自信の話

最近の僕は調子がいい気がする。

突如の辞令でひとり知らない土地に赴任したにも関わらず、仕事もプライベートも充実している。

謎に作曲意欲が湧いて、ちゃんとした形の曲を3つも作った。そのうち1つは友人に歌ってもらって、動画にしてYouTubeにアップすることもできた。
久しぶりにカラオケに行ったらなぜか上手くなっていた気がしたし、健康のためのランニングも再開した。ご飯は毎日うまいし、熟睡できない日はない。

仕事でも悪くない話が多い。まあその3倍くらい、良くない話もあるんだけど。
できれば仕事したくない気持ちはいつまで経っても消えやしないけど、仕事するのが辛いわけでもない。

今の自分に自信が持てる。自分は才能があって努力もできて、ちょっとかっこいいんじゃないかって、本気で思える。
この好循環がいつまでも続けばいいし、そうであってほしいけど、そう遠くないうちに落ち込む時期がまた来るんじゃないかと怯えている。
僕はそこまで強い人間じゃない。

元々、僕は主人公でいたいしヒーローでいたい。
常に明るくポジティブで、バイタリティに溢れ、人にやさしくできる。
そんな風に生きることを目指している。

「もう何にも興味ない」って擦れちゃった先輩の話を聞いた。「君はまだ若いんだから、こうならないでね」って言われたけど、本当に僕はそうなりたくない。
何歳になっても好奇心を忘れずにいたいし、前を向いて生きたいって思っている。
常に人を笑わせたいし、自分がきっかけで周りが笑顔になるのがとても嬉しい。

でも、そうあるためには自分の中に余裕が必要だってことは、よくわかっている。

今はたまたま良いことの連続があって、心に余裕が生まれている。だからその余裕を、人のために使えている。
本当にちょっとしたことでその余裕はなくなっていく。
仕事が忙しくても、相当ひどくなければ耐えられる。何か小さなミスをしたって、カバーすれば大丈夫だ。
問題なのは、誰かから批判をされたり、酷い言葉を言われることだ。

本当に些細な言葉でも、それが心に刺さった棘になって抜けないことが多い。
それまで調子が良かったことが崩れて、一気に全てのやる気を失ってしまう。
なんて起伏の激しい感情なんだろう。自分の感受性の豊かさには感謝することの方が多いが、その分ダメージを受けやすいのを憎むことも多い。
「どんな壁があろうと挫けずにまた頑張れる」、そんな主人公にはやっぱりなれない気がする。

結局いつも、僕は虚勢を張って生きているんだと思う。

本当はひどく脆い心を、無理矢理湧かせた自信で覆って、調子に乗った勢いで色々なことを乗り越えている。
謎に頑張ったり努力ができる理由も、その自信を失いたくないから。失うのが恐いから。
そうしてできたハリボテの自分は、外から見ればポジティブで明るい人間に見えるのかもしれないけど、誰かの言葉一つで簡単に崩れ去る。

でも、そうしているうちに、ハリボテの自分が本物になればいいと思う。
剥がれたらまた貼りなおして、なんとか元気なように見せて、「僕はもう大丈夫だ!だから君も笑って!」なんて、余裕があるふりをすればいい。
何かのふりをすることは、継続すればきっとそれが本物になる、というのは僕が信じていることの一つだ。
どうしても貼りなおせなくなった時には、弱い自分を曝け出して、泣きついて甘えられる人や存在が、僕にはたくさんいる。
「逃げ場の分散」は、弱い自分を生きていく上で必要不可欠な生存方法なのだから。

だから僕にもっと愛をください。愛されるように、明日も頑張るから。

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