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中村佳穂を見た!
以下は、Nakamura Kaho PIANO SOLO TOUR2025″ひとりくない”の初日公演後に、本編最後の二曲を聞いているあいだに考えたことを錦糸町から最寄駅に帰るまでの時間でまとめたもの。
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とんでもない音楽体験をした。今日は鬼才・中村佳穂のライブ。会場はすみだトリフォニーホール。とっても音がよかったね。彼女の巧みな空間設計術も相まってか、どこよりも音がよかった。
一部から彼女の鬼才っぷりは遺憾なく発揮されていたが、とんでもなかったのは二部の最後。「忘れっぽい天使」。彼女の後ろのスクリーンに羽が映されていたけれど、そんなのなくとも一部のはじめから見えていた羽。彼女は見紛うことなく天使だった。彼女の音楽には枠がない。歌とピアノが一体化したり分離したり。ルールなんてなくて(事実、歌とピアノが和音になっていないこともしばしばあったように思う)、したいようにしている。上原ひろみのコメントにもあったけど、まるで子どもが遊んでいるのを見ているようなんですよね。自然と笑顔になってしまう。でも、多分上原氏が笑顔になるのは彼女の演奏が微笑ましいからだろうが、僕らが思わず笑顔になってしまうのは彼女がすごすぎるから。すごいとかいいとかあんまり言いたくないんだけど(エモいって言いたがらないのと同じです)、すごいしか出てこないのよ。すごすぎた。
彼女の音楽にはうやむやなところがなくて、なくて、というかうやむやなところをなくすために音楽をしているようだった。彼女のグルーヴィーな音の波は、彼女のうやむやさだけでなく、僕らのうやむやささえものみ込んでいった。
そんなことを考えていたら、そのまま「NIA」へと音がつながる。「NIA」。僕が中村佳穂に出会った曲だ。テスト期間中の深夜って、部屋の掃除をしたくなるのと同じ要領で、僕は音楽を探したくなるんですよね。そのときちょうど『竜とそばかすの姫』が公開を控えていて、深夜にその特集がやっていた。そして、そのなかで出てきたのが彼女だった。そのときの僕は、正直彼女のことを舐めていて、ポッと出の新人が!とか思っていた。でも、そう少しでも思ったことを今でも後悔している。くさくさと画面を見ていると、「U」のレコーディング映像が流れ出した。正直なところ粗を探す心持ちだったのだが、彼女が歌い出した瞬間、世界が覆らんとした。かなり物理的に。そのとき、椎名林檎によって開かれた僕の音楽人生は第二章を迎えた。こうして一瞬にして彼女の虜となった僕は、テスト勉強も睡眠を放棄し、彼女の音楽を聞き漁った。そんな中、どんな成り行きか忘れたけど一発目に聞いたのが「NIA」だった。「不思議な夢を見た 蛹になる夢」からの「ドア『を開けて』」で僕は完全に敗北した。こんな音楽あっていいのか。自分の中の音楽が音を立ててひっくり返った、あの感覚。未だに忘れない。これが僕と彼女の出会い。そこから幾度となく聞いたあの曲を、今日はじめて生で聞けた。それだけで嬉しかった。でもそんなんじゃとんでもない音楽体験にはならない。じゃあ何がとんでもなかったか?と聞かれると、イマイチピンと来ないのが悔しい。けど明確に言えるのは、彼女には我々が決して触れることのできない「領域」があるということ。一体化した音楽空間。のようで、彼女と我々の間には明確に線が引かれていた。その線を、壁を、まざまざと見せつけられた。もうすごいとか使っちゃってるから使っちゃうけど、彼女は天才。天才だよ。彼女を天才と呼ばないなら、「天才」なんて言葉はこの世にない方がいい。安藤裕子やら向井秀徳やら折坂悠太やら椎名林檎やら曽我部恵一やら、今までにライブを見て、絶句したり、呼吸をするのを忘れたり、思考が停止したりすることはときどきあった。でも、そんなもんじゃなかった。いつもだったら「今だ!今、殺してくれ!」と思うところなんだけど、今日は死んじゃったよ、もう。音楽をしている「ヒト」を見ているよりかは「音楽そのもの」を見ていた。彼女は音楽だった。身体が音楽でできていて、彼女が歩いたり笑ったり跳んだりする、そのすべてが音楽だった。音楽なんだよ。音楽。何言ってるか自分でもわからなくなってきた。もうさ涙とか出ないわけよ。「見てる」「聞いてる」って感覚すらなくて、線の向こう側で鳴ってる「音楽」にただただ絶望してた。心底笑顔で。あの世界には彼女と僕だけがいて、彼女が希望で、僕が絶望。そんな感じだった。彼女の音楽っておいしいんだよね。おいしい。感覚という感覚が全部開かれるからさ。おいしいんだよね。かなり鋭利なのにね。
彼女は、観客のためでなく自分のために音楽をしている、とよく言う。それなのに、こんなにこちら側が「こちら」だと自覚させられる音楽。さすがにズルくないですか?緊張した音楽空間と緩和した音楽空間、どっちでもあんなに鋭利な音楽ができるなんて。さすがにズルくないですか?なんであそこまで鋭利になれるかといえば、彼女は引き算が上手。満遍ない音楽をしていない。ちょうどレーダーチャートがひと項目だけ突き抜けているアレと同じ。しかも彼女がすごいのは極限という極限まで引き算できる勇気があること。ひとつ項目が「5」ならあとはすべて限りなく「0」。そんなこと、彼女が「音楽そのもの」じゃなきゃ成し得ないですよね。こちらから見るとイチかバチかみたいなことを、彼女は「楽しそうだから」でやってのけてしまう。ハ〜、彼女って恐ろしい。あんな神業を笑いながらやっちゃうんだよ。怖いよ。でも、それも彼女が真に「自分のための音楽」をしているからなのだろうね。楽しけりゃ「バチ」でもいっか!で、あらゆるものを棄てて、たったひとつを大切に尖らせた音楽だからこそ、彼女の音楽は深くこちらにも突き刺さるのだろうね。ミスを恐れていないというか、ミスすらも味方にしている彼女。鍵盤のミスタッチだって確信犯的に見せてしまう度量。音楽が表面張力いっぱいまで、溢れる寸前というかちょっと溢れるくらいまで膨らんで、今度は見えなくなるまでしぼむ。
と、ここで本編が終了。正味アンコールいらない(なんてことはなくて、実際アンコールもめちゃめちゃに最高だったのですが)!ってくらいの終わり方だったね。アンコールの余生感を見ていて思ったけど、今日のライブは人生を、命を見ているみたいでしたね。と、ここまで叙情的なことの羅列で、叙事的なこと何ひとつ述べていないの、自分の弱点すぎるのですが、まあ今日はこんなところで勘弁(畳み方が雑なのも勘弁!)。いやーとんでもなかったね、中村佳穂。「愛してるから愛されてい」たね。