
僕と椎名林檎
椎名林檎。
*
彼女の存在は僕の音楽人生とは切っても切り離せない。一本目の記事にも書いたが、彼女により僕の音楽人生は開かれた。すなわち「わ〜た〜し〜の〜スーパースター〜」である。そんな彼女との出会いを、忘れてしまう前に書き留めておこうと思う。
*
僕(20)と同世代の人間は「椎名林檎」をどこで知っただろうか?(少なくとも僕が人生で関わった人間たちの)多くは「NIPPON」をその出会いとしてあげる。それもそうだろう。「NIPPON」は2014年にFIFAワールドカップ・ブラジル大会のNHKサッカーテーマソングとして使用された。サッカーといえば、日本の一大国民的スポーツ、日本の平均的男児・中肉中背野郎どもは必ずや通るともいわれる、いわば日本人のコモン・センスである。しかも、全国民が見ている(とさえ思われている)ワールドカップの歌だ。小学生のころに校庭でサッカーしたことのない男児なんてツチノコばりのレアもんだ!と言われんばかりでしたもの、そこで僕ら世代の人間の大半は彼女を知った、といわれても驚きやしません。でもね、僕はその「レアもん」だったんです。体育の授業以外でサッカーボールを蹴った経験なんて、片手で足りてしまうくらいしかありません。それはそう、僕が極度の「ウンチ」だったから……と僕とサッカーの因縁はこれくらいにしておいて、そんなこんなで僕が2014年に彼女を知ることはなかったわけです。では、僕がどこで彼女に出会ったのか。
*
僕が「椎名林檎」を認識したのは、彼女が主題歌を手がけた、2017年放送のドラマ『カルテット』のときだ。椎名林檎、松たか子、坂元裕二。思春期にあのドラマに出会ったことは僕の人格形成に大きな影響を与えたのだが、それはまた別の機会にでも話そうと思う。何はともあれ、僕は『カルテット』にどハマりし、またその主題歌であった「おとなの掟」にどハマりしたのだ。当時は「幸福になって 不幸になって慌ただしい」を「幸福になって 不幸になって 綿菓子」だと思っており、ずっと「わったーがーしっ」と一日中家で歌っていた記憶がある。松たか子が「真っ(黒な)」と歌い出すだけで、ミステリアスでユーモラスでちょっぴりキュートですらある仮面舞踏会が始まらんとする「おとなの掟」。僕はここで椎名林檎というのは「おとな」な曲を作る人なんだな〜と認識した。
*
でも、「おとなの掟」自体にはどハマりしたのだが、ここで「椎名林檎」自体にどハマることはなかった。ではここからは彼女がどのように僕の音楽人生を開いたか、を話していく。
*
「おとなの掟」ブームが終わり、その次に彼女を再び認識したのは、翌年彼女と宮本浩次のコラボ楽曲『獣ゆく細道』が「news zero」のエンディングテーマになったころであった。あの曲さ、「さ〜寝るか!」ってなるあの時間帯には似つかわしくないほどにあまりにも情熱的で、幼心(?)にもわかる狂気に満ちていますよね。正直怖かった。「この時間には『真夏の通り雨』(宇多田ヒカル)みたいな安らげる曲が聞きたいのに!」と思い、ちょっと彼女を毛嫌いしそうになった。というか、した。あんなにも狂気的なものを音楽だとすら思えなかったんですね、あの時期の僕は。幼かった。ここでも僕の音楽人生の扉は開かれることなく、「そのとき」は2019年に持ち越された。
*
そう。僕が椎名林檎に心酔することになったのは2019年。冬だった。今でこそ「ミーハー」を毛嫌いする僕だが、当時は「ド」がつくほどのミーハーであった。当時同じクラスだった友人らとカラオケに行ったあの日、僕らがbacknumberやら流行りのボカロやらを歌うなかで、ひとりが彼女のかの大名曲『丸ノ内サディスティック』を歌ったのだ。もう僕は脳天をブチ抜かれた。世界が覆った!「おとな」な単語、「憧れ」の詰まったその曲に、僕は上京を夢見た。東京住みだけど。聞いているだけでTOKYOの風を肩で切りながら歩くさまが浮かんでくるあの曲に、僕は喉が乾く思いがした。手を伸ばしたくなった。その友達の声質がかの曲に鬼フィットしていたこともあって、僕はもうどハマり。みんなとわかれてから家に帰るまで、『丸ノ内サディスティック』をただ一曲リピートして聞いた。それだけでもう大方歌詞もメロディーも覚えてしまって、家に帰るや否や、「マーシャルの〜」と口ずさみ出した。マーシャルなんて知らんガキが!って感じですよね。いや、別にガキでも知ってる人は知ってるし、そうでなくとも知らない人は知らないか?って、まあそんなことは置いておこう。それだけでは飽き足らなかった僕は、当時「Nintendo Switch」用のカラオケソフトで家でカラオケをするのが我が家のアワーブームだったのだが、覚えて早々、そいつで丸サを歌い出した。それはそれはカッコつけて!「おとな」へと手を伸ばすように!「カ・イ・○・ン!」ってな感じで一曲歌い上げた僕は自慢げに、マイクを次の人、すなわち母に渡した。そして、それを受け取った母が歌い出したのが彼女の大名曲のまたひとつ『歌舞伎町の女王』であった。「今夜からは此の町で 娘のあたしが女王」。完全K.O.負け。打ちのめされた!「おとな」への憧れが鋭利に、鋭利に研ぎ澄まされたあの曲に、僕はもうメロメロになってしまった。僕はそこからYouTubeを開き、『本能』『罪と罰』『ここでキスして。』『ギブス』と彼女の代表曲を聞き漁った。彼女のアヴァンギャルドっぷりは、彼女が親世代のアーティストであることを忘れさせた。夢中で聞いた。特に『ギブス』を聞いたときは衝撃だった。僕はこの曲を知っている。どこで聞いたかは分からない。でも、確実に知っている。ノスタルジーにも近いけど、もっと決定的だった。確信だった。僕にはこの世に四曲、自分のなかに昔から根づいている感覚のある曲がある。それはまた別の機会に話そうと思うが、『ギブス』はそのなかの一曲であった。あの運命的な「再会」に、僕はもう夢中だった。夢中、夢中って言いすぎだけど、夢中だった。でも、運命的な側面だけ書くのも事実と異なるため、正直にあのときのことを記述するならば、実際あのときにピンときたのは『ギブス』くらいだった。というのも『罪と罰』をはじめて聞いたときは、zeroで『獣ゆく細道』を聞いたときと同じように「これって音楽なの?」と思った。身体が拒否していた。かなり強く。もう二度と聞かまいとさえ思った。でも彼女にここまで狂わされたのは、あそこで『罪と罰』に対してオエッとなったからであるのも事実だ。というのも、昔から僕は自分が受け入れがたいものを面白がる傾向がある。理解できないものをこそ理解したくなるのだ。嫌いな人とばっかり仲良くしちゃう。←最近なくなってきたなこれ。でも誰しもあるでしょう?なんか見たくないものが目の前にあるとき、手で目を覆うくせして指の隙間からチラッと見たくなるアレ。顔を背けるくせに視界の端でチラチラっと見ちゃうアレ。怖いもの見たさ、みたいなね。それでなんとかアレルギーを治したくて『罪と罰』を毎日一回ずつ聞いた。三日目くらいまではやっぱり無理!って感じだった。鳥肌が立って、身体が受け入れない。でもその感覚が変わりはじめたのは四日目からだった。四日目から、嫌い嫌いも好きの内じゃないけど、こんなに毎日聞きたくなるなんて好きなんじゃない?と思うようになった。早く聞きたい、とさえ思うようになっていた。気がつかぬうちに僕は、『罪と罰』の、触れたら怪我してしまいそうな荒々しさの虜になっていた。怖いね。丁度可知差異未満の変化率で大嫌いが大好きになっていく感覚。はじめてではなかったけど、いちばん大きく針が触れたのがあのときだった。いちばん苦手だったものが大好きになってしまったので、もうそこからは怖いものナシというか全部大好きになった。そこから彼女の音楽を聞くことが僕の日課になった。
*
ちょうどそのころ、椎名林檎初のベスト・アルバム『ニュートンの林檎〜はじめてのベスト盤〜』が発売された。もともと音楽は好きではあったので、親とよくタワーレコードに行っていた。その日もそう。買い物ついでに入ったタワーレコードの入ってすぐの場所に「それ」は待ち構えていた。『罪と罰』アレルギーを解消したばかりの僕は、とにかく彼女の音楽をたくさん聞きたくて親に「これほしい!」とねだった。大抵はここで断られるのだが、その日の親は機嫌がよく(?)、「私も聞きたいからいいよ」と快くそれを買ってくれた。結局、フィジカルで買ったものの待ちきれず、帰りの車でサブスクで『ニュートンの林檎』を再生した。当時はシャッフル再生で音楽を聞くことが多かったので、そのときもシャッフルで再生した。ある意味、あれが正解だったように思う。「椎名林檎って初期は好きだけど〜」ってな言葉をよく聞くくらい、彼女は初期と現在でやる音楽がガラリと(?)変わっている。でも順番ぐちゃぐちゃで聞いたことでそんなの全く気にならなかった。流れてくる曲、曲、全部が椎名林檎ワールドで、もうとにかく全部良い!大好き!またも夢中になった。
最後に、あのアルバムのなかで僕の彼女へと愛を爆発させる起爆剤となった曲を二曲上げる。『ありあまる富』。この曲の歌詞こそ彼女の真骨頂!あえて引用はしない。書き出そうと思ったら長すぎる。全行が宝石のように輝いている。あの曲の歌詞のような言葉を書けるような人間になりたい!と今でも強く思う。そしてもうひとつ、『青春の瞬き』。彼女の音楽には「諸行無常」が、そしてそれを受け入れているような姿勢が溢れている。それはそのころから強く感じていた。そして、だからこそこの曲のサビの冒頭の「時よ止まれ」の6文字に彼女の本音を垣間見た気がした。強く惹かれた。車の中で涙が溢れた。音楽を聞いて泣いたのはあれが初めてだった。逆説的に諸行無常を肯定していることには変わりないのだが、それでも彼女の弱さが曝け出されたあの6文字に、僕は惚れてしまった。あの日から僕がこの世でいちばん好きな曲は『青春の瞬き』である。そして、あの日から僕のthe most スーパースターは彼女である。
*
僕と椎名林檎の出会いはこんな感じである。別に面白いトコロはひとつもない。そこから事変を知ったり、コロナ禍に大量放出されたライブ映像に寝食を忘れて見入ったり、自分たちでコピーして演奏をしたり、ライブに行ったり、色々なことがあった。けどそこまでは今書くべきじゃない気がするので書かない。死ぬ前にでも書こうかな!ここまで拙文を読んでくれた人ありがとう!一本目の記事が叙情的であったのに対して、この記事は叙事的なことばかりでつまらないね。でもこれを残しておくことに意味があると思うので書きました!では、これにて完結!