#4 中島ヒロキという人間②(小学校編)
今週は「中島ヒロキという人間」を知っていただく、第2弾です!
何ついて書こうかなと考えているときに、事務所の目の前の小学校で遊んでる子供たちを見て、自分の小学校時代を思い出したので、語っていこうかなと思います。
僕は小学校時代、千葉県山武郡九十九里町という町で育ちました。 (生まれも多分、九十九里) 九十九里と言えば、多くの方がイメージされるスポットがあります。 せーの、、、、海!!!! 夏はサーファーや海釣り、海水浴客が来て、まぁまぁ有名なところです。 夏のシーズンは活気がありますが、ゆうてもめちゃくちゃ田舎です。 だって駅がないんです。車で20分くらいかけて隣町にある駅が最寄り駅でした。町に小学校が3つしかなく、そこの片貝小学校というところに通っていました。
あー懐かしい(笑)
社会に出て出身地を聞かれることもあり、多くの方が「九十九里出身ってことはサーフィンやるの?」とよく聞かれますが、サーフィンはできないし、なんなら泳げもしません(笑)それこそ小学校高学年の時のプールの授業中、先生に「中島、泳いでみろ」と言われ、クラス全員の前で僕一人で泳がされたことがありました。もがきながら数メートルなんとか泳いで顔を水面に出し、先生が言った一言が「皆、これが悪い例だ。こんな泳ぎ方はしないように」 ひどくないですか(笑) もー、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかったです。。。 顔を真っ赤にしてプールサイドでいじけてたのを今でも覚えています(笑)
泳ぎにしてもそうですが、あまりスポーツも(勉強も)得意なほうではありませんでした。父が熱狂的なジャイアンツファンであったこともあり、野球を習わされたり、これまた父の趣味でゴルフスクールや空手。友達の勧めでサッカー部にも入部したこともありましたが、どれも中途半端で、芽が出る気配もなかったです(´;ω;`)
だけど! 唯一!足だけは速かったんです!(・`д・´) 毎年冬に開かれる長距離マラソンでは6年間ずっと銀メダル(2位)でした! いや、銀メダルかい!金メダルじゃないんかい!(ツッコミ) そうなんです(-.-) 金メダルを獲るは子はいつも同じ子で僕の親友でもありました。 長距離マラソンだけではく、運動会や陸上大会でも、アンカーを任せられたり、走ることでは、一目置かれていました(*^^*) 余談ですが、僕は男3人兄弟なんですが、兄弟皆、足は速かったです! 兄も弟もマラソンではメダル獲得は当たり前で、地元では中島兄弟はちょっと有名でした(自慢)
とうのも、僕は身体が小さく、すばしっこかったんですよね(笑) 小学校6年間は、もう一人の子と前習えでどっちが先頭に立つか競ってましたねw 身体が小さいこともあって、よく「カワイイ」と言われていました。 同じ学年の男の子からも女の子からも学年が上の子からも。 昼休みどっちのチームと一緒に遊ぶかで僕を取り合ったり、男友達とかくれんぼをしてる時に、ひとつのドラム缶に一緒に隠れようといわれ、その中で、チュー(口)をされたこともありましたw 下校方向が女の子が多かったので、放課後は女の子5.6人と僕1人で、女の子友達の家で遊んで、〇〇ごっこみたいな遊びをよくしてた記憶があります// あ、決してモテていたわけではありません(笑)借りてきたネコのように言われるがまま役を担っていただけです^^; それも恥かしい話ですが、そもそもすごい恥ずかしがり屋で、目立つことが苦手でしたし、自分の意見を発言するようなことなんてもっての外で、いつも誰かの陰に隠れているような子供でした。 その頃すごい好きだったのが、「ドラゴンボール」でした。アニメもゲームもフィギュアもパズルもシールもグッズ集めるが好きでした。マジでかめはめ波出せないか、練習してましたよwww 誰かの陰に隠れているような人間じゃなくて、孫悟空のような強くて人から好かれるような男になりたいと思って、ボーイスカウトにも入ったこともあったかな。すぐ辞めたけど(笑) それでも、まあ、何するのも楽しくて毎日がキラキラしていましたね(*^_^*)
そんな小学校生活を送っていたのですが、僕が6年生になったある日のこと、父の事業が失敗し、自宅に怖い人達が夜な夜な嫌がらせをしにくようになりました。窓ガラスに石を投げられたり、庭を荒らされたり、大きな声で「金返せや!」等、恐ろしくて兄弟たちと震えながら浴槽に隠れていたことを覚えています。数カ月前から父は家に帰ってくることが少なくなっており、怖い人達が来るといつも対応していたのは母でした。 小学生の高学年ともなると、それがどんな状況かっていうのは何となく解っていました。それまでの生活が裕福だったかとというと全くそんなこともなかったのですが、以前にも増して、貧しい思いをしていた記憶があります。僕ら兄弟が、寝る時間になると、母は仕事に出ていました。僕はそれがとても寂しくて、2階の寝室から出かける母の車を見つめ、涙を拭いていました。そこで「親に心配はかけられない」と幼心にして誓いました。そんな母の努力があってか、小学校は無事卒業でき、地元の中学校に進学することができました。
はい、ということで今回はこの辺で!
「中島ヒロキという人間(中学校編)」乞うご期待!!