保育園訴訟

 東京都練馬区の住民が隣にできた保育園の園児の声がうるさく平穏に生活する権利を侵害されたとして、園の運営会社「日本保育サービス」(名古屋市)などに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(渡辺恵理子裁判長)は、住民側の上告を棄却する決定をした。23日付。住民側敗訴の一、二審判決が確定した。

 020年6月の一審東京地裁判決は、07年4月の開園から2年ほどは国基準を上回る騒音レベルが散見されたが、園庭の使用を控えるなどして抑制され「受忍限度を超えていたとは認められない」とし、住民側の請求を棄却。21年3月の二審東京高裁判決も一審判決を支持した。(加藤益丈)


 騒音の記事が増えているように感じる昨今また新しいニュースが飛び込んできました。

 幼稚園からの騒音に対して周辺住民(3人)が被害を訴えたが棄却されたとのことです。本件で重要なのは開園から2年は騒音であったと認められたところでしょうか。現地をGoogleマップで確認しましたが園庭はとても狭く隣家に0メートルの距離でした。

 凄まじい騒音が発生していたと思われます。現在は防音壁が建てられておりその点などが評価されたのか現在は受忍限度を超える騒音はないと判断されたようです。

 この記事では省略されておりますが別の記事によりますと園庭の位置を変更してくれという要望が認められなかったという内容です。細かいことですがこの点を看過してしまうと「子供の声が無制限に許容された」と勘違いしてしまうことでしょう。

 本件が訴訟になるまでこじれたのは園側の初動対応が原因だったのではないかと推察します。2年間騒音が続いていたと認定されておりますが、2年も騒音を浴び続けると感覚が破壊されてしまい少しの騒音も許せなくなります。

 これは個人の性格の問題ではないと思います。騒音という加害行為で精神が破壊されてしまうという被害です。永久に治らない可能性もある恐ろしい被害だと思っています。

 


 私は普段騒音に対して意見を述べておりますが本稿でも改めて強調しておきます。

 未来のあるこどもvs将来のない老人という構図にネットの意見どころかマスコミたちまで誘導しておりますが本来は違います。

 騒音対策を考えなかった杜撰な大人vs何の落ちも度もなかったのに急に被害を受けることになってしまった人たちです。年齢は全く関係ありません。騒音の原因がたまたま子どもであっただけです。この施設が保育園ではなく工場であったと仮定すれば理解しやすいと思います。営業の一種です。社会的要請の大小の問題であるので強い必要性があれば認められやすいとも考えもあると思いますが工場やその他の施設も社会に必要なものです。

 別の場所に開園するなり、最初から防音をしっかりしておく、周辺住民に説明会を開いて相談しておくなどの対策はいくらでもあったはずです。日本の法律がとても甘く穴だらけなので一番儲かる場所に園を開けてしまっていることが問題です。

 住宅地と教育施設は離して設置することも可能なはずです。もちろん日本は狭いですから不可能なケースもあるとは思いますが人口密集地にさらに入り込んでいく人が増えているという社会問題も根底にあると思います。

 大きなお屋敷が家主の死亡等で空き家となり業者が買い取り分割して人口密集を加速していく。そういった事情です。

 過疎に悩む地域では子育て世代に有利な条件・・・例えば家を無料で提供したり無料の託児所を作ったり遊び場を創ったりと頑張ってはおりますが若い子育て世代は都会を求めて人口密集を悪化させてしまっています。


 私は今回の判決をとても恐ろしいものに感じました。日本では不動産の価値が保障しないと国が宣言してるのと同義だからです。

 未来のある子どもたちのためならば、必死にためたお金で手に入れた土地建物の価値が著しく下がっても許容しろと言っているのです。

 子供の声を騒音というなんて、という意見はとても多いですが、子供の騒音が発生する地域の地価は落ちるのが現実です。大半の人はそんな土地には住みたくないと本音です。

 子供の声を騒音と思ってはいけない社会にしていかなくてはいけない!という意見はとても危険だと思います。うるさいものはうるさいのです。理想と語ったところで現実は寝ているところを起こされますし急に上がる奇声には寿命が縮まるような思いをさせられます。

 子供の声を騒音と認めたうえで迷惑とならない社会を創る。

これが犠牲者を作らないため、より良い快適な社会生活を創るために重要だと思います。誰か自分以外の人が被害を受けてそれを嘲笑うような社会には未来はないです。まともな人は出ていってしまいます。うわべだけの先進国から脱却するために必要な議論だと思います。

補足:27日誤字修正及び加筆

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