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パッチワークを教えて〜教えるって難しい〜

とにかく エイ、ヤー!と始めてしまったので 何もかもが手探り状態だった。

時には 生徒さんから助言を頂いたり、クレームから気付いたり、1クラスの生徒さんが 等しく満足して学んで貰える様に 心を砕いていた。

推しの強い方、気の弱い物静かな方、遠慮がちな方、お喋りに夢中で手が疎かになる方、気配り上手で全体を私以上にまとめてくれる方etc..

色んなタイプの生徒さん達に最初は戸惑いながらも、年月を重ねる内に何とか 教室の程を成していった。
私が絶対者では無く、足りない所を生徒さん達が埋めてくれていた。

最初は 予め キットを組んでいって 全員 同じ物を作って貰っていたが、私自身が 人と同じ物を持ちたくないと思う方なので 段々と皆んなの要望を聴く内に それぞれが作りたい物を作る 形態に変わっていった。

これには 人と 技量の差を比較されなくて済む というメリットがあった。
それぞれが自分の完成作品に満足する事が出来たし周りがその努力を素直に評価していた。

他の人の作品から刺激を受けて 自らのモチベーションを上げていくという相乗効果もあったように思う。

2年に1回の展示会の時にその効果は発揮された。

全員に同じ物を教える教室の展示会では、同じ様な作品が並ぶので観る側としてはつまらないと思うが、私達のそれは個性豊かで見応えがあったと自負している。
生徒さん達も自覚している様だった。

生徒さん達と一緒に自分も徐々に成長していくのを感じていた。

しかし、このやり方は大きな負担となって、私にのし掛かってきた。
10人10色の作品の準備を一人でしなければ 成らなかったから…
構成・配色・材料調達・値付けetc...
沢山の時間を必要とした。

その上に近くの直売所で小物を作って販売もしていたし、技術を向上させる為に習いに行っていた教室の課題も月1で仕上げていたから…

ホント休む暇も無かったなぁ…

全部一人で抱え込まずに スタッフを育てる必要があったと今は思う。

それには 段階別にクラス分けして 初級は課題をこなして貰い徐々に個別の作品に挑み 自分の個性を見つけて行く、という過程がいいのか?

でも 私の生徒さんは年配の方が多くて今から講師に成ろうとか、公募展に出品して賞を取りたい等という野心を持った方は皆無だった。

厳しい指導を求める方は、他の教室を選んだろうし、皆んなと手を動かしながら和気あいあいと楽しい時間を共有したい!という人たちが最終的に残って下さり、私の教室の色が確立していった。

それぞれがマイペースで自分なりのパッチワークの楽しみ方を習得して生活に潤いをもたらしている。
きっと 今もチクチクやってるのでは…

最終的には 自分の作品に掛ける時間がもっと欲しくなり、教える事に情熱を持てなくなってしまい、教室を全て 畳んでしまったが、15年でも 集まりたい場所を提供出来た事を 少しは褒めてやろうかな。

パッチワークの楽しさが 少しは 伝わったかも知れない。

方針は私の心に忠実だったが、やり方にはもう一つ工夫が必要だったようだ。

基本、自己中の私が人に寄り添い過ぎて、自分を見失ったという事の様だ!

教えることは、難しい。しかし、今後も教えていきたいと思っている私がいる。

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ダラリ・ラリ@キルト作家
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