隣の芝は青くない
19時頃に、やっとその日の2食目にありつけるみたいな仕事の日は、いつもに以上にカップルが目に入ったりする。
親子連れが楽しそうにお出かけをしている姿なんて、眩しすぎて目が潰れそうになる。
結婚どころかもうお付き合いも諦めている干物なので、普段はあまり気にならないのに、何故か疲れているとそういったものが印象に残ります。
マルイのレストラン街で『何を食べよう』なんて嬉しそうに恋人と身を寄せ合う姿を、ただお腹を満たすためだけに一人仕事の合間に来ている私はぼんやりと眺めます。
カップルの片方を自分に置き換えてみるも、転生レベルで記憶が遠く、ピンと来ず。
夜中に仕事から帰りながら、牛丼屋やコンビニに、サンダルスッピンで入って行くカップルの背中を見送るのです。
そう、諦めてはいるけど羨ましい。
私に限らず人間の性なんですかね。隣の芝は青いなんて、先人はうまいことを言ったものです。
私だって気を遣わない恋人となんでもない日々を過ごしたい。
クマやしみだらけのスッピンを晒して、ぶよぶよの下っ腹も晒して、それでもこれ美味しいねって言いながら食事を共にする、そんな人が欲しい。
お互い居心地良く過ごせる、人生のパートナーが欲しい。老後の不安を2人で乗り越えたい。
でも私は、たぶんこれからも一人で生きていくのだと思います。
学生時代の友達はほとんど疎遠になり、いまだに付き合いのある友人は、単身者ばかり。
既婚者や子供を持つ友達とは生活の基準が違うからか、会っていても共通の話題がなくなっていきました。
20代ぐらいまではそれでも会っていたけど、子育ての話が会話のほとんどを占めているその集まりには、なんとなくフェードアウトするようになり…。
嫌いになったわけじゃないんだけどね。
そんなわけで、私が会う既婚者の皆さまは、仕事先で会う人たちがほとんどです。
プライベートの話をたくさんするわけではないけど、たまにそんな機会があります。
がっつりプライベートの話を数時間する友達(…いや元友達か?)とは違い、そこそこ距離感が遠く、素直に話ができるのも良い。
その中の1人で、同年代で数人の子供を育てる主婦がいます。
パートとしてがむしゃらに働く彼女は、昔からよく同居している姑の愚痴をこぼしていました。
他人である上の世代と暮らすのはさぞ窮屈だろうなとは思っていましたが、先日よくよく話を聞くと、そんな次元ではなかった。
姑のモラハラの嵐。とことん彼女のことを追い詰めるモンスター。
とにかく仕事しろと嫁を働きに出させ、彼女の稼いだお金は全て搾取し、母親が仕事に出ている間に、孫に母親の悪口を言い続けるご老人。
旦那が救済するわけでもなく、なんだったら自分の母親と一緒にいびり倒す鬼親子。
想像を絶するエピソードの数々に、さすがに凍りつきました。
私が知っている姑の嫁いじめの次元ではない。
コンビニに売っている背表紙2センチぐらいの、謎の短編読切漫画に入ってそうなやつの話だわ。
訴訟して金ふんだくって離婚しろ案件に、現実にこんなことあるんだなと、かける言葉を失いました。
でもその人には愛する子供たちがいるのです。
母親を愛する最愛の存在。母親のことをいつも心配してくれる幼い存在。
そんな子供を、彼女は人質に取られていると言っても過言ではないのです。
私は独り身なので、何かあったら最悪身一つで逃げ出せます。
色々な解決すべき問題や心の負担はあるでしょうが、彼女にとっては鼻で笑ってしまうレベルのものでしょう。
愛する夫との結婚だったはずが、こんな生き地獄となり得るのか…
姑や旦那という家族からこんな扱いを受け、人間としての尊厳を滅多刺しにしてくる状況が幸せなわけがない。
自分を大切にしろなんてよく聞くし、簡単そうなそれができなくて人は苦しんだりするけれど、環境がそうさせないことがあるのだと痛感しました。
人生を一緒に歩んでいくと誓い合ったパートナーと生きていくって、結局どういうことなんだろう。
こういうリスクもあるっていうことなのかもしれないけど、それにしたって酷すぎる。
隣の芝生が青く見えるのは、私がカラーサングラスをかけているだけなのかもしれない。
皆苦しみながら、それでも生きているのだろう。
それにしても、この姑は人間として壊れているので、一回殴った方がいい。
昔のテレビみたいに、回線が復活するかもしれないし。