俺は「ラーメンのスープちょっと頂戴」を絶対にやらない。
言いたいことはそれだけ。以上。
初めて行く飲食店の注文は俺にとって真剣勝負だ。
無数に存在するメニューの中から自分が食べられる範囲で最適解に限りなく近い注文をする必要がある。そこには確かに正解と不正解があり、勝利と敗北があるのだ。
俺の母はラーメン屋に行くと俺と違う味のラーメンを注文し、食べ終わった後、必ず「スープちょっと頂戴」をしていた。ただ俺は決してしなかった。
「スープちょっと頂戴」は勝負師である俺にとって邪道中の邪道だからである。麻雀で言えば、あがれてなかったにもかかわらず、山を開けて、『あー3順目で上がってたわー』とのたまうこと同じくらい恥ずかしいと思っている。
先程「正解と不正解がある」と言ったが、厳密には違う。食べ終わった後の俺が「これが正解」と納得できるかどうかが勝敗を分けるのだ。もし安易に「スープちょっと頂戴」をしてしまったら、俺の正解が揺らいでしまう恐れがある。俺の正解が「本当の正解」だったのかというのがわからないことに勝負の美学があるのだ。
カイジなどで有名な福本伸行氏の「銀と金」でも平井銀二が「運命に対する冒涜」と言っていた。ある選択をした後に、もう一方の選択をした場合どうなったのかを除く行為は「運命に対する冒涜」なのだ。もし、『別の味のほうが美味かったのでは?」と感じたら再度来店し、注文するしかない。
ただ勘違いしないでほしいのは自分は潔癖というわけではないし、この考え方を他人に押し付けるつもりはない。誰かから「スープちょっと頂戴」と言われれば快く応じる。ただ自分からは絶対にしないというだけだ。
もし今度ラーメン屋に行くことがあったら、真剣勝負をしている勝負師のことを思い出してほしい。