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ナメられている。

泣く子も黙る丑三つ時、灯りひとつない部屋で、ペチャペチャと不気味な音を立て私の顔を舐める者がある。「うーん、うーん……。」と私がうなされていると、ソレは私の耳元で囁くのだった。

「ごはん……。」

それは戦時中に食べるものもままならず失くなっていった子供の地縛霊、などではない。ネコだ。

「まだ早いだろ!」

そう言ってネコを押しのけると、「ご、ごはん……。」と言ってスゴスゴと闇夜に消えていくのだが、5分後には何事も無かったかのように私の顔を舐め、エサを催促しにやってくる。それがエサを与えるまで続く。おかげで日々寝不足だ。

今年の初めに結婚したとき、妻はネコを連れてきた。謂わば連れ子である。
初日、妻に無理やりカバンに詰められてやってきた彼は、新しい環境で私という新たな同居人を得ることに恐怖し糞尿を巻き散らし怯えていた。
逃げ回る彼を捕まえ、「怖くないですよ~。」等と文字通り猫なで声であやし、エサ与えた。エサを与えるのは朝夕それぞれ5時半。これは妻の決めたことだ。何せ妻の決めたことなので夫はこれを守らなければならない。
すると一週間も立たないうちに「にゃーん。」等と言って図々しくもエサを要求するようになった。
「お、媚びてますね。」とえびす顔で妻が言うので、
「『にゃん』じゃない。『ごはん』だろう。言葉はちゃんと遣え。言ってみろ、これは『ごはん』だ。」と毎回説教をし一通り威厳を示してからエサをやるようになった。
最初は「ア、アオ」くらいで、徐々にアン、アアン、ガアン、ゴアン、と少しずつ矯正していった。ある日、突如として彼は

「ゴハン……。」と言ったのである。

「何?! お前、今なんて言った。」

「ゴハン……。」

それは「……シテ……コロシテ……。」のネットミームを想起させるが如きかそけき半角カタカナのゴハンではあったが、しかし確かに彼はGOHANと口にしたのだった。

「そう、そうだな! これはゴハンだ。いいぞ!」

「ゴハン……。」

その日、私は彼にチュールをやった。DAISOで安く買った正規品をパクったような液状餌ではあるが、努力には報いるのが私のやり方だ。しかしそれが良くなかった。

「ゴハン……。」

これを言えば、エサの時間ではなくてもこの男は何かをくれるのではないかという誤解を生んでしまった。
何かといえば「ゴハン……。」しか言わない。しかも徐々に洗練されて、最近では普通に「ごはん。」と言うようになってきた。私の顔をみるなりずっと。私のことを飯炊き男だと思い込んでいる。
ネコは夜行性なので、夜中に家の中を走り回っている。それだけなら耳栓でも着けて寝ていればいいが、腹が減ると寝ている私の顔を舐め、耳元で「ごはん……。」と呟き続ける。私の枕元に正座して、私の顔を怨めしそうに覗き込みながら。
「まだ! ダメ!」と何度言っても聞き分けない。
そして私の顔の油を舐めとり、手の油を舐めとった後は、眼球を舐める。
そこまで来るとさすがに温厚な私も彼を部屋から追い出し、扉を閉めてしまうのだが、最近では寒い季節になったこともありエアコンのある部屋から寝室に暖気を入れねば寒くて寝ていられない。
仕方なく一晩中ネコに顔を舐めとり続けられ、浅い眠りのまま翌朝仕事に出掛けねばならない。私は元々重度のネコアレルギーである。普段は処方によって受忍限度内の症状に抑えているが、毎日顔をアレルギー源の塊に舐められ続けていればさすがに薬なんて効かない。眼球が痛くなってくる。

「ごはん……。」とやってきたネコを捕まえようとするが、寝起きの緩慢な動きでは簡単に捕縛できない。逆に私が身動きしたことでエサを貰えると勘違いして「ごはん?!」と言ってエサの皿の方に駆けて行ってしまう。
そしてしばらくすると私の枕元に戻って来て「ごはん……。」を繰り返すのである。

「あなたはねぇ、甘いんだよ。お人よし。すぐ同情する。そういうの見抜かれてる。」と妻は相変わらずえびす顔をしている。
別にネコに限ったことではない。私と接していれば、私がチョロい人間なのはすぐ判ってしまう。人間のみならずネコの如き畜生にまで侮られる。しかし社会的にナメられるのは慣れても、眼球を毎晩ナメられるのは本気で結構辛い。
私も妻との約束を破る訳にはいかないので、要求に応じて給餌するわけではない。
しかしネコは言葉を覚えても道理は解す脳の容量がないので、「オレ(の眼球)をナメるなよ!」と毎晩言い聞かせているが、不思議そうな顔をするだけだ。

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だっちゃん
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