見出し画像

パッチワークを教えて

私は15年間、パッチワーク講師を生業にしてきた。その中での苦労話や財産になった友人の話等を書いてみたい。

2000年にそれまで作り貯めていた作品を小さな喫茶店で展示させて頂いた。
それをきっかけに教える事で食べて行こうと思い立つ。

人に使われて動くのがどうも苦手な 私みたいな人は起業するしか無いようだ。
自分の腕が未熟であるにも拘わらず とにかく踏み出してしまった。
思い付く あらゆる方法で 生徒さんを集める事に集中した。

その街に一番古くからあるデパートの 展示会場を教室として使わせて貰えないか交渉してみたり PTAのお母さん達を誘って 公民館で教えたり、仕事をしている方々には 夜、家に来て貰ったり と試行錯誤しながら結局、自分が必要な 材料を運んで教える『出張 スタイル』に落ち着いた。

公民館が4ヶ所とデパートの展示会場1カ所で入れ替わりはあったものの、常時30人位を教えていた。

私より年上の方が多く60歳以上の方が殆どだった。
若いお母さんに来てもらいたかったが 共稼ぎと子育てで時間の余裕が無いようだった。
時間とお金に余裕のある方が多いのは確かだ。

介護士や学校の先生を退職された方々や独り暮らしの未亡人 …かと思えば、大家族の農家の御隠居さん、親子で来られた方 中には40代のお母さんも数人。
展示会をキッカケに遠方から通って下さる方もいた 。

中でも記憶に残っているのは 生徒さんの中で一番年上の 当時78歳のお祖母さんだ。
10年くらい 熱心に通って下さり年々上達していったが持病の糖尿病が悪化して 目がかすみ 2回手術を受けられた。
それでも 気が紛れるし 皆んなに会いたいからと言って 一度も休まなかった。
他の生徒さん達の励みにもなっていた存在だった。

もう一人は最初の公民館活動からずーっと15年間 通って下さったHさん。
リュウマチが進行して手の指が変形していて悪天候の日は起き上がれない位 痛む。
と仰っていたのに 動かす方が固まらなくて良いと リハビリ代わりに通って下さった。彼女に会う度に勇気をもらっていた。

あー こうして改めて思い返してみると 色んな人の人生に触れながら、私の方が皆んなから背中を押してもらって 勇気も貰って やって来れたんだなー。
改めて 感謝の気持ちでいっぱい❣️

世間話をしながら 手を動かして 和やかな時間を共有する場所は 提供出来たのかもしれないな…
厳しい指導は出来なかったけど、まぁいっかぁ。

苦労話はまた明日。

#コラム #小説 #パッチワーク #体験記

いいなと思ったら応援しよう!

ダラリ・ラリ@キルト作家
サポートしてくださった投げ銭は、制作費用に充てさせていただきます◎