矢倉沢往還を走る その3 小山~沼津
明けましておめでとうございます。2024年もいろいろなところへ出かけたいと思っています。
前回、足柄峠を越えて静岡県に入りました。今回は、矢倉沢往還の最終として、小山町から、旧東海道との合流地点がある沼津まで駿河の国を走りました。
行く前は、ほぼ市街地を通るので古道の印象はあまり期待できないし、寒波が来てるし、遠くてアクセスにも時間が掛かるし、などネガティブなことばかり考えていました。
実際に現地を走りだすと、富士山と箱根の山々の風景に癒されながら気分よく進めました。
小山~御殿場 10㎞
足柄駅から御殿場中心部あたりまでは上りが続き、そこから長い長い下りに入る。
御殿場線の足柄駅に9時過ぎに到着。スタートしてすぐ山間部に入る。
早速、古道らしい風景に出会える。
この辺りの足柄古道も舗装はされているが、古道の風景を残している。
御殿場市に入る。あたりは点在する工場や林が続き、民家は無い。垣間見れる富士山に目を奪われる。
人里に入って旧道区間に入ると深沢城址があった。武田信玄と北条氏の間で奪い合いがあった城とのこと。
コンクリむき出しの年代を感じる橋に合わせて、道がカーブする。
この辺りの地名は竈(かまど)というそうだ。由来は、頼朝が巻狩りのときに飯炊きの竈を築いたことによる、とのこと。
御殿場~裾野 10㎞
御殿場市から裾野市に入る。徐々に標高を下げて、寒さがやわらぐ。
旧道区間だが、まっすぐ延びる道が続く。
黄瀬川沿いを進む。溶岩台地がむき出しになった川の姿は、平地なのに渓谷のような荒々しさがあった。
黄瀬川に掛かる高橋を渡る。この橋の脇には「水底の宮殿」という竜宮城のような伝説の碑があった。橋の下は、伝説が生まれそうな神秘的な淵だった。
田畑を迂回する旧道区間。遠くまで見渡せる道の曲線が美しい。
旧道あるあるで山裾を通る。
裾野市に入り、2度目の御殿場線踏切を渡る。
なお、御殿場線は、熱海経由になるまで当初の東海道線で、当時は複線だったとのこと。言わば鉄道の旧道区間か。
久方ぶりに246号との合流があり、すぐに分かれる。246号線は最初から最後まで大規模道路だった。
裾野~沼津 12.8㎞
裾野市、長泉町、沼津市と南下して沿岸部に近づく。
裾野駅を過ぎる。
3度目の御殿場線踏切を渡る。今日のルートは御殿場線と並走し、何度も渡る。街道沿いに当初の東海道線が引かれたためか。
この辺りは工場と自動車専用道路により、旧道が消失している。一番近いところを通る歩道橋を進む。
「なめり」って何を意味するのか調べると、この辺りの地名で、「納米里」と書くそうだ。
沼津市に入り、平野部に降りてきた感じが高まる。
ここも年代を感じさせるコンクリ造りの橋を渡る。橋の欄干に「ことぶきばし」の新しい銘板がついていた。
踏切の名前が、「箱根裏街道」となっていた。
沼津市民にとって、矢倉沢往還は箱根裏街道だったのか。
13時過ぎに旧東海道との合流点に到着。矢倉沢往還の終点として、碑のようなものがあるか見渡したが見つからなかった。
矢倉沢往還は、東海道に比べたらマイナーな街道ですが、その分、手つかずの風景が所々残っていました。あまり訪れる人もいなくて、荒廃が進んでいたエリアもありましたが。
通して振り返ると、青山や渋谷といった大都会をスタートし、神奈川県の内陸部を横断し、静岡県まで至る道中では、交通量の多い大規模幹線道路だったり、訪れる人がほとんどいない峠道だったり、いろいろな風景を見せてくれました。実際にそこを歩かないとわからない雰囲気とか、つらさも味わえました。
行けるところが残り少なくなりましたが、まだもう少し考えている街道があるので、2024年も走りに行くつもりです。