予後が悪い人間とは、幼少期の成功体験も失敗体験もない人間のことである
Twitter上で学生時代○○な人は予後が悪い構文を時々見かけます。
大抵の項目が自分にあてはまっていて関心してしまいますが、それと同時に結構私みたいな人間はいるのだなぁと安心感を覚えてしまいます。
さて、ここで言われる予後が悪いとはなんなのでしょうか。
この定義は人によりけりで一意に定まるものではない気がします。少なくとも、Twitterの人間はそこまで考えていません。おのおのの解釈であーだこーだ好き放題言うのがTwitterという無法地帯なので。
私の考える予後が悪い状態とは、自己肯定感ならびに自己効力感が低く、そのくせプライドは高く、自分は平均以上だと盲信しており、一方で根底の自信のなさを消しきれないため人付き合いが希薄かつ極端で、無力感と虚無感に苛まれ、現実を直視できないまま誤魔化しながら存命している状態、だと思います。
長々と自己紹介失礼いたしました。
なぜこんな人間が生まれてしまうのか。そんなん学生時代運動部じゃなかった、とか、幼少期ゲームを禁止されてたとか、それはあくまで表に出てきている事象であり、要するに成功体験も失敗体験もしないまま大人になってしまうことが問題なのだと思います。これが予後が悪くなる要因。
自分の子どもには失敗をさせないように、とか、辛い思いをさせないようにと競争を避け、悪い影響を与えそうなあらゆるものから保護をすると、成功も失敗も知らないまま大人になるんです。
そうなると、もちろん成功体験がないので自己効力感はありません。かといって失敗体験もないので、「自分はやってこなかっただけで、やろうとおもったら人並み以上にはできるんだ」という謎の自信がクソみたいなプライドとして蓄積されます。しかし実際自分が無力であることを心の奥底では理解しているので、挑戦を避け、ずーーーーーーーっとありもしない妄想の中の理想の自分だけを見つめて生きていくはめになるのです。死んだほうがいいですね。
こうならないためには、子どものうちからたくさん挑戦をし、適度に成功と失敗を経験し、自分の実像を捉えられる基盤を作る必要があります。というか、世の中の人間はこれが無意識的にできているんですよね。変な親に当たらなければ、、、
悲しいかな血縁は選べませんので、そうなってしまったら、大人の自分が自分を育て直すしかないです。
私は今失敗がしたいです。
早く自分として生きていく覚悟を決めなければなりません。
今まで戦えなかった分、自分を試してみたい。
傷つくことや失敗することよりも、何もしないまま死ぬことの方がよっぽど恐ろしいことだと私は思います。