868年11月には現在の横浜海岸教会の所在地(居留地167番)に、J.H.バラの依頼によって横浜在住の外国人のための礼拝所・日本人のための英語教場として、石造りの小会堂が建設されました。J.H.バラは小会堂を利用して20数名の学生を教えました。(バラ塾)

1872年2月9日(明治5年1月1日)より、バラ塾で学んでいた篠崎桂之助(しのざきけいのすけ)ら青年達の申し出により初週祈祷会(旧暦)が開かれました。そこで連日熱心な祈りがささげられ、同年3月10日(明治5年2月2日)J.H.バラ(写真)によって洗礼式が行われ、篠崎桂之助以下9名のが受洗しました。同日、既に他所で受洗していた2名を加え、11名で日本基督公会を設立し、バラが仮牧師となり、小川義綏(おがわよしやす)が長老、仁村守三(にむらもりぞう)が執事に就任しました。この日が横浜海岸教会の創立記念日となっています。

小会堂はたいへん狭かったので、設立当初の日本基督公会の主日礼拝は、午前は居留地68番のゲーテ座、午後は居留地39番のJ.C.ヘボン診療所の礼拝堂を借りて守られました。J.H.バラらの尽力により3年後の1875年7月10日にに400名以上の収容が可能な大会堂が献堂され、同時に「日本基督横浜海岸教会」と改称されました。その後1877年10月3日に日本基督公会と日本基督長老公会が合同し、「日本基督一致教会」が設立されました。1887年12月3日に「日本基督一致教会」は「日本基督教会」に改称され「日本基督教会信仰告白」が制定されました。

大会堂は横浜在留米国人のための超教派の横浜ユニオン教会(1863年にS.R.ブラウンの呼びかけによって設立)と、1910年に山手49番にユニオン教会の会堂が献堂されるまでの間、共同で使用していました。

その後、1921年に会堂は所有者であった米国改革派教会外国伝道会社より、横浜海岸教会に無償譲与されました。同年、献堂後46年経過して痛みが進んだ会堂の大改修を実施し、12月25日に工事を完了しました。しかし、僅かその2年後の1923年9月1日の関東大震災で教会堂は倒壊、焼失し、灰塵に帰してしまいました。

その後、1925年献堂の木造仮会堂を経て、現在の会堂は1932年末に竣工し、1933年3月12日に献堂されたものです。1941年6月にプロテスタントの主な教派が合同し日本基督教団が設立され、日本基督教会は同第一部となりました。会堂の建物は1945年5月の横浜大空襲の際には、当時の渡辺連平牧師が、会堂の屋根にのぼって焼夷弾による建物の延焼を食い止め、会堂を守ったそうです。その結果、会堂は窓ガラス数枚を壊しただけで大きな被害は免れました。しかし、1945年9月には進駐軍 ( Eighth U. S. Army ) に接収され、" Yokohama Base Chapel " として従軍牧師による各教派の礼拝や、G. I. ゴスペルアワーのなどのために使われました。接収されていた期間の海岸教会の礼拝は米軍が使用しない午後に守られました。2年後の1947年に横浜公園にチャペルセンターが完成してようやく接収解除され、現在に至っています。1949年1月に横浜海岸教会は日本基督教団を離脱しました。1951年1月に日本基督改革派教会に加入、1952年9月に日本基督改革派教会を離脱し、単立となります。その後、1959年に日本キリスト教会に加入し現在に至ります。

毎週の主日礼拝は、第二次大戦中のキリスト教弾圧の時代にあっても一回も欠かすことなく守られてきました。受洗者総数は関東大震災によって記録焼失のため詳細不明ですが、累計すれば約6,000名を下らないものと推計されます。

出典:横浜海岸教会
https://www.kaiganchurch.or.jp/横浜海岸教会の歴史/


日本キリスト教会 横浜海岸教会

教会堂名:ー
設計者:雪野元吉
建築年:1933年(昭和8)
構造:鉄筋コンクリート造
住所:〒231-0021 神奈川県横浜市中区日本大通8
電話番号:045-201-3740
礼拝時間:毎日曜 9時~10時 子どもの礼拝(日曜学校) 
10時30分~11時40分 大人の礼拝
一般公開日時:毎月第3金曜日 10時~15時
アクセス:みなとみらい線「日大通り駅」3番出口より徒歩3分 ※別路線有

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)



日本基督教団 横浜指路教会

ローマ字の考案者、ヘボンゆかりの教会堂

フランスの初期ゴシック建築であるフランスのサン・ドニ修道院堂やパリのノートルダム大聖堂のような教会堂

 1859年(安政6)、開港直後の横浜にアメリカ長老教会から派遣された宣教医へボンが夫人とともにやって来る。
 やがてへボン塾※1で学んでいた青年たちを中心にして、教会創立の気高まり、1874年(明治7)、アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師として横浜指路教会※2が創立した。
 ヘボンの尽力により建築した旧教会堂は、フランス人建築家ポール・サルダによる赤レンガ造の教会堂であったが、関東大震災により倒壊。震災後の1926年(大正15)に現在の教会堂が再建された。特徴は先代と同様のシンボリックな鐘塔、正面入口の尖頭アーチ、列柱、バラ窓※3などのゴシック風の意匠だ。横浜大空襲では建物内部が全焼するなど、幾多の厳しい事態に直面しながらも、キリストの御言葉と信仰によって乗り越え、1世紀近くにおよぶ長い時間、この地に存在し続けている。

※1:ヘボン塾はヘボンによって設立された私塾。後の総理大臣になる高橋是清や日本における百貨店の創始者となる佐藤百太郎らが学んだ
※2:ヘボンの母教会の愛称をいただいて指路教会とする。「シロ」は旧約聖書において、「平和を来らす者」すなわちメシヤを示す意味、および古い時代の聖なる町の両方に用いられている
※3:ゴシック建築を象徴する要素の1つで、ステンドガラスでつくられた円形の窓のこと


宣教医ジェームス・カーティス・ヘボン(JamesCurtisHepburn)は、医師として近代医術を横浜で伝え、日本初の和英辞典『和英語林集成』の編修やヘボン式ローマ字の考案、明治学院大学の創設など多大な功績を残している。

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)
2階の礼拝堂は、大きな尖頭アーチ形の開口部から射し込む光が簡素で静謐な雰囲気を醸し出している。装飾がないシンプルな長老系のプロテスタント礼拝堂。聖壇には、十字架もかけられていない
4層を成して重なる正面入口の尖頭アーチを支える柱の柱頭彫刻
ゴシック建築を象徴する要素の一つであるバラ窓は、11の正円で構成された尖塔アーチ形である
1892年に建設された教会堂
1892年に建設された教会堂
出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/service/history/

アメリカ長老教会から派遣された宣教医J.C.ヘボン(James Curtis Hepburn)が日本にキリスト教を伝道する志を持って夫人とともに来日したのは、1859年(安政6年)10月のことでした。 やがてヘボン塾で勉強していた青年たちを中心にして、教会設立の気運が起こり、1874年(明治7年)9月13日、アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師として設立されたのが当教会です。

教会は最初の横浜居住地39番から、現在地、太田町、住吉町を経て1892年(明治25年)再び現在地に戻り、ヘボンの尽力により赤レンガの教会堂が建てられました。その時ヘボンの母教会の名”Shiloh Church” をいただいて指路教会としました。「シロ」は旧約聖書において、「平和を来らす者」すなわちメシヤを示す意味、および古い時代の聖なる町の両方に用いられています。

1923年9月関東大震災によって教会堂が倒壊したのち現在の教会堂が再建されましたが、1945年5月の横浜大空襲によって内部が全焼しました。その後も幾多の厳しい事態に直面しながらも、いつもキリストのみ言葉と信仰によって、今日まで伝道の使命を果たしてきました。
2000年12月には、創立125周年記念事業の一つとしてスイス/マティス社のパイプオルガンが設置されました。

現在も、長老教会の伝統を重んじつつ、「イエス・キリストの福音が正しく語られ、誠実に聞かれる」教会でありつづけることを求めて進んでおります。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/service/history/

↓牧師先生の素晴らしい祈りと、明解な聖書の説き明かしである説教を聴けます


聖書が教える7つの幸せ

① 心の貧しい人々

■家庭集会説教 /牧師 藤掛 順一

◆ 心の貧しい人の幸い

マタイによる福音書 第5章3節

1.幸いの教え(3~12節)

幸いになるための条件

「幸福(さいはひ)なるかな、心の貧しき者」(文語訳聖書)

「あなたがたは幸いだ」という主イエスの宣言

2.「貧しい」とは

完全に無一物であることを表わす言葉。生活に余裕がなくて苦しい、という貧しさを表わす言葉は別にある。ここで用いられている言葉は、全く何も持っていない、乞食をして、物乞いをして生きるしかない、という意味。

3.心の貧しさ

「心において貧しい」とは

自分の心の中には、寄り頼むべきもの、支えや誇りとなるものは何一つない、ということ。私たちは、心の豊かさを求めている。たとえ生活は貧しくても、心は豊かでありたい、と思っている。ところが、「心の貧しい人々」というのは、そのような心の豊かさを失っている人のこと。
自分の中に、自分を支える拠り所となる心の豊かさを全く持っていない者のこと。そういう者が幸いだ、という宣言。

4.間違った理解

教会の歴史においてしばしば、「心の貧しい」とは「謙遜な、へりくだった」という意味だ、という解釈がなされてきた。しかしそれは間違い。「謙遜」は、「貧しい」という言葉の意味とは違う。
さらに謙遜はそれ自体が一つの美徳になり、自分を支える拠り所、誇り、心の豊かさとなる。自分の謙遜さを誇る、ということも起る。 あるいは、心の貧しさということについて、これは世間で言われる悪口としての「あの人は心の貧しい人だ」ということとは違う、と説明しようとすることがある。世間で「あの人は心が貧しい」と言われる時、その意味は、心が狭い、親切でない、愛がない、人を受け入れる度量がない、気持ちに余裕がない、という意味。このみ言葉の「心の貧しい」はこれとは違うと主張する時、私たちは「心の貧しい」ということを、欠点としてではなく、「謙遜」のような一つのよい資質として考えようとしている。
しかし「心の貧しさ」とは、よい資質を持っていることではない。むしろそういう良さがないこと、誇り得るような、拠り所とすることができるような、まさに心の豊かさが何もないことが「心の貧しさ」。だから「心の貧しい者」というのはやはり、心が狭い、愛がない、度量がない、気持ちに余裕がない人だと言える。

5.ルカによる福音書との比較

「貧しい人々は、幸いである」(ルカによる福音書6章20節)

ルカの方が主イエスがお語りになった形であり、マタイがそこに「心の」をつけ加えて、この教えを精神的なものへと変質させ、この教えの強烈さをやわらげ、そこそこに富んでいる、豊かな人々のつまずきを取り除こうとした、と説明されることがある。しかしその読み方は浅薄。そこには、「貧しい人々は」と言うよりも、「心の貧しい人々は」と言った方がつまずきがなくなるという前提があるが、それは間違い。「貧しい人々は幸いだ」というのなら、私たちだって大金持ちに比べれば貧しいのだからその分幸いだとも言える。自分は貧しくても心豊かに生きていると誇りをもって言うこともできる。しかし「心の貧しい人々は幸いである」と言われたら、そんなことは言えなくなる。自分はそこそこに貧しい、と安心することもできなくなるし、財布の中はともかく、心だけは豊かだという自負も打ち砕かれてしまう。「心の貧しい人は」の方が、ずっと強烈な、容易には受け入れ難い教え。

6.心の貧しさは幸いではない

「心が貧しい」ことは、幸いであり得ない私たち人間の現実。私たちは、自分は貧しくても心は豊かだ、と思いたいが、現実には、私たちの心は、豊かでも広くもなく、愛に富んでもいない、人を、特に自分と意見や考え、感覚が違う人を受け入れる度量もない、自分の思いに反することを、まずは冷静に受け止め、相手の考えや状況をよく理解して、思い遣りをもって対話していくような心の余裕もない、すぐにイライラとし、かっとなり、八つ当たりし、人を責めることに熱心になっていく、要するに、私たちはまことに心の貧しい者。それは決して幸いなことではない。

そのような心の貧しさのゆえに、様々な問題が、争いが、困難が起って来る。

7.主イエスの宣言

このような私たちの現実の中に、「心の貧しい人々は、幸いである」という主イエスのお言葉が響く。
それは「このように見方を変えれば幸いだと言える」ということではない。主イエスが「幸いである」と言われるのは、心の貧しい者である私たちに、主イエスを通して、神様が与えて下さるものがあるから。

「天の国はその人たちのものである」これが幸いの理由。

8.神様のご支配

天の国=神の国

「国」とは王国、支配という意味
天の国=神のご支配
天の国=私たちの救い
「天の国は近づいた」が主イエスの伝道第一声

その天の国が与えられることが、心の貧しい人の幸い。
どうして心の貧しい人にそれが与えられるのか、それは、心の貧しさという良い資質に対するご褒美としてではない。心の貧しい人ほど、それを本当に必要としているから。自分の心の中に、拠り所となるもの、誇るべきものを何も持たない、豊かさがない、愛がない、度量も狭い、そういう者は、神様の救いに寄り頼むしかない。天の国を求めるしかない。
神様は、そのように天の国を本当に必要としている者たちに、深い憐れみと恵みによってそれを与えて下さる。そこに心の貧しい人の幸いがある。

9.天の国はどのようにしてその人たちのものとなるのか。

神の独り子主イエス・キリストによって。主イエスが、心の貧しい者である私たちのために、人となり、私たちの心の貧しさを、言い替えれば罪を、全てご自分の身に背負って十字架にかかって死んで下さった、このことによって、私たちの罪は赦された。
心の貧しい者である私たちを、主イエス・キリストが背負って下さった。そして「あなたは幸いだ、喜びなさい」と言って下さった。
「あなたはもう、自分の中に豊かさを持とうとしなくてよい。自分の心を豊かにすることに必死にならなくてよい。そういう豊かさが自分の中にないと生きていけないということはもうない。あなたがどんなに貧しい者であっても、誇るべきものを、これだけは人に負けないと自負できるようなものを何も持っていなくても、私はあなたを愛する。あなたを背負い、支えている。だからあなたは幸いなのだ。大いに喜んで、安心して生きていってよいのだ。」

10.私たちに求められていること

この教えが私たちに求めているのは、主イエスからこの幸いをいただいて、喜んで生きること。

心の貧しい人になろうと努力せよ、と求められているのではない。私たちはもともと心の貧しい者。そのことを認めて、その私たちに、主イエスが、十字架の死と復活によって天の国を、神様の恵みのご支配を、救いを与えて下さる、その恵みに寄り頼み、感謝して、喜んで生きる、それが私たちの信仰による生活の基本。
その幸いの中でこそ、私たちの貧しい心は次第に広げられていき、豊かにされていき、愛や思い遣りの心、人を受け入れる度量が与えられていく。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/心の貧しい者の幸い/

② 悲しむ人々

■家庭集会説教 /牧師 藤掛 順一

◆ 悲しむ人々の幸い

マタイによる福音書 第5章4節


1.悲しんでいる人が何故幸いなのか?

この言葉は以下のように読まれることが多かった。

 「この悲しみとは、自分の罪を嘆き悲しむこと。つまりこの幸いは、悔い改める者の幸い。
 悔い改めこそが、神様から与えられる本当の祝福、幸いへの道である。 自分の罪を悲しむことは、他者の罪を悲しむことにもつながる。そこには、人の罪をただ批判し裁くのではなく、それを共に嘆き悲しむ姿勢が生まれる。そのような働きかけによって、罪を犯している者が悔い改めへと導かれていく。
またそれは、この世に起る様々な悲惨な出来事、人間の罪が引き起こす苦しみの現実を悲しむことにもつながる。戦争、難民、飢餓、災害、南北問題…
これらの現実を悲しむところから、何とかしていこうとする努力が生じる。 人の悲しみへの共感、同情はとても大事。人の悲しみを自分の悲しみとする感受性は、自分自身の悲しみの中で育てられる。悲しみを知っている者こそが、人の悲しみを思いやり、人と心を通わせることができる。
そういう意味で、悲しむ人々は幸いであると言うことができる。」

しかしこのように理解し、説明する時に、この言葉は私たちから遠く離れた、別の世界の事柄になってしまうのではないか。私たちは、自分の罪を嘆き悲しむよりもむしろ、いろいろと言い訳をし、人のせいにしてしまう。人の罪を悲しむよりもそれを喜び、興味の対象とし、優越感にひたっている。
また本当に悲しんでいる時には、自分のことで精一杯で、人のことをかまっている余裕などなくなる。それが私たちの現実ではないだろうか。

「悲しみはこのような意味で幸いなのだ」と説明するどのような言葉も、私たちの現実の具体的な悲しみの前では力を失い、私たちとは遠く離れた別世界の話になってしまう。

2.宣言された幸い

 主イエスは、悲しむ人々はこういう意味で幸いなのだ、という説明をしてはいない。主イエスが語っているのは、悲しむ人々は幸いであるという宣言。このような悲しみならば、という限定も、このような見方をすれば、という留保もない。私たちはそれぞれが、様々な悲しみをかかえている。その私たち一人一人に対して、「悲しむ人々は、幸いである」と宣言されている。この宣言によって主イエスは、悲しんでいる私たちの現実のただ中に、幸いを作り出そうとしておられる。

その幸いとは何か。
それは「その人たちは慰められる」ということ。
悲しむ人々には、慰めが与えられる、そこに、悲しむ人々の幸いがあると主イエスは言われる。

3.慰めとは何か

 私たちは、悲しみは人それぞれに違っており、だから慰めも人によって違うものとなると考える。
「慰め」を、悲しみの原因の解決、解消と考えるならばその通り。しかし「慰められる」とは、問題の解決や解消ではなく、悲しみの現実の中で、その重荷を背負って生きていく力を与えられること。慰められることによって、悲しみがなくなるのではなく、悲しみを背負って生きていく力を与えられる。
「慰める」という言葉は、「励ます」、「勧める」とも訳される、広がりを持った言葉。
そのもとの意味は「傍らに呼ぶ」。慰めは、傍らに呼んで下さる方がおられるところに与えられる。私たちを傍らに呼んで、慰めと励ましと勧めを与えて下さるのは主イエス・キリスト。
「その人たちは慰められる」とは、主イエスご自身が、悲しむ者たちを傍らに呼び、ねんごろに慰めを与えて下さる、という宣言、約束。

4.どこで慰めを受けるのか

私たちはどこで主イエスの傍らに呼ばれるのか。
日曜日の礼拝の時間に、人生の戦いからしばし離れて、監督が試合の途中にタイムをかけて選手たちを呼ぶように主イエスのもとに呼ばれ、慰め、励まし、勧めを受けるのか。しかし人生にタイムはない。私たちは、自分の悲しみの全てをかかえたままで礼拝に集う。そこで主イエスの傍らに呼ばれることが起る。
それは実は、主イエスの方が、悲しんでいる私たちの傍らへと来て下さり、ねんごろに語りかけて下さるということ。主イエス・キリストがこの世にお生まれになったことにはそういう意味がある。私たちは、主イエスの傍らに呼ばれるのではなくて、主イエスご自身が、私たちの傍らにまで降りて来て下さって、悲しんでいる私たちの傍らに立って下さっている。悲しみにおしつぶされそうになっている身をひきずるようにして、私たちは礼拝に集う。そしてそこで、私たちのために苦しみと死とを引き受けて下さった主イエス・キリストが、傍らにいて、私たちを担い、支えていて下さることを示される。そして慰めを受ける。

5.悲しみを背負って

 悲しみの現実はなお変わることなく私たちの重荷としてある。しかし、その下にある私たちが、傍らに共にいて下さる主イエスとの出会いによって、主イエスが悲しむ私たちを担って下さることによって、悲しみに押しつぶされることなく、それを背負って立ち上がり、新しい一歩を踏み出していく力を与えられる。その力は私たちの中にあるものではない。主イエス・キリストの父なる神様から与えられるもの。主イエスによって、父なる神様が、私たちをご自分のものとして傍らに置いて下さる。それによって大きな力が与えられ、それぞれの悲しみを背負いながら、共にいて下さる主イエスに支えられて歩む者とされる。
その歩みの中で、慰めを与えられる。悲しむ人々が幸いであるのは、この慰めのゆえである。

3節の「心の貧しい人々は、幸いである」という教えにおいて、心の貧しいことそれ自体が幸いなことではなかったように、「悲しむ人々は幸いである」という教えも、悲しみそれ自体が幸いであったり、価値があったりするわけではない。悲しみをも無理に幸いと思わければならないのではない。私たちのために十字架の苦しみと死とを受けて下さった主イエス・キリストが傍らにいて下さることによって、悲しむ私たちが慰められる。
その慰めをいただきつつ歩む時に、私たちの悲しみは、意味のあるものとなる。
人の悲しみに共感する感性が与えられていくというのもその一つ。自分の罪を悲しみ、悔い改めることも、この主イエスによる慰めの中でこそできる。そして人の罪を悲しみ、それを責めるのではなく共に嘆き悲しみ、共に悔い改めへと至るということも、主イエスによる慰めを与えられている者にこそできること。
主イエス・キリストによる慰めの中で悲しむ者は幸いなのである。

6.あなたは悲しんでよい

 信仰者はいつも喜んでいなければならない、という強迫観念に捉えられる必要はない。
主イエスはここで、悲しむ人々の幸いを語られた。「あなたがたは悲しんでよいのだ、泣いてよいのだ。ただ、忘れないでほしい、その悲しんでいるあなたの傍らに、私がいる、泣いているあなたの隣に私がいて、慰めを与えようとしている、あなたがたの悲しみは、その慰めの中にあるのだ」。

この慰めの中で生きることが信仰。

「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5・16)というのは、悲しみなどないかのように、あってもおし隠して生きよということではなくて、この慰めに支えられて、悲しみを背負って歩みなさいということである。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/悲しむ人々の幸い/

③ 柔和な人々

家庭集会説教 /牧師 藤掛 順一

◆ 柔和な人々の幸い

マタイによる福音書 第5章5節


1.柔和とは

 「穏やかな、やさしい」、しかし「軟弱」ではない、本当の強さに基づくもの。
 「柔和」と訳されている聖書の言葉は、「中庸な」という意味
  怒るべき時に怒り、怒るべきでない時には怒らない、強い自己制御能力
 「訓練を受けている人びとの祝福」(ウィリアム・バークレー『山上の説教に学ぶ』)
 このような柔和さを持っている人は確かに幸いだと私たちは思う。

2.幸いだから柔和になれる?

  しかし私たちは次のようにも思うのでは?
 「柔和になれるのは幸いな人だけだ。私はとてもそんなにおっとりと構えていられるような状態にない。私は柔和に生きることができるほど幸いではないし、そんな余裕はない」

3.詩編37編

 この教えは旧約聖書、詩編第37編11節からの引用

 「貧しい人は地を継ぎ」(「しかし柔和な者は国を継ぎ」、口語訳聖書)
 「柔和な」という新約の言葉は、この個所の「七十人訳」(ギリシャ語訳)による。
 「柔和」という言葉の背後には、「貧しい」という言葉がある。
 詩編37編において「貧しい人」とはどのような人か。

 「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ」(9節)
 「神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる」(22節)

 …「貧しい人」とは、主に望みをおき、神の祝福を受ける人
 「地を受け継ぐ」=神の豊かな祝福の中に生かされる
 この「貧しい人々」は、7、8節のような苛立ちの中にある
 「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない」(7、8節)。
 悪事を行う者が繁栄し、豊かに富み栄えているという現実がある。それに対して、主なる神に従い、正しいことをして歩もうとする自分たちは、かえって苦しみを受け、いつまでも貧しい者であり続けている、という苛立ち。(1節も)
 いっそのこと自分も彼らと一緒になって悪事を謀り、自分の豊かさを追及した方がよいのではないか、という苛立ちの中にある者たちに対して、苛立ってはならない、沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれ、主に望みを置け、貧しい人は地を継ぐのだ、あなたがたは神の豊かな祝福の約束を与えられているのだ、とこの詩は語っている。
 つまり「柔和な人々」とは、決して幸いな、力と余裕のある人ではない。むしろ弱く貧しく力ない者が、神に従って生きようと必死になっている、しかし悪い者の方が富み栄えていくというこの世の現実の中で、押しつぶされそうになり、いっそ自分の好き勝手に生きていこうか、という苛立ちの中にある、そういう者こそがここで見つめられている。
 私たちもしばしばこのような苛立ちを覚える。自分の弱さ、乏しさを嘆き、こんな自分の力では、こんな状況では、柔和になどなっておれない、なぜ神はもっと力を与えて下さらないのか、なぜもっとよい条件の下に置いて下さらないのか、とうらみつらみを言いたくなる。

主イエスはそういう私たち一人一人に、「柔和な人々は幸いである」と語りかけておられる。

4.柔和に生きることこそ幸い

 詩編37編が教えているのは「柔和に生きよ」ということ。
 悪事を謀る者が繁栄している現実の中でも苛立たずに、主に従う道に踏み止まれ、とこの詩は教えている。それは苛立ちまぎれに神を否定するような不信仰に走らず、しっかり自らを制御せよということ。そこにこそ神からの祝福、恵みが約束されている。
 自分は貧しいから、余裕がないから、柔和になれない、と言っていたのでは救いはない。力も余裕もなく、苦しみと悲しみに翻弄され、苛立ちを覚えずにはおれない私たちが、そのような中で、沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれ、主に望みを置く、その柔和さによってこそ、私たちは信仰による幸いにあずかることができる。
 柔和になれないとは、苛立ちに負けること。
そこでは、沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれるのではなく、自分が語りだし、自分の力で何とかしようとすることが起る。自分の思いに従って事を裁こうとするようになる。その裁きは、背後に苛立ちや怒りがある限り、幸いを生まない。

人を本当に救う働きは、怒りや苛立ちによってではなく、柔和さによってこそなされる。

5.真実に柔和な方、主イエス・キリスト

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(11章28、29節)

 主イエス・キリストは柔和で謙遜な方。苛立ちに負け、怒りに任せ、力に任せて事をなすのではなく、私たちの罪を黙って背負い、十字架の死への道を歩いて下さった。主イエスの柔和さによって、私たちの罪の赦し、救いが実現した。そして主イエスは私たちにも、この柔和さの道を歩むことを求めておられる。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」。それは決して負いきれない重い軛ではない。「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」。それは主イエスが大部分を背負っていて下さるから。私たちはこの主イエスにつながって、主イエスと共にその軛を負い、柔和に生きる。

 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」(21章5節)。

 「柔和な王」としてエルサレムに来られた主イエスは、その週の内に十字架につけられた。主イエスが「柔和な方」であるとは、十字架の死への道を黙って歩まれたこと。その柔和さのゆえに、私たちの救いが実現した。
 真実に柔和な方である主イエス・キリストの十字架の死によって、罪の赦しの恵みを与えられた者が、主なる神のみ前に沈黙し、主に望みを置き、その恵みのみ業を待ち望みつつ生きるところに、真実の幸いが与えられる。
 十字架の死に至る柔和な歩みを歩み通された主イエスは、復活して天に昇り、父なる神の右に座して、今や私たちを、この世界を、支配しておられる。つまり地を受け継いでおられる。今はまだ隠されているその主イエスのご支配を信じて生きることが私たちの信仰。
 つまり私たちの信仰は、主イエスが、その柔和さによって地を受け継いでおられることを信じること。そして柔和な方である主イエスのご支配に支えられて生きること。主イエスの柔和さに支えられて、私たちもまた、様々な苦しみ悲しみがあり、悪を行う者がむしろ栄えていくようなこの世の現実の中にあっても、苛立ちに負けることなく、沈黙して主を仰ぎ、主に望みを置く柔和な者として生きることができる。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/柔和な人々の幸い/

④ 義に飢え渇く人々

■家庭集会説教 /牧師 藤掛 順一

◆ 義に飢え渇く人々の幸い

マタイによる福音書 第5章6節


1.マタイの教えは抽象的?

「今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。」
(ルカ福音書6章21節)

 ルカの具体的な教えが、マタイでは「義に」という精神的、抽象的な教えに変えられている
 ←「義に飢え渇く」などというのは、生活に余裕がある者のぜいたくな飢え渇きだ
 →自分はまだ義に飢え渇いているような余裕はない。

2.ルカの教えの意味

「今飢えている人々は」
=今この世において「あなたがたは満たされる」
=神の国においては、満ち足りることができる。
=「金持ちとラザロ」の話(ルカ福音書16章)
 主イエスは、飢えている人々の具体的空腹を満たそうとはしていない(荒れ野の誘惑)。  この世の不公平、不平等が、そのままで終ることはない、飢えに苦しんだ者には、神の国において満ち足りる喜びが与えられ、それによって神の正しさ、正義が貫かれる。 本当の飢えは、食物の乏しさよりも、神の正義が貫かれず、神が自分の苦しみを無視している、という絶望。主イエスは人々のその絶望に目をとめ、神はあなたがたの苦しみを見ておられ、神の国においてあなたがたをねぎらい、飢えを満たして下さるのだ、と語られた。それがルカにおけるこの教えの意味。

3.私たちは義に飢え渇いている

 「義に飢え渇く」のは、生活に余裕のある人のみが覚える、精神的、抽象的な、贅沢な飢え渇きではない。私たちの具体的な生活における、深刻な飢え渇き。私たちはこの世の人生において、神の正しさ、正義はどこにあるのか、自分の苦しみをちゃんと見ておられる神がおられるのか、という問いを感じる。それが義に対する飢え渇き。私たちは様々な苦しみの中で、常に、神の義、神の正しさが貫かれ、実現することに飢え渇いている。

 詩編42編参照
「お前の神はどこにいる」という嘲笑による渇き
「なぜ、わたしをお忘れになったのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ、嘆きつつ歩くのか」という渇き

4.この社会、世界において義に飢え渇く

「義に飢え渇く」は、自分の人生における自分のための義に飢え渇くのみではなく、この世界に存在する不正義、不平等に目を向け、義に飢え渇いている隣人のことを思い、そこでなすべき正義を行なっていくことをも意味している。(「金持ちとラザロ」の話)

5.その人たちは満たされる

 義への飢え渇きは、私たちの苦しみ悲しみが解決することによって満たされるのではない。  神の義は、独り子イエス・キリストの十字架の死において貫かれている。  まことの神であられる方が、私たちの罪の赦しのために、苦しみを受け、命を捨てて下さった。神の正しさはそこに貫かれている。そのことによって私たちは救われた。 もしも神の正しさが、人間に正しさを求め、正しい者のみを救い、悪い者を滅ぼすとい う形で貫かれたとしたら、私たちは救われない。そこでは、神の正しさが貫かれると、 私たちが滅ぼされることになる。神の正しさが貫かれ、なおそこで罪人である私たちが 救われるためには、独り子主イエスが、十字架の苦しみと死とを引き受けなければなか った。神の独り子が、私たちのために、私たちに代わって滅ぼされて下さったことによ って、神の正しさは私たちを滅ぼすものではなく、救うものとなった。神の義はこのよ うにして貫かれた。
主イエスによって貫かれ、満たされた義は、神の恵みであり、私たちの救いである。

6.主イエスに従うことの中で

 主イエス・キリストにおいて神の義、正しさが貫かれていることと、私たちの苦しみにおける義への飢え渇きが満たされることの間には、なお大きな隔たりがある。この隔た りは何によって乗り越えられるのか。

この説教は、弟子たち、即ち主イエスに従っている人々に向かって語られている。主イ エスに従い、主イエスと共に歩むことにおいてこそ、その隔たりは乗り越えられる。私 たちは、苦しみの中で、義に飢え渇きつつ、主イエスの十字架の苦しみと死とを見つめ つつ主イエスに従う。その時、自分の傍らに、自分のために苦しんで下さった主イエス がいて下さることを示される。そこでこそ、主イエスの苦しみと死において貫かれてい る神の義を実感することができる。苦しみは相変わらず苦しみであり、義への飢え渇き は続いているが、それは絶望に陥ることのない、満たされた飢え渇きとなる。
ルカ福音書は、今飢えている人が、神の国において満たされるという、終りの日の希望 を語っていた。マタイは、むしろそれが今のこの世の歩みにおいて現実となることを見 つめている。それは主イエス・キリストが、その十字架の苦しみと死とによって、私た ちの苦しみ悲しみを担って下さることにおいて実現する。そのことを私たちは、主イエ スに従うことの中で、体験する。こうして、私たちの義への飢え渇きは、この世におい て確かに満たされる。

7.義に飢え渇く人々は幸いである

 主イエス・キリストの苦しみと死とによって神の義がこの世に貫かれていることを知っているからこそ、私たちは、自分のためにも、またこの世界においても、飢え渇くよう に義を求めていくことができる。この信仰を失い、神の正義がこの世で貫かれることは ないと思ってしまう時、そこには絶望が支配する。絶望が支配するところには「どうせ 正義が貫かれることはないのだから、せいぜい自分の好きなことをして生きよう。正義 を貫こうとしても骨折り損のくたびれ儲けだ」という気楽な思いが生まれる。
このような思いが蔓延し、人々がもはや義に飢え渇くことをせず、楽しく楽なことだけを追い求めるようになるとしたら、その社会は絶望に支配されているということ。 義を追い求めるにはエネルギーがいる。それはつらいことでもあり、損をするようなこ とでもある。そのような中で私たちは、楽な方に流され、義を求めることをやめてしま う。

主イエスはそういう私たちに、「義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる」と語りかけておられる。
それは、「私の十字架と復活において、この世には確かに神の義が貫かれている。だからあなたがたは、どんな時にも絶望せずに、義に飢え渇く者となることができるのだ。そこにあなたがたの幸いがあるのだ」ということ。

この社会に義が完全に達成されることはない。それが与えられるのは神の国においてであり、この世においては、義への飢え渇きが続く。しかし私たちは、主イエス・キリストにおいて神が義を貫いて下さり、同時に私たちを救って下さったことを知っている。その恵みに支えられて、義に飢え渇く者であり続けることができる。

そこに私たちの幸いがある。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/義に飢え渇く人々の幸い/

⑤ 憐れみ深い人々

マタイによる福音書 第5章7節

1.「情けは人のためならず」?

日本の諺に「情けは人のためならず」というのがある。
私たちは主イエスのこの教えをそれと同じと理解し、「この教えは既に知っている」と思っているのではないか?

この諺における「情け」と、主イエスの言われる「憐れみ」は同じなのか?

「憐れみ深い」についての聖書の教え
マタイ福音書25章31節以下
「憐れみ深い人々」とは、思うだけでなく具体的な行動ができる人。自分の周囲にいる、自分が助けるべき「最も小さい人の一人」に気づく感性を持っている人。隣人を見出し、隣人となることができる人。
ルカによる福音書第10章25節以下(「善いサマリア人」の話)

隣人になるとは、敵意を乗り越えること。「最も小さい者」とはしばしば自分の敵のこと。
「憐れみ深い者」=敵をも愛する人(5章44節)。

これらの教えから、主イエスが教えている「憐れみ」は、「情けは人のためならず」の「情け」をはるかに越えたものであることがわかる。私たちは、自分は「憐れみ深さ」からはるかに遠いと言わざるを得ない。そのことを知ることによってこそ、私たちはこの教えの前に本当に立つことができる。「情けは人のためならず」と同じに受け止め、「それは知っている」と思っている間は、この教えを本当に聞くことができない。

「幸いの教え」はどれも、私たちがもともと知っていることではない。

主イエスはこれらの教えによって、私たちの生活の中に、私たちの知らない新しい、本当の幸いを造り出そうとしておられる。

2.神の憐れみ

この教えが与えようとしている「幸い」は、「その人たちは憐れみを受ける」という幸い。
それは人からの憐れみでなく、神の憐れみ。
神の憐れみとはどのようなものか?

詩編第89編
「主の慈しみ」(2節)=「憐れみ」
「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び、わたしの僕ダビデに誓った。あなたの子孫をとこしえに立て、あなたの王座を代々に備える、と」(4、5節)。
主の慈しみとは、お選びになった者(ここではダビデとその子孫)と契約を結び、それをどこまでも守って下さること。
31~33節…ダビデの子孫である王たちの罪とそれに対する神の罰

「それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず、わたしの真実をむなしくすることはない。契約を破ることをせず、わたしの唇から出た言葉を変えることはない」
(34、5節)

主なる神が、人間との間に結んだ契約をどこまでも守り、人間の裏切りに対して怒りはするし罰を与えるが、契約を破棄することなく、どこまでもそれに忠実であって下さる。 これが神の慈しみ=憐れみ。この神の憐れみは、主イエス・キリストによって私たちに与えられている。キリストの十字架の死によって、神は私たちと新しい契約を結んで下さった。その契約において、私たちは罪を赦され、神の恵みの下に生きる新しい命を与えられている。私たちは主イエスが求めておられる憐れみからほど遠い者だが、既にこのような憐れみを受けている。

3.憐れみを受けた者として

7節の教えは、「憐れみ深い者となりなさい、そうすればあなたがたは神の憐れみを受けることができ、幸いになることができる」ということではない。私たちはキリストによって神の憐れみを既に受けているがゆえに、憐れみ深い者となることができるし、そのために努力することができる、ということ。

18章21節以下(「仲間を赦さない家来のたとえ」)
「私がお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」(33節)。

私たちは自分では決して償うことができない罪(負債)を、キリストの十字架の死によって赦して(帳消しにして)いただいた。借金を帳消しにする時に、貸していた者は損害を引き受ける。神が私たちの罪を赦すために引き受けて下さった損害が、独り子主イエス・キリストの十字架の死。そこに神の深い憐れみがある。その憐れみを受けた私たちが、自分に百デナリオンの負債(罪)のある人を赦すこと、それが、私たちが「憐れみ深い者」となること。百デナリオンは決して小さい額ではない。人を赦し、憐れみ深い者であろうとすることは、苦しみと損害を伴う。「情けは人のためならず(=それは結局は自分のためだ)」などと思っていたらそれはできない。どう廻り廻っても自分のためになりそうもない、損失を受けることにしかならない、という場面において、私たちの憐れみ深さが問われている。そこでなお憐れみ深い者として生きることは、主イエスによって神の大きな憐れみをいただいていることを知り、その憐れみに応えて生きようとする所でこそ可能となる。
逆に私たちが人に対して憐れみ深くなろうとしないならば、それは神が御子の十字架の死によって与えて下さった憐れみを無にすることになる。

4.憐れみ深い人々の幸い

憐れみ深い人が憐れみを受け、幸いになるのではない。神の憐れみを受けている幸いな者が、憐れみ深くあろうとすることができる。それが信仰における順序。それならなぜ主イエスは「憐れみを受けている人々は幸いである、その人たちは憐れみ深くあるであろう」と言わないのか。

マタイ18章においても、あのたとえ話の前に、「あなたに言っておく。七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」というみ言葉がある。
七の七十倍までも(徹底的に)兄弟の罪を赦す、憐れみ深い者であれ、とまず命じられている。あなたがたは憐れみを受けている者なのだから、という根拠はその後で示される。それと同じように、私たちは、「憐れみ深い人々は幸いである」という主のお言葉に従って、人の自分に対する百デナリオンの罪を赦そうと努力していく。そのことの中でこそ、主イエス・キリストによる神の憐れみ(一万タラントンの赦し)を本当に知ることができる。憐れみにほど遠い者であることをいつも思い知らされていく私たちだが、主イエスにおける神の憐れみを知らされているがゆえに、なお憐れみ深い者であろうとすることができる。そこに、私たちの幸いがある。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/憐れみ深い人々の幸い/

⑥ 心の清い人々

マタイによる福音書 第5章8節

1.信仰とは、心の清い人になろうと努力すること?

私のような汚れた不純な人間は神様を見ることなどできない。だから少しでも心の清い人になるために教会の礼拝に通い、聖書を読み、祈っている…。

2.「清い」とは

「清いもの」と「汚れたもの」とを区別することが、旧約聖書の重大な関心事の一つ。
それは神様のみ前に出るため。
日本でも、神事に携わる人は斎戒沐浴して身を清める。 水で洗うのは象徴的行為。心の中の汚れをおとさないで、ただ体の表面だけを洗い清めても意味はない(マタイ23章25、6節)。
神様のみ前に出ることのできる清さは、心の清さ。(詩編24編)

3.悔い改め

私たちは、自分がとても神様のみ前に出ることのできない、汚れた、罪深い者であることを覚えずにはおれない。それゆえに私たちは、神様を礼拝する最初に、罪を告白し、赦しと憐れみを求めなければならない、つまり悔い改めなければならない。

悔い改めの詩編の代表的なもの=詩編第51編
自分の罪、汚れに本当に気づき、おののく時に、私たちはこのように祈るしかない。身勝手と言われようが、虫が好いと言われようが、神様の憐れみにすがるしかない。それが悔い改め。その悔い改めによってこそ私たちは神様のみ前に出て、礼拝をすることができる。

4.主イエスの求める清さ

ルカによる福音書第18章9節以下(ファリサイ派の人と徴税人の祈り)。

義とされて家に帰った=「心の清い者」と認められたのは徴税人だった。
ファリサイ派の人が見つめているのは自分の姿。彼は目を天に向けてはいても、神ではなく自分自身を見、また隣にいる徴税人と自分を比較している。
徴税人は、ただひたすら神を見つめている。罪人である自分の姿を嘆き悲しみつつ、その自分からは目を離して、ただ神様の憐れみを求めている。そのことによって彼は、義とされ、心の清い者と認められた。
心の清い人とは、自分の姿から目を離し、神様を見つめ、神様の憐れみを求める人。 神様から目を離し、自分がどれだけ良い者であるか、人と比べてどうであるか、を見つめるようになる時、私たちの心は、誇り、高ぶり、プライド、嫉み、うらみ、卑屈な思いなどの汚れで満たされていく。

5.その人たちは神を見る

神をこそ見つめている人は、神を見ることができる。
自分の姿を鏡に写して、ここがまだ汚れている、あそこをもっと清くしなければ、と言っているのをやめて、神様をこそ見つめ、神様の憐れみを願い求めるところでこそ、あなたがたは神様を見ることができる、神様と出会うことができる。 何の汚れも罪もない、清い純粋な心になることによって神を見るのではない。むしろ罪や汚れの中にいる者が、その中から、神の憐れみと赦しをひたすら求めて祈る所で、神を見ることができる。
神の憐れみと赦しは主イエス・キリストによって、その十字架の死と復活によって与えられる。
自分の罪や汚れの中から、神の憐れみと赦しを祈り求めるとは、主イエス・キリストをこそ見つめ、よりすがっていくこと。主イエス・キリストの十字架の死と復活においてこそ、神はご自身を示して下さる。主イエス・キリストにおいてこそ、私たちの罪の赦しのために十字架かかって死んで下さった神を見ることができる。ただひたすら主イエス・キリストの十字架を見つめていく者こそが心の清い人。神はその人にご自身を示し、その恵みをはっきりと見せて下さる。

6.世の終わりに

この世を生きる私たちは、神を肉体の目で見ることはできない。私たちは、信仰の目によって神を見る。
しかしいつまでもそうなのではない。今は隠されている真理(神のご支配、キリストによる救い)が顕わになる時が来る。それはキリストの再臨による世の終わりの時。その時私たちははっきりと神を見ることができる。

コリントの信徒への手紙一第13章12節
「その人たちは神を見る」という幸いの約束は、世の終わりに成就完成する。
「今は一部しか知らない」、しかし「そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(口語訳「わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」)。

7.良い循環

世の終わりに、私たちは神を、その恵みを、はっきりと、完全に知る者となる。 けれどもその前に、今既に、神は私たちのことを完全に知っておられる。神が私たちの全て(罪も汚れも)を完全に知っておられ、なお愛し、赦していて下さるから、私たちは自分の罪や汚れや弱さから目を離して、神を見つめていくことができる。神をまっすぐに見つめる清い心をもって生きることができる。自分自身を見つめるならば、私たちは決して清い者ではない。外面的にはともかく、心において清い者であることのできる人は一人もいない。しかしそのような私たちを、主イエスが、十字架の苦しみと死、そして復活の恵みによって招いて下さり、神様をまっすぐに見つめ「罪人の私を憐れんでください」と祈る清い心を造り出し、与えて下さる。
神様がこの主イエス・キリストの恵みによって招いていて下さるから、私たちは悔い改めることができる。
神様をまっすぐに見つめ、憐れみと赦しを祈り願うことができる。
そこで私たちは神を見る。私たちのために十字架の苦しみと死とを引き受けて下さった恵みの神を見る。主イエス・キリストによる神の招きによって、自分自身から目を離し、神の憐れみと赦しを求めていく者が、主イエス・キリストにおいて恵みの神を見る。そのことによってますます、神の招きを確信し、ますますまっすぐに神を見つめる者となっていく。そういう良い循環の中に身を置くことこそ、心の清い者の幸いである。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/心の清い人々の幸い/

⑦ 平和を実現する人々

マタイによる福音書 第5章9節

1.「平和を実現する」ことの難しさ

「平和を好む」ではなく、「平和を実現する」(口語訳聖書では「平和をつくり出す」)人の幸いを主イエスは語られた。

争いを避けているだけでは平和を実現することはできない。しかし争うことによって平和が実現できるわけでもない。
個人の関係のみでなく、国と国、民族と民族の間の平和はどうしたら実現できるか。
国権の発動たる戦争を放棄し、軍隊を持たないことを謳った平和憲法(9条)によって平和が実現しているのか?

2.神の子主イエスの実現した平和

「その人たちは神の子と呼ばれる」

平和を実現する者は「神の子」
神の子イエス・キリストは、平和を実現する方として来られた。
主イエスはどのようにして平和を実現なさるのか。

エフェソの信徒への手紙第2章14~16節
「敵意という隔ての壁」が平和を妨げている。主イエス・キリストはその十字架の死において敵意を滅ぼし、平和を実現して下さった。人間の敵意は罪から生まれる。罪の根本には神に対する敵意がある。神に対する敵意は、人に対しても向けられていく。神と人とに対する私たちの敵意、罪が平和を妨げている。キリストの十字架は、その私たちの罪、敵意を、主イエスがご自分の身に引き受けて下さったということ。私たちの、神と隣人に対する敵意、罪が、独り子イエス・キリストに全てふりかかり、主イエスを苦しめ、殺した。その苦しみと死を主イエスが引き受けて下さったことによって、神は私たちの敵意を乗り越え、平和を宣言して下さった。これは神の一方的宣言。今も私たちはなお神と隣人に対する敵意、罪に生きている。けれども神は、その敵意はイエス・キリストの十字架によってもう滅ぼされた、我々は和解し、敵意はもう存在しないという「平和の福音を告げ知らせ」て下さっている。
これが、主イエス・キリストによって実現された平和。
私たちは、争い、対立において、その争いを避けるか、あるいは争いに身を投じてその中で自分の主張を通すか、あるいは相手の主張との折り合いをつけるか、という仕方で平和を実現しようとする。しかし主イエスは、相手の敵意をご自分の身に引き受け、それによって死なれた。つまり敗北された。その敗北の中で、敵を憎み怨むのではなく、赦した。そして、もう敵意は滅ぼされた、もうここには敵意はないと宣言された。
キリストの復活は、人々の敵意を引き受けて死なれた主イエスの死を、父なる神が、私たちと神との和解のための死、私たちの罪を赦し、敵意を滅ぼすための死として認め、和解と平和と永遠の命を宣言して下さったということ。神と私たちとの間に、敵意はもう存在しない、存在するのは神が与えて下さる復活の命、死に勝利する恵みなのだということが、キリストの復活において明らかにされている。私たちは、主イエスの復活の記念日、小さなイースターである毎週日曜日の礼拝において、キリストが私たちの平和を実現して下さったという神の宣言を新たに聞きつつ生きる。
「平和を実現する人々は幸いである」という教えは、そのような私たちの歩みにおいてこそ意味と力を持っている。

3.平和を実現する者として

私たちは、主イエス・キリストによって神が与えて下さった平和の中で、その主イエスに従うことによって、争いに満ちたこの世界に平和を実現する者として生きる。その私たちの歩みは、争いを避けるのでも、争いに勝利し、あるいは妥協するのでもなく、敵意を引き受け、赦すことによって敵意を乗り越えるという歩みになる。

一人のアメリカの黒人の少女が、「イエス・キリストを信じたことによってあなたは何を得たか」という問いに対して、一言、「キリストは、私の父を殺した人をゆるすことができるようにしてくださいました」と語った(ウィリアム・バークレー『山上の説教に学ぶ』)。

アメリカ公民権運動におけるマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉。「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようになりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。どんなに良心的に考えても、私たちはあなたがたの不正な法律には従えないし、不正な体制を受け入れることもできない。なぜなら、悪への非協力は、善への協力と同じほどの道徳的義務だからである。だから、私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。つらいことだが、それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。国中に情報屋を回し、私たち黒人は文化的にもその他の面でも人種統合にふさわしくない、と人々に思わせたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということを。私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。つまり、私たちの勝利は二重の勝利なのだ、ということをあなたがたの心と良心に強く訴えたいのである」。(コレッタ・スコット・キング編『キング牧師の言葉』)

「あなたがたをも勝ち取る」とは、友として勝ち取るということ。今黒人を差別し、暴力によって抑えつけようとしている白人たちと黒人との間に、平和が実現するということ。そのことを、「苦しむ能力、苦しみに耐える能力」によって実現していくのだというこの言葉は、まことに「平和を実現する者」の言葉。彼がこのように語ることができたのは、主イエス・キリストが、十字架の死によって、人々の敵意、罪をご自身の身に受け、死んで下さることによって敵意を滅ぼして下さったことを知っているから。そして彼が、いつの日か私たちは必ず勝利する、と確信をもって語ることができたのは、父なる神が主イエスを死者の中から復活させ、死の力に勝利しておられることを知っているから。彼は、平和を実現する神の子イエス・キリストを信じ、その主イエスに従っていくことによって、平和を実現する神の子として生きた。私たちもこの信仰を受け継ぎ、平和を実現して下さる主イエスの後に従っていく。その時私たちも、平和を実現する神の子らのはしくれに加わることができる。平和を実現する者たちの幸いに生きることができる。

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/平和を実現する人々の幸い/

⑧ 義のために迫害される人々

マタイによる福音書 第5章10~12節

1.八つの幸いの教えのしめくくり

「今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。」
(ルカ福音書6章21節)

主イエスは私たち一人一人の中に、これら八つの幸いを造り出し、与えようとしておられる。私たちはこの八つの幸いのどれか好きなものを選び取るのではない。これらの八つの幸い全てを主イエスからいただいて生きるのが、信仰者の生活。「義のために迫害される者の幸い」もその一つであり、「これだけはご免被る」というものではない。

2.教会の歴史は迫害の歴史

この幸いの教えは、過去の教会の歩み、キリスト教の歴史において、大きな励ましと力とを信仰者たちに与えてきた。殉教者(マーター)は「証人、証し人」という言葉から来ている。殉教こそ、信仰の最大の証しであり、「一人の殉教者は十人の信者を生む」と言われる。

3.わたしのために

「義のために」は11節では「わたしのために」と置き換えられている。迫害は、私たちが積極的に義(正しいこと)を行っていくところに起るのみでなく、主イエスに属する者、主イエスを信じる者として生きるところに起る。主イエスを信じて生きようとする時に、私たちは、そうでない人々から様々な仕方でののしられ、悪口を言われる。「義のために迫害される」は、特別な時代の、特別な人々の話ではなく、私たちが教会に通い、主イエス・キリストを信じて生きようとする時に身近な所で日々起って来る様々なすれ違い、誤解、行き違いにまで及んでいる。

4.「あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい」

主イエスのゆえに誤解を受け、悪口を言われることは、あってはならないことではない。それが当たり前なのだ、ということ。私たちは、主イエスを信じ、信仰者としての奉仕や働きに励めば、人に受け入れられ、認められ、尊敬されるようになる、と心のどこかで思っているのではないか。そう思っていると、ののしられたり、身に覚えのない悪口を言われたりすることに耐えられない。しかし主イエスは、そのことでくよくよする必要はない、それが当然なのだ、とおっしゃっている。

5.「天には大きな報いがある」

「天に」とは、父なる神様のみもとに、ということ。父なる神様の大きな報いを見つめよ、と主イエスは言っておられる。
「そんな報いの約束は何の力にもならない」と思うとしたらそれは、私たちがこの世のこと、地上のこと、人間のことしか見つめておらず、天を、神様を見つめていないということ。言い換えれば、人に受け入れられ、喜ばれ、認められることしか考えていないということ。「彼らは既に報いを受けている」[6章5節]と通じる。
天を、神様を見つめている者は、神様が自分を見ていて下さり、主イエスのゆえにののしりや悪口を受けていることを知っていて下さり、必ず報いて下さることに望みを置いて生きる。その報いがどんな形で与えられるかはわからない。
地上の生活における幸いという形でなのか、地上の命を終えた後、天の父のみもとでの祝福としてなのか、いずれにせよ、報いは天の神様が与えて下さることを信じてそこに希望を置く。神様を信じるとはそういうこと。

6.「天の国はその人たちのものである」

「天の国はその人たちのものである」は、第一の幸いの教え「心の貧しい人々は幸いである」においても語られていた。八つの幸いの教えの最初と最後が「天の国はその人たちのものである」で括られている。そういう意味でこの言葉は、幸いの教え全体の枠となっている、中心的な幸い。「天の国」とは、神様の恵みのご支配という意味。天の国、神の恵みのご支配の下に生きることができるのは、地上の、人間からの報いや賞賛ではなく、神様の報いをこそ見つめ、求める者。「心の貧しい人々」の場合も、自分の心の中に何らかの豊かさを求め、拠り所を見出していこうとする者は、天の国に生きることができなかった。できないと言うよりも、彼らが求めているのは神様の恵みのご支配ではなくて、自分の豊かさによる満足である。自分の中に、人間の間に、地上に、寄り頼むべき理解者を持たず、報いてくれる人を持たず、ただ天の神様が自分を理解し、豊かに報いて下さることのみを信じ、求めていくという点で、「心の貧しい人々」と「義のために迫害される人々」とは相通じる。

7.あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害された

主イエスがここで見つめさせようとしているのは、教会の歴史における殉教者たちのことのみではない。最後、最大の預言者、預言者の中の預言者として来られた主イエス・キリストが、「ののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられ」た。この主イエス・キリストをこそ私たちはしっかりと思い起し、見つめるべき。主イエスは私たちのために、全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さった救い主であり、私たちが従っていくべき主。
その方が、迫害を受け、ののしられ、悪口を浴びせられて歩まれたのだから、私たちがそのような体験をするとしたら、それは主イエスの後に従っているということ。それは幸いなことであり、喜ばしいこと。私たちはまことに弱い者であり、自分の力で迫害に耐えて信仰の証をなすことができるような者ではないが、しかし私たちが、それぞれの生活の中で主イエス・キリストに従い、天の父なる神様の報いをこそ求めて生きていく時、主イエスがお語りになったこの第八の幸いもまた私たちに与えられる

8.ペトロの手紙一、第2章18~25節

召し使い(奴隷)、(妻、夫)への教え

「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」

ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」(21~25節)

出典:横浜指路教会
https://yokohamashiloh.or.jp/case/義のために迫害される人々の幸いである/


日本基督教団 横浜指路教会

教会堂名:ー
設計者:竹中工務店
建築年:1926年(大正15)
構造:鉄筋コンクリート造
住所:〒231-0015 神奈川県横浜市中区尾上町6-85
電話番号:045-681-3804
礼拝時間:毎日曜日 9時~10時10分 教会学校 
10時30分~12時 主日礼拝 18時~19時 夕礼拝 
※諸集会は、教会のHPを参照
開門時間:毎週 木・金・土曜日 10時~16時
アクセス:JR根岸線「関内駅」より徒歩4分、みなとみらい線「馬車道駅」より徒歩5分 ※別路線有

出典:自著『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ, 2018.1)



参考文献:教会建築家の推薦書籍


「励ましのお言葉」から「お仕事のご相談」まで、ポジティブかつ幅広い声をお待ちしております。


共著『日本の最も美しい教会』の新装版『日本の美しい教会』が、2023年11月末に刊行されました。


都内の教会を自著『東京の名教会さんぽ』でご紹介しています。



【東京・銀座編】教会めぐり:カトリック築地教会、聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂、日本基督教団銀座教会を紹介


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