騒音を公園周辺住民に押し付けることの意味
この記事は備忘録です。日常生活で急に思い至ったことを書いています。
公園には騒音がつきものである。周辺住民はある程度は許容して暮らしているのである。しかしその限度を越えた騒音が発生することもまた必然である。
限度を越えた騒音に対して住民が苦情を言うことは多々ある。子供の声、ボール、バイクetc.内容は様々であるがここでは言及しない。
その苦情を訴える声に対して「我慢しろ」「引っ越せ」「子どもの遊び場を奪うな」などという批判がとても多いのは私が常日頃述べてきたとおりである。
社会生活から発生する騒音を一部の人間に押し付けているこの行為が一体何をもたらすのか彼らは深く考えているのだろうか。
騒音に対して取りうる手段はいくつかあるが大きく分けて2つだろう。
放置する
騒音を許容範囲まで減らす
残念ながら現代の日本の自治体は騒音を減らすことが下手である。とても下手である。先の青木島遊園地の件では20年かけて住人が納得できる対処ができなかったのである。
NIMBYという言葉がある。not in my back yardの略称で簡単に説明すれば必要ではあるが自分の家の隣にはあって欲しくない施設のことをさす。
騒音を発生する施設もこの中に含まれており日本の公園はNIMBYにあたるといえるだろう。実際に私は住宅探しのアドバイスで真っ先に公園や学校の隣はやめておけと言われているのを何度も目撃したことがある。
そのような感覚が一般広がっていくと何が起こるか。公園周辺の価値が下がるというのは言うまでもない。しかしもっと致命的な事が起きるし実際にすでに起きているだろう。
すなわち、公園を新たに作ろうとしても周辺住民から反対運動が起こり子どもの遊び場を増やすことができなくなるという問題である。
子どもの遊び場を奪うなと周辺住民を批判した声が逆に子どもの遊び場を奪っているのである。
私は過去の記事で住環境へ関心と改善を訴えてきた。しかし、それは公園騒音被害者となってはじめて思い至ったことでもある。不幸中の幸いではないが、住環境のことを何も考えたことのな人たちにも少しでも考える機会を与えられればと思う。