教会建築の歴史的特徴である「ゴシック様式」とは何か。
執筆日:2023年11月18日(土)
更新日:2023年11月30日(木)
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はじめに
中世から始まるゴシック建築の歴史を紹介
最初のゴシック建築「サン・ドニ(修道院付属教会堂)」
(Basilica of Saint-Denis) 1136年頃〜44年
修道院院長シュジェール(Suger)が775年に献堂された教会堂を1136年頃から改築し、40年にナルテクスを含む西正面を2階の高さまで新築し、44年までに内陣を改築した。修道院院長シュジェールと真逆の考え方をもつのがシトー会修道院長ベルナールであり、南プロヴァンスに位置するロマネスク建築の最高傑作である「ル・トロネ修道院」の建築に関わっている。シュジェール院長時代の部分は、西正面と2ベイのナルテクスおよび放射状7祭室を備えた周歩廊が現存する。西正面には、平坦な壁面が多く、ロマネスク的な重厚さをもつが、鐘塔を備えて昇高性強く、3つの扉口は人像柱で飾られ、重層アーチやティンバヌムには聖書の物語を彫刻して、石のバイブルへの第一歩を示す。ナルテクスの天井では、リブ・ヴォールトの起拱点(スプリンギング)が異なり、リブ・ヴォールトの扱いが未熟である。内陣のクリプトでは、リブを用いていないが、周歩廊と祭室の天井ではリブの長所が十分に活用されている。当時のステンドグラスは、失われたが、窓は柱間いっぱいに広がり、壁面消失への方向が明確に打ち出されている。
「サンス大聖堂」
(Sens Cathedral) 1135年頃〜68年頃
1135年頃から68年頃に改築され、全面的にリブ・ヴォールドを架けたイール・ド・フランス最初の大聖堂で、12世紀末までに内陣と外陣に飛梁を増築し、西正面を含めて完成した。しかし、南鐘塔は、1267年崩壊したため1534年までに再建された。
※イール・ド・フランス:「フランスの島」という名の通り、セーヌ川、オワーズ川などの流れにふちどられたフランスの中心地方、パリを中心に半径100kmに広がりる。
ダイナミックな「ラン大聖堂」
(Laon Cathedral) 1160年頃〜1230年頃
「パリ大聖堂」と並ぶ初期ゴシックの傑作で、西正面のほか交差部の南北正面にもそれぞれ双塔、交差部に大きな採光塔など、合計7基の塔を建てる計画であった。1160年頃に内陣から着工してこれをほぼ1180年頃完成した。静的なパリ大聖堂の西正面とは著しく異なり、彫りが深く、ダイナミックなランの構成は、南北正面にも双塔を置く多塔形式とともに後世の建築に強い影響を与えた。
【世界遺産】初期ゴシックの傑作「パリ大聖堂」
(Paris, Banks of the Seine) 1163〜1250年頃
1163年に内陣から起工し、外陣を1200年頃に完成、西正面を1250年頃までに完成した。外陣を建設中であった1180年頃に初めて飛梁(フライングバットレス)が用いられた。スパン15mに達する内陣の飛梁は、放射状祭室増築(1296〜1320年)のときに加えられた。西正面は、重厚だが極めて安定した形で、サン・ドニで見られた彫像で扉口を飾る手法はさらに発展し、旧約の王者たちの彫像が3つの扉口の上を連結している。
【世界遺産】フランス最大の「アミアン(のノートルダム)大聖堂」
(Amiens Cathedral) 1220年頃〜1410年頃
盛期ゴシックの最も雄大かつ最大規模の教会建築(教会堂)で、延べ面積約7,700㎡、全長145m、身廊の幅14.6m(ビア真々)、天井高さ約42.3m、大アーケードは高さ20mにおよぶ。1152年に献堂したロマネスクの教会建築が1218年に雷火で炎上したため、1220年頃から再建が始まり、1245年頃に外陣が完成し、1258年には内陣の放射状祭室を建設し、1269年頃内陣、1288年に南北袖廊を完成した。外陣の側祭室は1290年から1375年、西正面の双塔は1366年頃から1410年頃につくられた。
【世界遺産】ゴシック建築の女王「ランス(のノートルダム)大聖堂」
(Reims cathedral) 1211年〜13世紀末
ゴシックの女王と称されるレイヨナン式の傑作で、全長138.7m、身廊幅15m(ピア真々)、天井高さ38mにおよぶ。ロマネスクの大聖堂が1210年に炎上したため、翌年内陣から再建に着手し、1241年に内陣、1375年頃に外陣を完成し、西正面を第2層まで建設した。その後、工事の速度は遅くなり、1350年頃に第3層を完成した。1400年頃双塔上部の工事に着手したが、着年戦争に妨げられ、1475年頃にようやく現在の高さまで鐘塔が築かれた。
アミアン大聖堂外陣断面とランス大聖堂外陣の内壁立面
アミアンとランスは、典型的な盛期ゴシックの教会建築で、内陣面は大アーケード・トリフォリウム・高窓の3層構成である。パリ大聖堂やラン大聖堂のような12世紀後半の教会建築では、身廊のヴォールトを支持しやすくするため、側廊を2階建てとしたので、堂内の側面は小さな高窓のある4層構成であった。飛梁の有効性が理解された後は、側廊を平屋建てとし、高窓の高さを大きくするともに幅も柱間全体に広げて、ここにステンドグラスをはめた。ステンドグラスは、ロマネスクの壁画に代わって聖書や聖話などの図像により、扉口の彫刻とともに文盲の信徒に対して教化の役割を果たすと同時に、透過する美しい光線によって堂内を崇高で神秘的な雰囲気にする。ステンドグラスへの愛着は、トリフォリウムも高窓に取り込もうとする傾向となり、トリフォリウムは圧縮され、あるいは消滅し、内壁面は高窓と大アーケードだけの2層構成にまで変化した。初期ゴシックの窓は、一般的にトレイサリーを用いないが、使用する場合も板石をくり抜いたごく簡単なもの(plate tracery)であった。盛期ゴシックでは円を基本とした放射状の美しいトレイサリーを用いているので、この時期の作品をレイヨナン式(rayonnant)と呼ぶ。14〜15世紀には、曲線・反曲線を組み合わせ、火炎の立ち上がるような形のトレイサリーを用いているので、フランボワイヤン式(flamboyant)と呼ぶ。
【世界遺産】「シャルトル大聖堂」
(Chartres Cathedral) 1194年〜1250年頃
この聖堂には、古代末期の作とされる聖母像があり、多数の巡礼者を集めていた。現在の大聖堂は、4世紀創建から数えて5番目のもので、全国的な支援によりわずか30余年の短い工期(1194年から1225年)で再建された。当初の計画では、西正面・南北正面に各2基、内陣両脇と交差部に各1基、合計9基の塔を建てる予定であったが、尖塔屋根を含めて完成されたのは西正面の2基だけである。したがって、西正面は、直径13mのバラ窓を除けばロマネスクに近い。
「サント・シャペル」
「アンジェー大聖堂」
「ボーヴェー大聖堂」
「ボワチエ大聖堂」
「ドミニコ会教会堂」
「アルビ大聖堂」
「ソールズベリ大聖堂」
「ヨーク大聖堂」
「エクシター大聖堂」
「リンカーン大聖堂」
「ウェルズ大聖堂」
「ヘンリーⅦ世礼拝堂」
「ケルン大聖堂」
「ウルム大聖堂」
「コリンの教会堂」
「ウィーン大聖堂」
「ブルゴス大聖堂」
「セヴィリア大聖堂」
「ヘロナ大聖堂」
「シエナ大聖堂」
「ミラノ大聖堂」
「サンタ・クローチェ、フィレンツェ」
参考文献:教会建築家の推薦書籍
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