アイドルという世界にこそクリエイティブがあるという逆説の終わりに~クロスノエシスについて~
こういう時、気分でものを書いてもろくなことにはならないと思う。
だから僕は、急いでTwitterのアプリをアンインストールした。
多分変なことや大言壮語やその場の気分で不快な言葉をまき散らしてしまうかもしれない。そして、それに苦しむのは僕だけではない、多分このブログはきっとメンバーや知ってるオタクに読まれるし、病んでるオタクの怪文章を見に来た野次馬もいると思う。
が、とにかくなんらかの形で発散しないと収まらないところもあるので、読まれていることを意識しながら、お気持ち表明をしようと思います。
丁度、昨日(2023/02/20)クロスノエシスのプロデューサーと雑談をした。
そこでは僕のオタク遍歴なんかの話をして、2016~2019のすごさの話なんかをした。
クロスノエシスのプロデューサーさんはそこに憧れた世代だとおっしゃられていたので、これからも第二世代としてアイドルの世界を広げる活動お願いします!なんてひどく残酷なことを言ってしまった。
また、今日も同じ事務所のアイドルグループのリリイベにクロスノエシスのTシャツを着て参加して、AMEBAさんの誕生日2.29って激レアですよね!みたいな話をした。
多分彼女たちも知っていたと思うので、自分は知らなかったとは言えかなり無神経だったと思わざるを得ない。
結局、某メンバーの列に並んでる最中に"お知らせ"を見てしまった僕は、そのまま呆然と列を離脱し、4枚ほど特典券を失うことになってしまったのは余談です(ここ笑ってください)
アイドルオタクになった経緯はたいしたことは無い、単に信用できる友人達が楽しいからと僕を連れていってくれた。それだけのことだ。
アイドルといえば青春の甘酸っぱさや淡い恋愛感情を歌ったりして、特典会を通した関係性を通して成長や変化し、そしてオタクはその変化や成長、時にグループ内序列の変化を見て、オタクは推した手応えを得る。(主にAKBスタイル)
そういった双方向性こそがアイドルであって歌なんて飾りでしょと思っていた。(そういう風潮を作ったのはだいたいおニャン子クラブが悪いと勝手に思っている)
そういう偏見をぶち壊してくれたのがhaupthalmonieというアイドルだった。そこで価値観は一気に変わった。アイドルがrape meとか歌っちゃうんだ!それが多分僕のアイドルファーストインパクトだった。
その後、フィロソフィーのダンスとmaison book girlにはまった。
あの頃のアイドルという宇宙の多様性がとてもよかった一方でほとんど長野を出ることがなかったあの時期をもっと楽しめば良かったと今でも思う。
アイドルという世界において歌は飾りだ(そういう風潮を作ったのはだいたいおニャン子クラブが悪いと勝手に思っている)。
飾りだからこそ、何もやっても許される。
そういうシステムハックがされ、多様性と新しい表現の素地としてアイドルという世界はあったのだと思う。
アイドルの世界はメジャー音楽シーン(そういうものはもう崩壊しているのだが)に対するゲリラ戦だと思った。
それは90年代のOVA作品群でもあるし、90年代終盤から0年代頭のエロゲー文化もそうだったと思う。
ちょっと可愛い女の子とのチェキを餌にライブに客を呼ぶ(僕が初めてmaison book girlに行くときは矢川葵って目茶苦茶可愛い子がいるよと教えられてて行ったのだから今思えば恥ずかしいものである) 、どんな音楽をやっても良いのだからそこでプロデューサーが趣味のように注ぎ込んだ音楽をやってオタクの度肝を抜く。
後は口コミで「アイドルだけどすごい音楽をやっている」と広がれば勝ちだ。
言ってしまえば地下アイドルという曲がしょぼいと思われる世界(だいたいおニャン子クラブが悪いと勝手に思っている)にこそ自由で新しい表現の場なりうる。
こうした逆説を証明し続けたのがフィロソフィーのダンス、maison book girl、sora tob sakana、ヤなことそっとミュート達だったのだと思う。
それが僕が知ってる2016ぐらいから2019年ぐらいの話だ。
コロナを経て上記のアイドルはほとんど終わるか、形態を大きく変えての活動となってしまった。
そして新しいアイドルもたくさん生まれた。
そんなに興味があるわけではないのだが、あの頃よりみんな可愛いし、歌も上手いし曲も悪くないと思う。
その一方で別に面白くはないなと思っているのも事実だ。
well madeとでも表現すればいいだろうか、良いものは増えた。でもすごいものや表現への志の高さを感じられるグループは(いくつか可能性は感じつつも)見られなくなった。
そんな中で僕がアイドルの世界を拡張する可能性があると感じていたのがクロスノエシスだった。
独自の強い世界観とそれに負けない表現力を出すために日々ステージパフォーマンスの向上のために身体を作り上げ、圧倒するものを作ろうとしていたのだと思う。そういう志の高さにも惹かれていたのだと思う。
ストリーミングサービスに配信されたインカーネイションを聴いたときの衝撃は忘れられない。
SF的想像力と生命誕生という壮大さに圧倒されたのは今にして思えば映画のような体験だったのだと思う。
その後順調にクロスノエシスのオタクとなり、クロスノエシスの現場に多く行くために収入を上げようと思って会社を辞めてフリーランスとなった。
そして、期間限定でマンスリーマンションを借りて東京にも出てきた(ここで東京に転居できなかったのは自分がそこまでのオタクだったからだと思う)
しかし、アイドルにとってステージは結局飾りだったのかもしれない。
その飾りの水準が一定以上になってきた昨今、すごいものやよくわからないものよりも声を出して汗をかいて濃厚な接触ができるアイドルを選んでしまうと言うのは当然のことかもしれなかった。
アイドルという場はなにをやっても許されるようなそういう自由な土壌ではなくなってしまったのかもしれないし、単に日本の経済が沈没する中でオタクの絶対量が増えないとか色々要因はあったと思う。
自分は常々AMEBAちゃんが僕の人生のラストアイドルだからと言ってきた、それはAMEBAさんがクロスノエシスの核だったから、クロスノエシスが好き=AMEBAさんがということだったと思う。
いや、本当は初めてチェキを撮ったときにそれとは別に感じたものがあったからというのもあるのだけど、それについてはまた別の機会にしたい。(恥ずかしいので生誕の後とかね)
ということで今日から5/20までは僕のアイドルオタクとしての最後の3ヶ月になると思う。
クロスノエシスという表現を作り上げ、アイドルの世界の表現を広げたアイドルがいることを、数多くいるオタクの1人として見届けようと思う。
その後はなるべく健康で元気に生きようと思う。