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なぜ暴力をふるってはいけないのか? (持論:遊園地説)
いきなりですが、毒親育ちの私は親からの暴力を心身共に受けたことがある。
これは虐待ですね・・・。
なので「暴力」という言葉に対して考える機会が多い人生を自然と送ることなっている。
暴力ってお金や権力と違って、この世のほとんどの人が威力は違えどいつでもふるうことの出来るお手軽な力なんですよ。
そのお手軽さ故に暴力は中々なくならないという一面ってあると思ってます。
さて、虐待被害履歴がある私がなぜ暴力をふるうことがいけないのかを考えた結果、
「遊園地説」という持論で納得できているので、今回の記事ではそれを書いていきます。
そもそも、なぜ暴力をふるってはいけないのか説明せよと言われたら、わかりやすく納得のいくような回答を返すのって案外難しいんじゃないかと思うんです。
「痛いからダメなんだよ。」
たしかにそうなんですが、それって乱暴者にいって納得してくれるんですかね・・・?
「んなこたぁわかってやってんだよ!」
って怒り出しそう・・・。
だからけっこう説明は難しそうだなぁと。
ということでこの世を遊園地に例えて考えるとちょっとわかりやすくなるかなぁと思います。
◆◆遊園地説◆◆
●キャラクターなどの紹介。
・遊園地→ 地球
・ゲスト(来園する人)→ 我々人類。
・キャスト→ 人間以外の動物、植物、鉱物など。
(今回の記事ではキャストについては触れません。また今度)
・入園チケット→ 我々の肉体。
注目してほしいのは、入園チケットが我々の肉体というところです。
なぜ肉体が入園チケットなのかというと、
どんなに高尚な魂を持っていようとも肉体なしではこの世(=遊園地)に存在することができないから。
それに肉体がなければ目視することもできないし、触ることも触られることもできないので、存在していることを認めてもらえない。
なので肉体は、中に魂が入っている着ぐるみ型入園チケットです。
そのため、この着ぐるみ型入園チケットを破損されては、遊園地を巡ることに支障をきたしてしまう。
だからこそ、この着ぐるみ型入園チケットである肉体を暴力で壊してはならないのだと考えると
「なぜ暴力をふるってはいけないのか?」の回答として私は納得できるのです。
もちろん殺人だって同じです。
殺人は、着ぐるみ型入園チケットを使えなくさせてしまうのだから、遊園地から強制退園させてしまうことになります。
人様の遊園地を楽しみにしている心を勝手に踏みにじっていいはずがないです。
だって多くの人は遊園地に行くことを楽しみにしている。
それなのに他者から邪魔(=暴力)をされて遊園地の時間を楽しめないようにされてしまったら、悲しいし憤るのではないだろうか。
みんながみんな、遊園地の時間を楽しく満喫する!
これが出来れば本当の平和だと私は思う。
■インフォメーション■
この遊園地説は、他の事にも通じる点がたくさんあるため、これから先も記事としてちょこちょこ投稿していきます。
そしてこの遊園地説は広義の意味で毒親育ちの人の心の癒しになると私は考えています。