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『心と意識と:幻覚剤は役に立つのか──第1章 LSD』感想

アンソニー・ボーディン『キッチン・コンフィデンシャル』を読み終え、彼のWikipediaに目を通してみたところ、Netflix番組である本作に出演しているという記述が。料理番組が観たいのに……とやや不満を抱きつつも、せっかくなので視聴した。

1秒も出て来なかった。
何?ガセ?それとも見逃した?数分間意識失ってた?あるいはベーシックプランだから?貧民に見せるボーディンはねェってこと?(次長課長大好き!)分からない。まったく分からない。「アンソニーボーディン Netflix」「Anthony Bourdain Netflix」等検索してみたが、目星い情報はヒットせず。一体なんだったのだろうと一層不満を募らせているが、貧乏性だし腹立たしいので軽く感想を書いておく。

LSDLysergsäurediethylamid)は1943年、スイス人化学者アルバート・ホフマンにより発見された。婦人病の薬を開発する為に、穀類に含まれる麦角アルカロイドという物質を分離させる実験を行い、その成果(失敗作?)の一つとして偶然生み出されたのが始まり。
1943年は、原子爆弾が開発された年でもある(Wikipediaには「開発は1942年からマンハッタン計画で進められ、1945年7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行された。」とある。すぐWikipediaを読むなというメッセージか?うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい?)。インタビュアーにその点を指摘されたホフマン氏は、愉快そうに「酒とLSDの違いは、普通の爆弾と原子爆弾のそれと同じだ」と笑顔を見せる。

その後は、淡々とLSDの歴史、使用者の感想、サイケデリック体験が齎す医学的効果、治験者の感想等々が語られていく。
体内に摂取可能なものはすべて、文字通り毒にも薬にもなる。四大元素の一つ、私たちの生活に恵みを与え、1日断ち切るだけで体に不調を来す水でさえ、大量に摂取すれば中毒症状を惹き起こす。肉を食べ過ぎれば成人病罹患率は上がり、コーヒーを常飲する者はしばしば不眠に悩まされ、体の痛みを癒すオピオイドのオーバードーズによってプリンスは命を落とした。急性アルコール中毒で夜中に救急搬送される迷惑な大学生が居る一方で、「酒は百薬の長」なんて言葉もある。料理に酒を使う文化は、日本はもとより世界中の国々の、どんな少数民族のあいだでも見られる。

LSDは、1960年代アメリカの若者たちを中心に絶大な支持を得た。LSDにより“目醒めた”彼らは、様々なアート、カルチャー、政治運動を展開した。先日、区役所に電話を掛けたところ、保留音がビートルズの『レット・イット・ビー』だった。ディズニー映画は今でも新作が公開されるたびに話題を呼び、老若男女問わず愛され続けている。そして、シリコンバレーで生まれた技術や製品を駆使して私はこの文章を書き、あなたもこの文章を読んでいる。
ビートルズも、ディズニーも、ジョブズも、生まれきっての天才だったことは間違い無い。しかし、もし彼らがLSDを使っていなかったら、きっと今とはまったく異なる世界を生きていただろう。

本作でも語られているように、サイケデリック体験には個人差がある。風景や明暗、場所、時間、といった外的要因と、個人がこれまで経験してきたものという内的要因が絡み合う為、幻覚の内容は千差万別だ。また、同一の個人に於いても、同じ体験を再び得ることは出来ない。
しかし、唯一共通する知覚がある。それは、「全体は一体化し、その全体のうちに自分も存在している」という知覚だ。ビートルズは、自分たちが鳴らす音楽に合わせて木々がそよぐ様子を何時間も眺めていたかも知れない。ジョブズは、おのれの脳が世界中の人々の脳と接続されるのを感じたのだろうか。ディズニーは、カラーアニメーションにより視覚と聴覚の調和を見事に再現してみせた。かくいう私も、同様の知覚を得たことがある。一つが全体であり、また同時に全体は一つであり、自分はその全体であり、また同時にこの一つのものであると。そして、そう感じることに心からの喜びと深い安堵を覚えるのだ。本作に登場した人々もそうだった。その効果を利用して、自殺志願者に生きる力を注ごうとする医者も居た。
何故、時代も文化も人種も何もかも異なる者たちが、共通してその幻覚を見、等しく魂を救われるのだろうか?

宗教や儀式と薬物の関係は、古来より分かち難いものである。人類は、酩酊により神との合一を感得し、酩酊を齎す植物や酒を神聖なものとして神々に捧げた。無宗教者である私には、神と一つになりたいという思想はあまり理解出来ない。
他方、男と女という二つに区別された肉体は、結合することにより快感に至り、それを愛と呼ぶことさえある。男女の結合が新しい命を創造する。また一方で、人間は言葉・文字を通じて相互におのれを伝え合い、一つになろうとする。相手に自分の言葉が伝わり、自分が相手の言葉を理解したとき、人間は深い満足感を獲得する。愛する者の言葉や表情、仕草、声の調子などから彼/彼女の深奥を理解したいと願う。私たちはインターネットを通して繋がっている。この手のひらサイズの薄い板の中にすべてが在り、自分が在る。愛する者の写真や共感する文字にグッドボタンを押し、その数が多い分だけ人間の心は満たされる。受容を希い、拒絶を恐れる。一組の人間、一つの家族、一つのグループ、一つの共同体、一つの国家、一つの惑星、一つの太陽系、一つの宇宙。
さっぱり分からない。何故人間は「一つであること」にかくも執心するのか?どうして全体との一体感に、時には涙を流すほど感動するのか?アメーバ等を除けば、多くの種類の生物は、人間と同じく雌雄異体である。彼らも交尾や受粉をするとき、何か特別な感情を持つのだろうか?猫は、自分の体を相手にこすりつけたり、相手を見つめながら目をゆっくり閉じたりすることで愛情表現するという。他にもいろんな方法で、愛猫は私に何かを伝えようと試みる。遊んで欲しい、お腹が空いた、頭を撫でて──その意図するところを理解するとき、私は全身が愛で痺れる。彼女はどうなのだろう?猫は自由気ままな生き物だ。自分が欲するものは必ずや実現されるべきだと思っているし、感興を催さないものには見向きもしない。ご飯をくれるから、遊んでくれるから、撫でてくれるから私に懐いているのか?思いが伝わったことに喜んで「フニャウ!」と鳴いているのか?私はこの世で唯一、この子を愛している。だからもっと知りたいと思う。猫になれたら、この子の感情をより深く、より正しく知れるのだろうか?猫はそんなことを気にしない?そんなことに拘っているのは人間だけ?

LSDの研究が進めば、人間のこのような性状についても解答が導き出されるかも知れない。あらゆる分野の学者たちがこれまで追究し続けた大きな命題の一つである。
先日、ツイッター(Xか……イーロン・マスクもアシッドでキマりながら仕事をしているのか?)のDMである人から「ドラッグにより神秘体験を得られるか?」という質問が来た。上述した「全体との合一」についての体験を述べ、「宗教者であれば、宗教的なイメージや図像と身近であるので、神との一体感を得るような神秘体験は可能だと思う」といった私見を加えて返信した。それに対する返信で、ヘーゲル哲学との近似性が指摘された。私も最近『精神現象学』を再読したが、書かれている内容はLSDにより現象する精神のはたらきとかなり似ている。LSDが発見される200年以上前に、敬虔なキリスト者がこの“難解な”哲学書を著したのは興味深い。カントの「物自体」を否定し、理性はすべてのものに行き渡ると主張した点は、サイケデリック体験を経た者には既知の事実として納得出来る。
また、意識が絶対知へと到達する為に必要とされる「Bildung 教養」というドイツ語は、日本語の持つ知識、インテリジェンスに偏った意味と多少異なり、より実践的な意味を含んでいる点にも注目したい。サイケデリック体験は、まさに実践的な意識の活動だ。これまで私は、先人に倣いサイケデリック体験を「精神変容」と表現してきたが、「精神解放」と呼ぶほうが正しいかも知れない。実践的な意識は絶対知に至り、そこで精神は自由に、何にも煩わされること無く泳ぎ回っている。
自由な精神の持つ創造力は、今後も人類の歴史に変革を齎し続けるだろう。ボーディンの動画は諦め、彼がテレビ番組で世界各国の料理を旅した様子を記した『クックズ・ツアー』を買った。これで手打ちにしてやるよ。

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水川純
無職を救って下さい。