あの頃の私【追記】
とりとめのないことを書きます。
初任1年目は6年担任で児童会担当でした。
そんな初任1年目は若い女性の先生と学年を組んでいました。
自分では何とか乗り越えたと思っていた1年目でしたが、今思えば見えないところで同じ学年の先生には本当に助けられていたのだろうなと思います。
今、初任2年目の方と6年担任をしています。
裏で動くことがたくさんあるので、そんな時に自分が初任1年目もきっとこうやって隣の先輩が動いていたのだろうなとしみじみしてしまいます。
「何かあったら言って下さい。手伝います。」
間違いなく、がんばりたいと思っているのが伝わります。
時として、自分から気付いて動いて欲しいと思ってしまうのも本音です。
そんな時に、自分はどんな若手時代だったかなと思い返してしまいます。
吉谷光平さんの「今どきの若いモンは」と言う漫画にハマっています。
そこでは、いろんな上司がいます。
石沢課長なんか理想中の理想の上司
でも私が共感できるのは恵比寿課長
業種は違えど、仕事について考えさせられます。
特に私の世代は、もう次世代にバトンパスする準備を始めないといけないので、この漫画は本当にタメになります。
さて、私が育ったのは、この2人ではないなと思っていました。
私は、吾妻課長のような上司のもとで育ったような気がします。
「お前は臨採。だから初任と違って研
修はない。だから自分の力で這い上がれ」
教務主任の先生に言われた言葉でした。
「先生は自分の力でどうにかするしかない。本を読んだり周りの先生から学んだりするしかない」と学年主任に言われたものの、学年主任は授業をまったく見せてはくれませんでした。
『これ、マジで自分で切り拓かないとヤバいぞ。』
それから1年間「ちょっと教えて欲しいのですが…」と先生方に頭を下げて聞いて周ったり、授業を見せて欲しいと頭を下げ、見せてもらっては深々とお礼して、本当に地べたを這いながら一生懸命に生きました。
「同じ学年を組みたい」と会議で言われたそうで、1年目に組んだ学年主任とは、2年間学年を組みました。
それから、臨採を何年かするわけですが、ここでの経験があり、1000人規模のマンモス校で学級担任として生き抜き、途中からの学級担任も何度も乗り越えてきました。
『何にも教えられてもらえなかったから、初任校ではたくさん教えてもらおう。』
そんなことを考えていた、昔の私でした。
では初任校でたくさん教えてもらったか?
特に教えてもらうことはなかったように思えます。
ふと、思い返すと私の最初の上司は本当に吾妻課長のような人たちだったのだろうかと思います。
本当は恵比寿課長のような人たちだったのではないかな、と思えます。
余談ですが、私が2年間学年を組んだ先輩は、私が初任者として研修を受ける時、担当の指導主事として再び会うことになりました。
また、厳しかった教務主任の先生は、勤務校で校長として再び会うことになりました。
お二方とも、私の成長をとても喜んでくださり、私は私でこのお二人からはたくさんのことを学んでいたのだと改めて感じています。
私も若手のためになれる上司になれるのだろうか、私がされたような厳しさはなくてよいが、厳しいことを言ったら若い先生は傷つくのではないだろうか、そんなことを考えます。
恵比寿課長の思う通り、石沢課長のようにはまだまだなれないと思っています。
学校現場という組織の中で
6年担任として
2年目の若手に
どれだけ『あなたのためだよ』と
伝わるかわからないけど
言わないといけないことは言おうと思いますし、言わなくていいことは言わないで、させなくていいことはさせず、裏で動いていこうかな、と思っています。
試行錯誤している今日この頃です。