
力を求めすぎると危険かもしれない
力不足を感じることがあるかも
これを読んでくださっている皆様は、「世の中は今まで悪の組織が牛耳っていて~」というような話に関心を持ってくださっている方が、ほとんどだと思います。
そういう話を見ていると、「自身の力不足」みたいなものを感じる機会があるのではないでしょうか。
例えば、「もっと英語とかがうまかったら」にはじまり、「もっと資金があれば、良いことしている団体を支援できる」「もっとパワーがあれば、捕まってる人らを救出できる」といったものまで、様々あるかもしれません。
これは、人間の感じることとして、ある意味自然なことなのかもしれないです。
ですが、この点に関して、注意点のようなものを私自身が感じているため、今回はそれを記事にしようと思います。
なお、毎度のことですが、あくまで私の意見として書いています。読んでくださっている方々にもご自身の意見があると思います。それを大事にしてください。
力を求める危険性
上で書いた「もっと力があれば」という気持ちですが、私個人としては「当然のこと」のように思う反面、「危険な部分があるな」という思いもあります。
この危険に感じる部分について、以下で書いていきます。
私が危険だと思う部分は、「(1)キリがない」「(2)悪の組織がやってることを正当化してしまう恐れがある」の2点です。
(1)キリがない
例えば「英語がもっと得意ならアメリカの文書をもっと読める」とか思ったとしましょう。たしかにその通りです。
ですが、それをだいたい読んだら、「今度は中国語が…」「ドイツ語が…」などとなってこないでしょうか。
また、いくら言語がわかっても、世の中にあるそういう情報は、とても1人で全部読める量ではないという部分もあります。探すだけでも一苦労です。
要するに、適度なところで切らないと、キリがないのです。
元々の目的が「文書を読むこと」ではない方がほとんどだと思います。
こういう風に、目的が入れ替わってしまうのは、危険性があると感じます。
(2)悪の組織がやってることを正当化してしまう恐れがある
「もっと力があれば」ということで、この地球で一番力がある存在は何かと言うと、今までは悪の組織だったわけです。(今は状況が変わってる説あり。)
ということで、「力があるヤツが有利」を追求すると「悪の組織が一番有利」という理屈に乗っかってしまうことになるのではないかと思えるのです。
そもそも、こういう「~があると有利」の話は、どれも「悪の組織が一番有利」に結びついてしまう危険がある洗脳の可能性もあると思います。
例えば、「お金持ってる人が有利」→「一番お金持ってる悪の組織が一番有利」、「努力した人が有利」→「地球を占拠するためにいままで多くの労力をかけてきた悪の組織が一番有利」といった具合でしょうか。
「力には力で~」も1つの理屈かもしれないですが、悪の組織の土俵で動くのは不利かもしれないですね💦。
絶対悪いとは言わないが、少し立ち止まってほしい
こういう「外から何か力を付加していこう」的な考えとも言える「もっと力が~」の話ですが、今まで危険に感じる部分があることを述べきました。
もちろん、それをすることで便利になる・有利になる点があるのは否定できないです。ある意味、「地球では仕方ない」的な部分でもあると思います。
ただ、そういう危険性も考慮するのとしないのとでは、行き過ぎてしまう危険性とかも減らせるのではないかと思います。
(行き過ぎた人々が、悪の組織から力をもらうために、悪の組織に味方しているケースも多々あるでしょうし。)
おまけ
ここで、「こういう記事を読んで知識を得ることは、『さらに力を付ける』に当たらないのか?」と思った方いますかね~?
良い質問ですね~(笑)
そうともとれるのが痛いところです(笑)