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『小林さんちのメイドラゴン』の話

久しぶりに何か書こうと思ったのは、僕が大好きなマンガについて。

この作品は学生の時から読んでいて、アニメももちろん2期まで見た。つい先日最新13巻を手にとったのだが、相変わらず面白い…

何より、テーマが一貫しているのだ。
思えば、僕は「初志貫徹」的な精神に惹かれる。自分自身が飽きっぽい性格だからだろうか。
この作品で最初から貫いているテーマは「異文化交流」もっと言えば「異なる価値観の擦り合わせ」だ。

物語は孤独なOL、小林さんのもとにある日突然ドラゴンのトールが異世界からやってきて、メイドとして居候することから始まる。
その後も多種多様なドラゴンや異世界人が人間界に来ては、騒動を巻き起こしながら人間との交流を楽しむ、という形式で話は進んでいく。

所々で、トールがドラゴンであることから発生する、人間との根本的な価値観の違いが強調されて描かれる。
彼女は人間を「下等生物」として扱い、破壊を生業としてきたため凶暴な言動も頻繁に発する。
そんなトールを小林さんが叱り、宥めながらトールは人間という存在を理解していくのだが、その過程がギャグもふんだんに交えて面白く描かれている。
しかし、読んでいて僕らはふと気付かされる。これは、人間同士でも全く同じことが起こるのだ、と。

同じ世界、ひいては同じ国に住んでいても、たとえ家族や友人であろうと、人は全く異なった価値観を抱いて生きている。
それを僕らはぶつけ合って喧嘩することもあれば、擦り合わせて共存していくこともある。
そんなある意味当たり前だけど忘れがちなことを、違う種族、違う世界の住人という装置を使うことで表現しているのが、この作品なのだ。
同じ人間がやってしまうと「そんなの当たり前だろう!どこが面白いんだ!」となってしまうところを、全く異なる存在であるドラゴンが起こす行動として描くことで、物語の起伏を作り面白く演出する効果を発揮している。

僕はまだ自ら家族を作ったことはないが、きっと家族はこういうものなのだと、この作品を読んでいて思う。
例え愛する人でも、血が繋がっていてさえ、他人は他人だ。何を考えているかわからないことはあるし、全く違う価値観を持っていて驚くことは何回でもあるだろう。
でも、その違いを認められずに突き放してしまうことより、それを擦り合わせていくことを楽しむ生き方を続けたい。
多くの人に出会い、騙されもし、見知らぬ人と会話することでさえ楽しめるようになってあらためて、強くそう思う。

この作品と共に成長して、考え方をアップデートできているようで僕は本当に嬉しい。
『小林さんちのメイドラゴン』を是非読んでみては。

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