技術が発展してもきっとやってこない

タブレット端末からよりもPC環境からの方が広告が平和なように感じる。
前提から考えると、PCは高いので持てないという人も多いし、
お金を払える者は自分の視界を快適にできるということなのかもしれない。

広告を見させられること自体が、
お金を払わない事やお金を払えない事へのお仕置き装置になりがちな構造。

お金が少ない者をどのように広告に誘導して利益に変えるか…
「あなたが上手く行かない理由はこれですから、これさえあれば」などと
一発逆転を狙わせる(実際のところたぶん一発逆転は起きえない)だとか、
感情を揺さぶってやってカタルシスを起こさせるようにするだとか、
様々思いから目を逸らすことができるような時間潰しを提示するとか、
彼らの財布や時間(無料の代わりに広告を見てもらい収益にする)を、
それこそ灰色の男たちがごとく吸い取るのだろう。

私は広告が提供されるのならば自分に合ったものを見たいとは思う。
しかし個人毎に適合するような広告というのもまたコストのかかることで、
やはりそれよりもマス受けするようなものとか、
釣れたら一発高額みたいなものとか、
そういうものの方が多くなるのだろうな。

「技術の発展は情緒的な面では人を幸福にするのだろうか」などと思う。
PCがあるおかげで計算事あんどの処理は格段に楽だ。
こうやって文字を書き綴ることも全く苦にならない。
物質面では大いに助かっていることは確かなのだ。

さて、未来はどうなのでしょう、コンピューターさま。
まあ、人間が技術をどの様に善きように使えるか、なのでしょうけれども。

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