【試写】ETV特集「モリチョウさんを探して 〜ある原爆小頭児の空白の生涯〜」
先日、たまたま私のXのタイムラインに30年以上前の番組の情報が流れてきた。
普段ならスルーするが、「D大森淳郎」という表記を見て思わず録画予約を入れた。
大森氏と言えば、最近は「ラジオと戦争」に関連しての論考や著書が注目されているが、一定以上の年次のNHK職員なら知らぬ者はいないほどの「偉大なドキュメンタリスト」だ。
私がNHKに入局した時点でも、すでに「巨匠」と称されていた。どこか皮肉的なニュアンスのある「巨匠」という呼び方が私はあまり好きではないが、大森氏はまさに字義通り「巨匠」としてヒラのPDもCPも仰ぎ見る存在だった。
実は私は大森氏の番組をじっくりと鑑賞した事は無い。多摩川河川敷の物語や、ネットワークで作る放射能マップは私の在職中も大きな注目を集めていたが、当時の私は敢えて向き合おうとはしなかった。
それは私自身がドキュメンタリーに対して強い苦手意識があり、そんな自分に少し負い目があったからだ。
今では考えられないかもしれないが、約20年前、NHK職員(番組制作)は一流のドキュメンタリーを作れる事が、一人前と認められるための最低条件だった。
私もドキュメンタリー的な番組は多数作ってはいたが、イマイチなにがドキュメンタリーなのか分からず、強い苦手意識があった。新日本風土記など紀行的な番組は多数作ったが、20分くらいのサイズのいわゆる「人モノ」は一本も制作していない。
ちなみに、今もドキュメンタリーの何たるかはよく分からない。何となく、「独自の視点で現代社会を物語仕立てで描き、視聴者に考えるきっかけを投げかけるような映像」というイメージはあるが、私の理解は所詮はその程度の解像度だ。
今回は、大森氏の若かりし頃の作品への興味に加え、「NHK的なドキュメンタリーとは何か?」についても改めて思いを巡らせてみたくなったため、番組を視聴することにした。
番組総評
ETV特集「モリチョウさんを探して 〜ある原爆小頭児の空白の生涯〜」
評価不能
オススメ度:★★★★★
笑顔が特徴的な「モリチョウさん」の写真を入り口に、ディレクター大森氏が彼の足跡を辿りつつ、「空白の生涯」を埋める軌跡が描かれる。
「モリチョウさん」は番組取材時点では既に亡くなっていた。胎内で広島原爆の放射線を受け、小頭症による知的発達の遅れや、特有の肉腫に悩まされた末に、癌で命を落としたという。
だが彼の軌跡を辿ると、意外な側面も見えてくる。祭り好きで、劇場の照明演出に携わっていたこと。自身が病に苦しみながらも働き、時に友人の世話をする献身性を発揮していたこと。広島原爆に対して並々ならぬ関心を抱いていたことなど…
番組内には戦争や社会保障に対しての正面からの批判は無い。そのような「お説教」的な要素を極力排した構成・演出で進行し、終幕を迎える。
試写した上での感想
このカットにこんなにコメント入れるのか!といった表面的な要素も興味深かったが、そもそもこの番組の提案がどのように採択されたのかが気になった。私が言うのもおこがましい話だが。
大森氏のことだから、最初の提案票の時点でも「番組では○○を伝える」という社会的な意義が強調されていたのかもしれないが、どんな提案票だったのだろうか?
もし自分がCPだとして「この写真に映る笑顔の男性、実は原爆小頭症で5年前に亡くなっていたんですよ!」とPDに説明されて採択するだろうか?
「で、何が描けるの?」など野暮な事を述べて、「今もっとトレンドのテーマでもやった方が数字が取れるから考え直せ」と突き返すのではないかと思う。
この番組は大森氏の「私は知りたい」という欲求で推進していくが、今はそのような作家性・署名性がある企画は「独りよがり」との批判も受けかねないため、通すのは難しいだろう。
この番組は、かつての「自由」があったNHKだからこそ実現した企画であったとも言えるかもしれない。
ドキュメンタリーとは?
ここからはネタバレも含むため、ご注意頂きたい。
ドキュメンタリーの定義はよく分からないが、この番組を見て考えさせられる点が多くあった。
番組の最後、モリチョウさんの母親が登場する。大森氏はモリチョウさんの生き様を伝えたという。恐らく、ストリップ劇場の照明演出を担当していた事も伝えたはずだ。
しかし、いざ自分が同じ立場だとして、そこまで詳らかにできるだろうか?
また、母親は再婚し3人の子どもが健在だともいう。灯籠流しで弔っているとはいえ、冷酷さも感じるエピソードで、「聞きたくなかった」と思った視聴者もいたのではないか?
だが、大森氏からはそこはかとなく楽しんでいるような雰囲気が伝わってくるのが、この番組の不思議な点でもある。
要するところ、制作者と社会、制作者と取材対象の間の生身のやり取りこそがドキュメンタリーらしさなのではないかと改めて思わされた。
少し言い換えれば、「人間を構成要素として見ない」事が本質というか、秩序の外にある事象を肯定するというか…
今の「aさんは社会のAを表象する要素であり…」といった構成論とは対極にあるのが、本物のドキュメンタリーかもしれない。
放送100年について考え直す契機に
今なお、「NHK=ドキュメンタリー」という印象を持っている日本人は多いと思う。
その文脈における「ドキュメンタリー」とは、恐らく現在の番組ではなくテレビドキュメンタリー最盛期であった、昭和の終わりから平成初期の作品群を指していると私は考えている。
いずれも現在のTVの構成論からは明らかに逸脱していて、もはやその手の番組は制作不可能だろう。
思えば、「にんげんドキュメント」が打ち切られた時点で、NHKらしいドキュメンタリーは終焉を迎えていた。
後継番組の「にっぽんの現場」は、どうしても社会寄りになったと思う。以後の枠は演出や、視聴率の維持という意味での構成が求められるようにもなった。
そうだ。私の記憶では確か、「にんげんドキュメント」の打ち切りについては、視聴率1%のドキュメンタリーなんて総合テレビで出していられないという話だった。
視聴率など社会への影響という観点からは、ほとんど役に立たない指標だ。少し横道に逸れるが、例えば、私のnoteの読者数など知れているが、巡り巡って届くべき人に届き、時には週刊誌や新聞を通じてNHKを巡る世論に影響を与えている、と思う。
TVも一緒で、世の中を動かせる人にどれほど届いているかが重要だ。
今の薄められたNHKの番組群では、恐らくそうした層には届かない。濃密で、時に嫌な臭気が立ち昇るくらいのパンチのある味わいが必要だ。
私はこの手のドキュメンタリーが好きではない。
でも、こうして感想を綴り、他人に勧め、恐らく実生活でも「モリチョウさんという数奇な人生を送った人の番組があって…」と熱弁を振るってしまうだろう。
NHKの放送100年の文脈では、どうしても放送という言葉が「宣伝」に近い意味合いを持っているように感じられる。
しかし、我々(元も含めて)NHK職員が本来大切にしてきたのは、異様な熱量を帯びた危うい番組たちのはずだ。
まだ今なら巨匠たちも存命だ。次の100年の放送文化を真面目に考えるなら、在職中の全職員にNHK的なドキュメンタリーの技法を伝承することに挑戦すべきだろう。