32歳の僕が24歳の僕に出会う話。
悩んでいる様子の後輩たち(24歳)を、飲めないお酒に誘う。新入社員にとって身近な先輩だったのは遠い日で、後輩にとって僕はお兄さんという訳ではなく、上司だ。
最近は年上と飲みに行く機会の方が多く、20代の飲み会は恋愛の話がほとんどだということを忘れていた。僕が一杯目のジンジャーエールを飲み終わらない内に、彼らに恋人がいるのかという話になった。
僕は昔から自分の経験や偏見から「こういう人間はこう」と決めつけて占うのが得意で、小さな兆しからその人の本質を勝手に見出して、十分条件を必要条件かのように話を展開する癖がある。しかもそれが十中八九とまではいかないが十中六七くらいは当たってるんじゃないかという困った自負もある。
さて、いつもの調子でその内の一人を指して「君は端正な顔立ちを持ち、非常に真面目で誠実。ただそれだけに面白みはない。年下は向かない。年下は君を年上という刺激で求めているだけだから、付き合うまでは年下主導で事が運ぶが、付き合ったとたん君自身には面白みがないのだから、一方的にフラれてしまうよ。年上が良い。年上の君の誠実さを愛してくれる人を探すべきだ。」と、決めつけて占っていく。
周囲の反応は非常に良く、確かにと頷いている。占い師もこうやって小さな傾向からわかったようなことを大きな声で言い放って顧客を作っているのかしらなどと思いつつ、その彼の反応を伺う。・・・しかし、その席の中にいる彼だけが首をかしげ「いやでも。。。」やら「わかってはいるんですけど」を繰り返す。
「『でも』が多いなぁ」と思いながら3杯目のジンジャーエールを手に持ったところでフラッシュバック。
―「『でも』が多いよ」
僕が24歳の時に言われていた言葉だ。人生の先輩のアドバイスに耳を貸さずに良く注意された。「自分がしたいことはそうじゃない」とか、「本当の自分はこんな姿ではない」とか、そんなことを考えながら一人拗ねていたことを思い出した。20代の悩める男女は自分の中の自分の評価と他人の中の自分の評価にずれがあるんだなぁと改めて気が付く。
いつの間にやら時がたち、その差異がなくなってきて、随分図々しくなったもんだなと感慨深く思いながら、24歳の頃の自分と重なる彼の話を聞いていた。
その頃の自分に何を言っても受け入れなかったように、彼もそうなのだろうと微笑ましい気持ちを抱きつつ、最後に32歳の僕は24歳の僕を見つめながら言い放った。
「沖縄に行っても北海道に行っても(コロナ禍で例えのスケールが小さい)、自分は見つからない、今ここに居るのだから。」