やりたいことをなんでもいくらでもできるわけではないという事。

私はかつて、サークルの新歓の準備を全くできなかったり酒の席や知人宅で迷惑をかけまくったためサークルに行けなくなった過去を持つ人間である。あの時の自分は今と比べて不真面目だったのだろうか。少なくとも、やらかした後に、自分をどう弁護するかしか考えない、人の事を考える視点が弱かったという事は確かである。
しかし一番重要だった点は、計画性が無かったことである。
自分はへんなところで真面目さを発揮していた。自分がやりたい、やるべきだと思ったことへの勝手な頑張りは今に劣らないものだった。
だが、あの時の自分は、自分のその時のやりたいことを常に最優先し、ほかの大事なことを無視してしまう、わかってはいてもやりたいことをやってしまう人間だった。
生涯において、時間の有限性と配分を学んでいなかったのだ。

時間の有限性と、お金、体力、あらゆる資源の配分を求められ常に余裕がない状況の今になって、初めてそれを理解することができた。

多分普通の大学生ならどこかのタイミングで、おそらくは受験や就活の時に気づくことなのだろう。

やりたいことをなんでもいくらでもできるわけではないという事。あらゆることが時間を消費するという事、時期を逸したら状況は変わってしまうこと、やりたいことを後先考えずにやったとしても、お金や時間などなどあらゆるものを前借しているにすぎず、後で必ず返させられること。

昔でさえ、気づいていなかっただけで、実際にお金と時間が等価であることを示す出来事はたくさんあったのだ。

買いたいものを無計画に買っても後から稼げれば何とかなるが、そのために時間を費やすことになる。大学生じゃなくなれば、自分が好きに使える時間なんて本当になくなる。それは、まとまった時間を取れなくなるから、という事だ。隙間時間に優先順位を付けた物事を詰め込んでいくしかない。今しかできないことは本当にあったのだ。今年の夏も結局、何にも特別なことはできないまま、ただ過行く時間への恨み節をベットの上で呟いていただけだった。そうして最後の夏休みは、何もやりたいことをやり切れないまま終わった。

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