金沢八景を走る
今回も近場の古道探訪です。かつての風景の面影を求めて、金沢八景周辺を走りました。
歌川広重の浮世絵に描かれた金沢八景は、かつてこの地に広がっていた入江の風景なので、今は無き入江の周辺を巡るようにルートを設定しました。
金沢八景駅を起点として、周辺を巡りながら野島や能見堂など、名所、史跡にも寄り道して約20㎞の行程でした。
なお、工場や学校など私有地により立ち入れない場所は迂回しています。
今回のルートを、当時の海岸線をスーパー地形図上に描いた図に重ねてみました。
今昔マップ上にもルートを重ねました。上部の入江は泥亀新田として江戸時代に徐々に埋め立てられ、下部の入江はまだ残っていますが、1960年代に埋め立てられています。
金沢八景駅~野島
金沢八景駅を、遅めの14時ごろスタートする。駅の壁にも描かれている金沢八景の風景を目指す。
駅を出て、シーサイドラインの高架下から琵琶島越しに平潟湾を望む。浮世絵とは見ている位置、方向も違うが、自分の中では平潟落雁とする。
瀬戸神社に立ち寄る。目前の海が入江の狭い水路(瀬戸)になっていたことに由来する。
今昔マップにあるように、六浦も内陸まで入江になっていて、三艘と呼ばれる船着き場があった。地名としては失われたが、町内会の名前として残っている。
これも浮世絵と異なるが、内川橋のたもとから眺めた景色を内川暮雪とする。
夕照橋から野島を望む風景を、野島夕照とする。橋を渡って野島に寄り道する。
野島の頂上まで上がったが、工事中のため野島の展望台には登れなかった。八景周辺から東京湾まで、360度見渡せる絶好のビュースポットなので別の機会に紹介したい。
野島~称名寺
野島から八景島を望む。八景島は1980年代に造られた人工の島だ。手前には海苔養殖場があり、野島で販売されている(忠彦丸海苔)。
旧伊藤博文別邸の建物に入るのは有料だが、庭の牡丹園は無料で入れる。
龍華寺に寄る。泥亀新田を開拓した永島家のお墓があるとのこと。
東京湾側も、海岸線が埋め立てられて海の公園になっている。ここからの風景を乙艫帰帆とする。
称名寺の境内は当時の風景をそのまま残していると思われる。
称名寺~金沢八景駅
金沢文庫駅の裏から、能見堂まで登る山道に入る。以前、浦賀道として江戸方面から浦賀まで走った旧街道である。
能見堂からの風景が素晴らしく、金沢八景の起こりだったようだが、現在は木が邪魔して開けた眺望は得られない。
能見堂跡から山を下った先、谷津浅間神社の石段を上がる。こちらの方が金沢文庫駅方面の見晴らしが良かった。
中央に延びている細長い高台は、スーパー地形図にも残っている入江内の岬の名残である。
手子神社の案内板に、「小泉夜雨」の起源となった小泉の瀟湘の松の下の祠を竹生嶋弁財天社として境内に移した、とある。小泉の瀟湘の松の場所がわからないので、この場所を小泉夜雨とする。
手子神社から八景駅に向かうが、途中は東急車輛工場や学校があり、古道は失われている。
瀬戸橋近くの姫の島公園にある泥亀新田を守っていた水門に立ち寄る。1964年まで管理されていたとのこと。
入江の瀬戸にあった瀬戸橋は、宮川という川に掛かる橋として名前を残している。ここを瀬戸秋月とする。
琵琶島から洲崎方向を望む風景を洲崎晴嵐とする。これで八景を制覇?したことにする。
金沢八景駅に戻ったのが17時だったので約3時間の行程だった。
最後に、当時の観光鳥瞰図である西湖之八景武之金沢模写図を、東京都立図書館デジタルアーカイブより拝借しました。
当代随一の風光明媚な名所として人気があったのがわかります。もしこの風景が今も残っていたら、と空想するだけでも惹かれるものがあります。