花火と猫かぶり娘
うだるような猛暑の日。マンションの窓からバルコニーを確認する1人と1匹。1人は念入りに掃除をして、この日のために買った椅子とテーブルをセットしていた。
もう一度スマホを確認して、相手の情報をじっくり読みなおす。
「ナナさん。27歳だから僕より3つ下。猫が好き。食べ物の好き嫌いはないし、お酒も好き。結婚願望は強い。真面目な人が好き。健康な人が良い。よし。」
ブツブツ言いながら歩くサトルの足元には、猫がまとわりついている。元々実家で飼っていたが、親が老人ホームに入るのを機にサトルが引き取った。
「結婚はしたいけど、お前も絶対に手放したくないから、気に入られるように努力するんだぞ」
ニャーとも鳴かずに首をフイッと横へ向け、空き部屋に歩いていく。
真面目な婚活サイトに登録して、6か月。5人の女性とデートしたが、3回以上のデートは続かなかった。口コミサイトを調べて、美味しいお店に連れて行っても、どうしたら恋人に発展させられるのかがわからない。
ナナさんは、そんな僕と5回もデートを繰り返している。何を聞いてもニコッと頷き、僕が会話に詰まると、僕の好きそうな話題を振ってくれる。
「親のために早く結婚したいから、サトルさんが良ければまたデートしましょう」
と、デート終わりに連絡をくれる。真面目そうな優しい女性だから、僕がリードして、なんとしても恋人関係になりたい!
一応寝室を確認してファブリーズを吹きかける。万が一に備えてお風呂場に少し良いシャンプーも設置。わざとらしくない程度に自分が着られる大きさの部屋着まで、新品で購入した。相手は27歳、自分も30歳、お互いの目的は結婚なんだから、そういう事が起きてもおかしくはない。
真っ白なワンピースのナナさんを家に迎えると、おみやげの赤ワインを空けて乾杯した。
「わっ!猫ちゃん可愛いですね。ふふふ。どうして名前つけないんですか?」
「どうせ僕とネコしか居ないんで、猫はネコって呼んでるんです」
テラスで猫と遊びだした彼女に、僕はドキドキして大して会話もできない。
大きな花火が打ちあがった。音に驚いた猫が飛び跳ねて部屋に戻ってしまい、これで本当に2人きりだ。
当たり障りのない会話を繰り返し、30分がすぎるとフィナーレに近づいたのがわかるほど大きな花火が連続して上がる。
もうすぐ花火が終わる。一緒に過ごしているのは良いが、この先どうしたら発展ができるのか分からない。
やる事はわかっていても、何をどうしたら……ここで告白をすればいいのか?結婚を前提にお付き合いをしてくださいって言えばいいのか?
とりあえず家の場所を教えることはできたし、次はまた、次回のデートで考えればいいか。
「あの……お酒も飲んでるし、終電もなくなるだろうし、このままだと……タクシー呼びますか?」
花火を見上げる彼女にごもごもと聞いてみる。
「帰れってことですか?」
花火から目を離さずに、それでもハッキリと言った。
「ごめんなさい。あの……」
サトルの言葉は続かず、頭の中で正解を求めるために何度も何度もシミュレーションをするが大きな花火の音に邪魔されてしまう。
「サトルさん、もしかして経験ないんですか?だから収入もそこそこあって、顔も悪いわけじゃないのに恋人ができないんですか?」
今度はこちらをジッと見つめたナナさんが、早口で言った。
こくんとうなづく。
「私ね、別に男に困ってなかったんです。ほら、見た目だって別に悪くないでしょ?でも今の職場じゃ出会いはゼロだし、合コンに行けば出会えるけど、浮気しそうな男ばっかりだし。婚活サイトに登録したのは、今まであんまり女と付き合った事のない、私だけを大切にしてくれる男を探したかったからなの」
驚いた。真面目で物静かで、なにを聞いてもニコッとしている女性だと思っていたナナさんが、ものすごく喋り出した。
「酔ったから?とでも思ってます?違いますよ。なーんか疲れちゃって。サトルさんから家に誘ったんですよ?本当に花火と猫ちゃんみるためだけに家に来ると思います?出会ってその日にホテル誘ってくる男もいるのに、今日もうデート何回目ですか?しかも、今もまた帰そうとしましたよね。清廉潔白な女性を求めてるなら、私はもう時間の無駄だから会わないようにします。ヒクかもしれないけど、欲求不満なんですよ。何度も焦らされて無理です!」
言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。恋愛経験の乏しい自分は、知識だけは検索して深めたつもりだったが女性側から求められたときにどうして良いかわからない。
気づけば花火は上がらなくなり、祭りが終わったようだ。僕だって、できることなら今すぐ、押し倒していいのなら、花火なんかより、そうしたいに決まっている。でも、やり方はわかっていても、そこまでの道筋がわからないんだ。
まず、ここからベッドまで何をどうすれば2人で行ける選択肢が生まれるのか、検索したらわかるのか?
ガタン!
『ニャー』
「あ……」
花火の音が終わり、戻ってきた猫がワインのボトルを倒してしまった。そしてナナさんの白いワンピースが赤く染まる。半分ほど流れ出たワインを慌てて持ち上げた拍子に、自分の服にもビシャビシャとかかる。
「あの、シャワー突きあたって右側です。どうぞ」
こぼれたワインを拭きとり、洗濯機へ向かうと扉の向こうに透けたカラダが見えた。この扉を開ける勇気は僕には無い。きっと僕は、一生独身だ。情けない。
『ニャー!』
後をついてきた猫が威嚇するように扉の前で鳴く。やめてくれ。もう本当に……。
「ナナさん、タオルと新品の服がたまたまあったんで着てください。置いておきます」
なるべく顔を背むけて声をかけたら、
ガチャ。透けた扉が少し開き、手を引っ張られた。
「フフッ。ここなら猫ちゃんは邪魔できませんよね。サトルさん、このシャンプーやトリートメント、新品じゃないですか。私が入るかもって用意してくれたんじゃないですか」
どこを見ていいかわからず、天井をじっとみつめているとあっという間に服を脱がされてしまった。
「消極的な男性が伴侶に選ぶなら、多分相手は積極的じゃないとだめですよ。私みたいな……」
扉の向こうで『ウー』と短い声をあげ、猫は自分の部屋に戻ってしまった。