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【アイドルマスター スターリットシーズン】星明りが紡ぐ星座という新たな物語

2021年10月14日、アイドルマスター家庭版新作「アイドルマスター スターリットシーズン(以下スタマス)」が発売された。
私は待った。そりゃもーうひたすらに待った。
5月に発売予定だったものが5か月延期になり、発売は10月。
私が今まで生きてきたどの夏よりも、長い夏だった。

14日0時にSteam版が発売されるわけはないだろうと薄々感じながらも、13日の21時ごろから待機し、
0時にアンロックされないと知れば、2時までフレンドと粘った。

2時まで出ないと知れば、翌6時30分に起床しPCの前で待機した。私はこのためだけに有休を取ったのだ。
そうして7時25分ごろ、ついに幕が開いた。

定価9,020円の衝撃。落差が激しい家庭版アイマス。不安を旨にしながら私はプロジェクトルミナスに飛び込んだ。
細々とした不満点、ガッカリした点は無いと言えば噓になる。だが、それでも私は本作に高評価をつける。

プレイ時間18時間、6月半ばのゲーム進行度。本作の魅力を語らせてほしい。

▼シリーズ15周年記念作品という重み

私のプロデューサー歴を最初に話しておこう。
アケマスから始まり、初代アイマスはプレイしなかった(Xbox360を持っていなかった)。
家庭版をプレイしたのはPS3版のアイマス2からだった。
その後はモバゲ版デレマス、PSPのシャイニーフェスタ、PS4のプラチナスターズ。
そして、enzaのシャニマスだ。残念ながらミリオンは未履修。

765の推しは千早、やよい、美希。デレマスは輝子にあんきら。シャニは放課後クライマックスガールズ全推しである。

とはいえアイマス2以降、新プロダクションのデレマスはそんなにやりこんでないし、シャニだって初日リリースからたしなむ程度だ。
どっちかっていうとキャラ推しの人間だし、あまりライブに参加したこともない。

だがスタマスは滅茶苦茶楽しみにしていた。何故ならばPC版が発売されるからだ。
コンシューマーから離れ、PCがメインになると、和製育成シミュレーションゲームは全く触れ合わなくなってくる。

アイマスがPC版発売なんて、5年前の自分に告げたら一笑に付すだろう。
そもそもPCにユーザー層がいるとは思えないし、Mod文化が根付くPC版なんて、キャラゲーを出そうと考えたら中々に面倒なことこの上ないからだ。
だが、スタマスはPC版で発売した。まずはその決断に最大限の賛辞を贈りたい。

さらに本作スタマスは特別な作品である。
アイドルマスター15周年を記念する作品(延期により16周年になった)であり、
アイマス、デレマス、ミリマス、シャニマスのアイドルそれぞれが出演する。
正直な話、765はAS(オールスターズ)参戦だが、デレマス、ミリマス、シャニマスは各5名ずつ。
とても大集合と言えない規模だが、まぁそれは我慢しよう。作中で高木社長は「今は5名だが」と言ってくるあたりDLCに期待するしかない。

15年という年月、アイマスには大河のような流れと、紡いできた物語の重みを感じる大きなシリーズだ。
異例のプロダクション合同という企画の中で参戦するアイドル達は、
プレイヤーの想像を超えるほどに他作品のアイドルと混ざり合い、まったく新しい輝きを見せてくれる。

シリーズ15周年、スタマスはそれを担うという意味では十分すぎるほどの作品である。

▼今を生きるアイドルたちの"瞬間"にフォーカスした作品

アイドルマスターは「アイドル育成シミュレーション」である。
必然的にアイドル個人、アイドルとプロデューサー、ユニットメンバーに物語がフォーカスする。

これはまったくもって個人的な見解だが、アイマスはシリーズを追うごとに「個」から「集団」へとアイドルの捉え方を変えている。

アイマスは、どちらかと言うとアイドル個々人の過去とそれを乗り越える色が強かったと思うし、
デレマスはアイドル1人1人がシンデレラであり、個性際立つアイドルが起こす今が強く出ている。
シャニマスは個々人の個性が組み合うユニットがまず前面に出ているし、
コミュや曲もどちらかというとこれからに向けたイメージが強い(放クラだけかもしれないが)

ミリマスはごめんなさい。未履修なので分からないです。

これはアイマスだけが変わったのではなく、昭和のアイドルから、平成へのアイドルへ
個からグループへと、アイドル像における時代変化があったからだと考えている。

では、スタマスはどうなのか。アイドルの何にフォーカスをしているのか。
本作でアイドル達は複数プロダクションから選抜された「プロジェクトルミナス」に所属する。
それは今までの「個」や「ユニット型」のアイドルではない。

まず、4月から12月という時期限定であること、
次に月々の目標を達成しなければ、「ルミナス」自体が解散してしまうことにある。
ルミナスに所属するアイドル達は「来月にはなくなってしまうかも知れない」という大きな縛りの中で活動をすることになる。

4月にお花見会をして親しくなっても、5月の目標を達成できなければ、アイドル達は皆所属プロダクションへ戻る。
先月まで一緒にステージでパフォーマンスをしていた戦友が、次会う時には少ない出演枠を巡って削りあう敵になっている可能性だってある。
あまりにも脆い、脆すぎる「プロジェクト型アイドル」なのである。

しかし、なればこそアイドル達は他プロダクションのアイドルと積極的に関わりを持ち、コミュニケーションを深めようとする。
それは彼女たちが一番理解しているからだ。「今この瞬間にしか味わえない」ことの価値を。

だから彼女たちは「ルミナス」としての、今この瞬間を大事にする。
振り返る暇も、未来を考える時間も勿体ない。今この瞬間がすべてだから、今この瞬間を皆と過ごすためにアイドルをしているのだ。

アイドル達の思いに沿うかのように、本作のシステムは「瞬間」を重視する。
日常におけるコミュ、アイドル達が本作でしか見られない交流を見せるクロスコミュ、営業でさえもその瞬間瞬間が「ルミナス」を象る描写になっている。
各キャラの誕生日を皆が祝うイベントが復活したのも、アイドル達が大切にする「今この瞬間」を強く印象付けさせてくれる。

極めつけはホワイトボードだ。
大体2週間に1回ぐらいで事務所のホワイトボードが書き直されるのだが、
様々なアイドル達が、ホワイトボードにお互いへのメッセージを残してくれる。
名前などは無い、文字と絵のホワイトボード、だが筆跡やコメントから誰が書いたのか輪郭が見えてくる。
このホワイトボードには、プロデューサーである我々が入る余地などない。
だがしかし、そこにはアイドル達のコミュが存在している。
貴音と凛世がラーメン屋を一緒に探しに行くコミュ、滅茶苦茶見たい…!
が、我々は見ることが出来ない。それは、ルミナスにおける「彼女たちだけ」のコミュだからだ。

その他にも、作中ではプロデューサーが知らない、アイドル達の交流を感じさせる話が朝コミュなどで出てくる。
朝コミュとホワイトボードが存在することで、我々の観測外で動くアイドル達が存在することになる。
それはつまり、例えこれがゲームであろうが、アイドル達が「ルミナス」という今この瞬間を生きていると、そう感じさせるのだ。

これらのなんと尊いことか。

瞬間というテーマはコミュだけに収まらない。ライブでも瞬間を強く意識させる要素がある。
それが「」だ。

本作では各アイドルの3Dモデルを刷新し、アンリアルエンジンで美麗に演出している。
レイトレーシングに対応したことで、ステージ側のライティングはまさに圧巻の一言だ。

これだけでも、アイマス新作のライブとしては十分すぎるほどの出来だ。
だが、なぜ本作はわざわざ「汗」を描いたのか。

「汗」とは、汗をかいたときにしか目に見えない。
汗になる前は、体内の水分として存在し、汗が流れた後は地面に吸収される。
つまり、現れる瞬間でしか汗は汗でしかないのだ。

アイドル達は、ライブの中で汗をかく。
パフォーマンスが盛り上がりに向かう中で、顔に汗が浮かび、踊りに合わせて汗が弾け、そして消えていく。
それは瞬間的な演出であり、物語だ。

積み重ねたレッスンの日々、積み重ねたアイドルたちの交流、積み重ねた思い。
それらは言葉で語られることは無い。

彼女たちの物語が、全てライブで弾けだされるように、汗の一滴一滴が、顔に浮かび、弾けて消えるその瞬間に演出されているのだ。

スタマスにおけるライブは、月の締めにあるイベントという立ち位置になっている。
そして本作は毎月ごとにエンディングが流れる。
April Story、May Storyというように、ライブ使用曲のインストを背景にしながら、コミュのカットシーンが写真のように並んで、
まるでエンドロールのごとく、下へとスクロールしていく。

スタマスのエモさはここにある。
コミュで描かれるアイドルたちの瞬間は、写真として切り取られ、積み重なっていく。
ライブでは、積み重ねた思いが汗という瞬間へ昇華されていく。
最後には、それらの瞬間が物語を形作り、また新たな物語、瞬間の連続へと続いていくことを約束して月のエンディングを迎える。

スタマスは「瞬間」の物語である。「瞬間」へと徹底的なまでにフォーカスした構成こそがスタマスの魅力である。

▼スターリットという言葉に込められたアイドルたちの新しい形

アイドルマスターシリーズがソシャゲに進出してから、様々なアイドル像が描かれてきた。
個から集団・ユニットへとフォーカスしてきたというのは前章の通りだが、
スタマスはアイドル像を何故「プロジェクト型」にしたのか。

残念ながら本作は、自分の好きなアイドルを選んで、それを一年通してプロデュースしていくという往年のシステムではない。
毎月ごとに課題曲があり、ルミナスメンバーからゲーム側で選抜されたアイドルを選ぶ方式だ。
つまり、29名というルミナスメンバーから月替わりでユニットを作っていくという事になる。

過去作が好きであれば好きであるほど、推しが好きであれば好きであるほど自由度が狭く歯痒いシステムになっているのは確かだ。
だが、私は、ことこのスタマスにおいては、このシステムは適しているように思える。
少なくとも、29名のアイドルが集まって、それらすべてを活躍させるにはこうする外ないのではないだろうか。

シンデレラガールズは、アイドルの個性がそれぞれの物語、皆が皆、シンデレラになることができる作品だ。
シャイニーカラーズは、アイドルの色が混ざり合うことで、ユニットとして新たな輝きをを我々に見せてくれる作品だ。
では、スターリットシーズンという言葉は、我々に何を伝えたいのか。

シンプルに考えよう。

Starlit、スターリットとは星明りを意味する単語である。という事はつまり、本作におけるアイドルは「星明り」もしくは「星」である。
ただ、アイドルが1人で輝き続ける、というシーンは本作において皆無である。
アイドルはアイドル"たち"として輝いている。つまり他のアイドルと組み合わさることで輝いている。

だが、全員がユニットとして参加することで輝いているか、と言われればノーだ。
前述したように本作はユニットのメンバーを月替わりで選出する必要がある。

何故選出するのか、それは月末のライブに向けてプロデューサー個人個人が一種の見立てを立てさせるようにゲームがしているのだ。
どういった組み合わせをするのか、どんなユニットをルミナスの中から作るのか。
無数の星明かりから、ユニットを形作ることで、物語を作ろうと本作はさせている。

お分かりだろうか。本作におけるアイドルは「星」である。
ならば、舞台に立つユニット、スタマスにおけるアイドルの形は「星座」なのだ。

星座は、今でこそ88星座として国際天文学連合によって決まっているが、
古今東西、同じ輝きを持つ星だとしても、世界、時代、観測する人々によって様々な星座が存在した。

スタマスにおけるアイドルユニットも、星座と同じである。
それぞれの輝きを放つアイドルたちは、プロデュースする人々によって、全く違うユニットへ、それぞれの星座として輝きだす。

どんな星座になっても輝きを放つ。放つことが出来る。
だからこそプロジェクト名は「ルミナス」であり、本作は「スターリット」シーズンなのだ。

▼求めよう。その輝きを。スターリットシーズン

ただ手放しでいいところばかりではなく、ライブパートのゲーム性や、UIの不親切さ、
自分の好きな推しだけをプロデュース出来なかったり、ドリームユニットをプロデュースするという自由度やロマンは本作の大きなマイナスポイントだ。

だが、29名のアイドルたちをすべて活かすと考えたときに、本作の構成が1つの最適解であるということは考慮に入れるべきだろう。

DLCの総額も割高に感じるだろうが、少なくともコストに見合う体験をさせてくれるだろうと私は感じている。

私個人にとってスタマスは、羅列されるマイナスポイントより、ここまで書いてきたコミュの素晴らしさ、
背景で語る物語性、ライブシーンの感動、そして星座というアイドルたちの描き方。これらのプラスポイントが大きく上回っていると感じている。

ここまでストーリー本編について書いてきたが、本作にはおなじみS4Uもある。
機能は今までよりも充実し、こちらは好きな楽曲で好きなアイドルをステージに立たせることが出来る。(歌が入ってない場合もあるが)
フォトモードも充実し、純粋に歌マスを楽しめるS4Uだけでも価値がある。

改めて言おう。本作は買いだ。あなたがアイマスが好きを自負していて、
アイドル、ではなく、アイドルたちの物語を期待しているなら、間違いなく購入すべき1作だ。

他の作品では感じられない。スタマスだけの物語、スタマスだけの輝きがここにある。

最後に、当社比宇宙で一番かわいい小宮果穂のMVをS4Uで作成したので、動画を貼って筆を置くこととする。


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