映画大好き❣️おばさんの独り言番外編 志村けんさんに…
志村けんさんが亡くなった…
国民に愛されるコメディアンとしては萩本欽一氏に匹敵する、或いはもっと愛された人だと思う。年表によると1968年にドリフターズの付き人になり1974年にメンバー入りとなっている。確かメンバー入りする前1年近くは「見習い」として全員集合にチラッと出ていた。
「見習い」になる以前、2年程「マックボンボン」というコンビで若手芸人としてかなり評価されて、人気が出始めTVなどの仕事が軌道に乗り始めた矢先に相方が失踪してしまい、1人残された志村けんさんはドリフターズの付き人に戻ったが、その才能に目を付けたいかりや長介さんは、「加藤茶と絡ませるとウケそうだ」と考え、メンバー入りさせるステップとして「見習い」扱いとしたそうだ。
「マックボンボン」について覚えている方は少ないと思う。 私は物心がついたくらいの頃だったが、かなりはっきり覚えている。動きが軽やかで台詞の意外性と言い回しの面白い人だと思った。 つまり、当時から志村けんさんの芸風はあまり変わっていない訳で、その当時はかなり新鮮な笑いだったと思うし、そういう意味ではドリフターズのメンバーだった時期は少し窮屈そうだった…
いかりや長介さんが亡くなり、ドリフターズとしての活動より個人の活動になってからは、笑い頃の「可笑しさ」に安定感が加わって子供からもお年寄りからも親しまれた。
若い頃を語る事も多くなったが、何故か「マックボンボン」時代の話はある時期から全くしなくなってしまい、無かった事になった感じ… きっとあまり良い思い出じゃないんだろうなぁ😢
国民的大スターになり誰からも親しまれ、仲間との付き合いを大事にしていたと聞いている。 自分が見込んだ相手には援助を惜しまず、困っている仲間にはそっと救いの手を差し伸べ、それを吹聴することを嫌った…
あれだけ人を笑わせる事に拘るのに、実は照れ屋で人見知りな部分も有ってトーク番組が苦手だったというのも面白い。人は完璧じゃないって本当だね… 半世紀以上を働き続け、人気もまだまだ続いていてこの訃報に涙する人は多い。 まさかこんなに早く逝ってしまうなんて、誰も思いもしなかったよね…
病院で苦しみの中、何を思っていただろうか? 今はただ、「お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」としか掛ける言葉は思い浮かばない…
今まで楽しい笑いをありがとうございました‼️ ご冥福をお祈り致します…