子供の知能は侮れない☆ ~2歳児の知能の場合~
幼い子供の知能は見た目の幼さや活舌や体の小ささとは案外似つかない・・・。
それをわかっていたのなら、子供に対して滅多な行動なんて取れないという意識が芽生えて毒親対応なんてしづらくなると私は思っている・・・というか願っている。
以前こんなことがありました。
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保育園で普段は私とはあまり接点のない2歳児の男の子A君がいました。
ある日、私も含めた数人の保育士とそこそこの人数の園児たちで散歩に行った日のことです。
途中で電車がよく見える場所があるので、一旦そこに留まり電車を眺めることになりました。
A君は良い場所取りが出来なかったから電車が見づらいだろうなぁと私は思い、普段は中々接点が持てない子なんですが、せっかく来たんだから電車を見て楽しんでもらいたいと考え、
「電車が見れるように抱っこしようか?」
と私は言いました。
すると首を縦に振ってA君は応じてくれました。
結果、抱っこの甲斐とA君の好奇心により電車をしっかり堪能できたと思ってます。
やはり保育園に来たのなら楽しいと思って過ごしてもらいたいと思っていますし、満喫してくれたのなら良かったなと思います。
電車をしばらく眺めた後、さあ!目的地まで再び出発だ!ということになり、
園児たちは列を作るために整列をし始めて点呼の間立っていました。
すると私は視線を感じました。
A君の視線です。
普段はあまり接点のない私のことをじっと見ているんです。
その視線はなんというか温かい視線であるように感じられました。
彼なりに良くしてくれた先生であるということを認識してくれたのだと思います。
その後も接点が多くないのは仕方のないことなんですが、
これまでは「よく知らない先生」だったのが、
「親切にしてくれた嫌いではない先生」に昇格したらしく、
私とA君の距離感は少し縮まりました(と感じる)。
つまりこのエピソードから2歳児というのは「良くしてくれる人」か「そうでない人」かちゃーんと分別がつくのです。
しかもそれだけでなく、たった1回のエピソードでも後日まで記憶として残すことができるくらいの記憶力を有しているのです。
(もちろん子供によって発達の差があるのではないかという指摘はありそうですが、このようなエピソードがあるくらいの知能の目安である可能性を考えて下さいと言いたいです。)
幼い子にもそれくらいの能力があると多くの人が当たり前のように知っていたら、虐待や毒親対応なんて迂闊に出来ないと思うのですが。
それに子供ってけっこう周りのことをよく見ていますし。