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日記|風体と文体の様態


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古書店に行く。フーコー『狂気の歴史』をなんの気なしに手に取ると、外装のフィルムが相当劣化していたみたいでパリパリと割れてしまった。
重大な破損を発生させた訳ではない。が、書店員に
「外装破れちゃったっス…ィや買いませんけれども」と申告する勇気もないので買った。

いつか挑戦する本の一つではあった。まあいいか、と思いながら、同じように浅薄な理由で購入した『存在と時間』から目を背ける。


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サイゼに食べたいものがあって、行けなかないけどゆっくりできないし気が乗らない時間 午後九時半



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ファッションに少し興味を持つようになった。
しかし、ブルアカと文ストとブラッドボーンの3Bが自分が思う「いい感じのコーデ像」の形成を多大に担っているので、自然と想像する着てみたい服装がそれらのイメージに寄る。

好きなコーデの像が固まっているのはおそらく良いことで、ファッションを前向きに捉えている自分も悪い気はしない。問題なのは、それが似合うようなプロポーションを持っていないこと。



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何か文章を書く時に、もっっの凄く神経質になって書き終えるのが遅くなる。
周辺の人達はあんまり気にしていないような部分も自分では気になってしまう。
以下は、その神経質の諸相である。

第一に、改行について。
できる限り、一行の最後から改行する位置には気を使っている。日記で実践しているように、なるべく文節が行を跨がないように文章を書いている。
どうしても文節での収まりの調整が難しい場合は、単語の途中で改行されることだけは防ぐ。

また、ある程度行が積み上がってきたら、空白の行を挟むことで行の連なりをリセットする。三行以上六行以下の範囲でやるとちょうどいい。
上記の範囲で文章の段落を成立させるのが理想的であるが、色々と補足・説明が必要で段落が長くなる場合、何かし良いところで切って空白を挟まないで改行する。その時、文章の塊を遠くから見たときにデカい四角形になっていないようにする。

第二に、使用する単語について。
単語の意味に関してはすごく敏感になる。
基本的に辞書が保証する現状で正確な意味に沿う。
「確信犯」「役不足」など、読者によって意味判断が大きく二分され、また、正しい意味とされるものが「ただ単に前からそう使われていた」というだけに過ぎない単語はそもそも使用を控える。

慣用句、ことわざなどは多用しない。
ダサくなるので。


自分の美的感覚が引き起こすものなので、客観的にこの配慮が正しいか、という事を想定していない。
最初の方に書いた改行についての意識は多分僕しか持っていないだろう。


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良いユーモアのアイデアを思いつく。だが忘れた。

安易なヘーゲル主義者のアニマル浜口
「時代だ!時代だ!時代だ!」


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本の感想文を今後書いてみたい。
ただ、分析のようなものにしかならない気がする。まあ別にいいや。自己が満たされるならそれで。
もう少しで読み終わる、アリストテレス『詩学』にしようかな。でもあれ明快な文章だから書く意義はないと思う。どーしよ。




【漠然とした面々】

 




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