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この記事はマンドローネAdventCalender2019の12/21分の記事となります。
こんにちは。だーさまです。今日の内容は某マ・ギ界歴史研究の大家某氏の受け売りである事を最初に書いておきます。
1.高田三九三
皆さんは高田三九三という人をご存じでしょうか?
OSTでマンドローネを弾いていた人なのですが、「マンドリン・ギター研究」の1938年8月号にこんな面白い記事が載りました。
かいつまんで書くと
・私は小さい時から低い音が好きだ
・でかい楽器は偉そうに見えたので大きくなったらああいうのが弾きたい
・ニャポリタンマンドリンクラブなるところに入った
・お前は身体がでかいからこれだとマンドローネを渡された
・袋は自分で作った
・パート譜は先生が作っていたが、本番の日に初見で弾かされた
・ない時は勝手に自分で作った
・ニャポリタンの親分はアル中で弾けなくなった
・OSTに誘われたがヒゲを生やしたオヂサンたちの間で弾くのは怖くて二の足を踏んだ
・ニャポリタンではボンボンて済んだが今度はバリバリ弾かないといけない
・おまけにラウンドバックででかい
・この楽器はお尻がでかくて冷たいので風邪をひいてしまった。肺病になったかとおもた
・とにかく冷たいのでお腹にネルの布をまいた
等、どこから突っ込んでいいのかという事が書いてあります。
文章がバツグンに巧いのでぜひ原文を読んでみてください。
1906年生まれなのでまだ32歳の時の文章です。
とまあここまでだと普通のおもろいオッサン止まりなのですが、こんな真面目な事も書いています。
2.バツグンの文才
元来ジアタマもよく、文才もあり、ユーモアをあわせもち、流されず自身を貫ける人で武井にも可愛がられたのだと思います。そうでなくては武井が前述の文書をマ・ギ研に載せるとは思えません。
武井を回想する文(アルモニア 昭和34年 別冊)の中で、武井の没後10周年の特集で
・知ったかぶりのハッタリ屋で付け焼き刃
と懐かしんでいます(笑)。これまた実に引き込まれる文章です。
(この号には武井のお嬢さん足立直子さんの父の思い出も載っており興味深い内容となっています)
難しいと誰もが思っている武井にずけずけとものをいう人はあまりいなかったのかもしれませんが、そういうところも可愛がられたポインヨではないかと思います。
さてそんな高田三九三、面白い名前だと思っていたら明治39年生まれの三男なので三九三と名付けられたそうです。両親もかなりの洒落ものだったのでしょう。
3.高田三九三の正体
全日本児童音楽協会会長
プロフィールがちゃんとマンドローネ奏者になっててニクい
東京外語大を出られ、日本交通公社や大使館勤務などを経て作詞家に。
なんと、今でも歌われている「メリーさんの羊」や「ロンドン橋」「ジングルベル」「きらきら星」の訳 をされた方でした!!!
おまけに『「君が代」と世界の国歌』なんて本も出してたりしてます。
2001年に没した393さん、その後もOSTで活躍され平成に入っても弾いておられました。まさに「お腹の冷えと肺病の恐怖と戦いながら60年」
この方こそ、マンドローネ界の真のレジェンドではないでしょうか?
という訳でクリスマスまであと数日。
皆さんメリークリスマス!!
12/21追記 昨日石村隆行先生にM.マチョッキの「麦祭」の邦訳をしたのも高田三九三ですよと教えていただきましたので付記しておきます。
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