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『リメンバーミー』

わたしは、地歴公民科の教員志望なので 最近は 世界史の勉強ばかりしています。

昨日放送されていた『リメンバーミー』。何気なく見ていたのですが、今日 このようなツイートを 拝見しました

『リメンバーミー』では二つの死を描いています。
現世での死と忘却の彼方へと消えてゆく死。
現世での死は人生の一部(生者にとっても死者にとっても)と描いた後に、もう一つの死がある事を描いて非常に特殊なサスペンスを死の先で生み上げて実際の「死者の日」の精神とも合っていて舌を巻きます。

(引用元 @eigarunner 様)

古代エジプトの 『死者の書』という

では死人のこれまでの行いが記され

彼らの死後の世界から復活することを願う

風習を勉強したことを思い出しました。

(浅はかな知識による間違った解釈、理解かもしれないですので鵜呑みにしないでくださいね。)

わたしは『死者の書』は遺す側 (死んだ側)のものだと思っていました。

権力、罪、功績、

確かに自分が いた こと を遺しているのだと。

しかし 『リメンバーミー』を改めて 見たとき

『死者の書』をつくり、また遺す

これは

遺された側のものだったのではないか

と思いました。

教科書だけでは 伝わってこない ことも

何かを通して “学ぶ“に変わっていく

素敵な出会い

そんなきっかけになれるような教員になりたいものです(笑)

文字がうまれて

“先史時代“として

“記録“として遺し

またそれを わたしたちが読み、繋げる

忘れないため? 覚えておくため? まだ見ぬ明日のため?

きっと

“歴史“という教科が生まれたのも

誰かの 忘れたくない 覚えておいて という気持ちが

生んだのかもしれません。

夜中、勉強していると

「いつか死んですべて忘れてしまうのになぜ

勉強して知識を蓄え続けるのだろう」

と、ふと思います

きっと死んでしまったらそんなことすら 考えないのに。

最後に同じ方のツイートですが、

『リメンバーミー』の元々のテーマは

「この世にいない者に捉われず、前進しよう」
だったのですが

メキシコ文化や死者の日をリサーチする過程で

「たとえこの世を去ったとしても貴方は愛し愛された人々の人生の一欠片」

になりました。
メキシコ人の方々もこの解釈を凄く喜んだそうです。

『リメンバーミー』

私を

“忘れないで“

“覚えていて“

don't forget と remember

類義語のようで 対義語のような 言葉

タイトル、主題歌、劇中歌、

とても ゾグゾク してきます。

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