人生プラスマイナスゼロ、人生トントン説みたいな言葉は呪い
人生トントン説。人生プラスマイナスゼロ。
いいことも、悪いことも、全部トントン。人生が終わるころには、プラスマイナスゼロになると言う。
いや、これ、呪いの言葉だろ。
慰めの言葉としても、無責任すぎる。ネガティブを否定する言葉としても、お粗末だ。
屁理屈っぽくなるが、虐待死した子供に対して、人生トントンと言えるのか。
虐待も、捉え方次第で、自業自得や愛のムチになる。そんな言い方をする奴がいれば、吐き気すらしてくるね、私は。
人生なんて、推し量れるものじゃない。
確かに、捉え方次第で、ある程度は変わる。
でも、それでも限度はある。
極端な話だよ?貧乏家庭で虐待されて育って、大学も行けず、まともな就職先もなく、ブラック企業で事故に巻き込まれて労災死した人がいる。
こういう人に対して、「捉え方次第で、お前の人生には、いっぱい幸せがあった!トントンだ!」とか、ぬけぬけと言えるのか。私なら言えない。
この先の人生、何が待ち構えているかなんて、誰にもわからない。
想像を絶する絶望が訪れて、その絶望を前に「限界を知れて超幸せ!」とか言う奴がいたら、俺は正気を疑うね。
「人生トントン!いつかいい事があるさ!」とか、「お前の捉え方の問題だ」とか。
そういうのは、言われた側にとっては、呪いの言葉にもなり得る。
何一つ良い事はなく、運命のいじめに遭う人もいる。
これまでも、これから先も、すべて谷底でうめくだけの人生も、無いとは言えない。
全ては、神様の裁量一つ。不幸な人が、一生不幸とも限らないけど、幸せになれるとも限らない。
「不幸は経験値になる」とは言うが、経験を貯めて、それが何になるというのか。
経験も、不幸も、糧にしなければ意味はない。そして、必ずしも糧になるものばかりでもない。むしろ、糧にならない不幸の方が、多い。
周囲を見渡すと、そんなことを、考えてしまう。死んだ人含めてね。
まあ、そういう人を見て、唱える奴らは「捉え方次第」と言うのだろう。自己責任論。死ぬほど嫌いだ。
人生トントン説は、呪いの言葉だ。人にぶつけていいものでは、ない。
無責任に人に説くのと、不運を自己責任に転換しようとするのと、いったい何の違いがあるのか。
意識の問題で、人生は変わってくる。これは、ある程度までは同意できる。
でも、「すべては捉え方次第」というのは、あまりに頭がクルクルハッピーすぎやしないか?
人生、どうなるかなんて、神様の裁量次第だ。神様に気に入られなければ、一生地面に這いつくばって、生きることになる。
人生プラスマイナスゼロを説いている人は、そのことが幸せであると、自覚すべきだ。
その上で、人にぶつけたいなら、勝手にすればいい。
でも、トントンどころか、地獄でしか生きられない人のことも、忘れてはならない。
そういう人に、人生トントン説なんて、通用しないのだから。