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ジョーカーはパンデミックする【ジョーカー フォリアドゥ】♯123



何で惹かれあったのか、何で歌うのか?

ジョーカー フォリ ア ドゥ  

2024年/アメリカ 

【ストーリー】


ゴッサムシティの恐怖の象徴となったアーサーは精神病院に収容される。孤独と絶望に包まれる中、同じく現実社会に不満を持った女性ハーレイと出会う。二人は心を通わせ、危険な方向へと進んでいく。

【解説というか、レヴューというか、】 


二人の狂気を意味する“フォリアドゥ”は精神医学用語だそう。二人の人間が互いの精神状態を共有し、妄想や異常な行動を共鳴し合う現象を指します。この言葉が象徴するように、ジョーカーとハーレイの二人が同じ狂気を分かち合い、互いを支えながらも社会から逸脱していく様子が描かれています。


なぜ笑うのか



前作『ジョーカー』では、社会に適応できずに孤立していく一人の男の苦悩が強調されていましたが、今回は同じような苦悩を抱えている相手といることで生じる「共犯的な狂気」が描かれています。彼らの関係性は美しくも悲惨で、共依存や破滅的な愛情がもたらす「痛み」がリアルに表現されています。

そこにミュージカル要素を取り入れキャラクターの心の闇をより鮮やかにジョーカーの世界観をさらに奥底まで掘り下げられいます。彼の狂気が他者に感染し拡大していく様子を見事に描いていました。

二人の登場人物が互いに破滅的な影響を与え合うことで、狂気の連鎖が引き起こす恐ろしさと哀しさが強調され、観る者に深い余韻を残します。

人はそれぞれ潜在的に大なり小なり悪を持っていて、不満を持った心の琴線に触れると二人から三人、三人から四人とウィルスみたいにジョーカーがジョーカーを産んでいくのです。そしてゴッザムはパンデミック(爆発)悪の感染拡大が起こってしまった。この映画はそういう作品だと思います。

笑うのは惨めさの裏返し。精神的な共鳴が悪を連鎖させる。心優しい気弱な、アーサーという最初の地雷を踏んだのは浅はかな偽善者たちではないのか。

法廷というステージ



SNSやメディア、人気YouTuberとその切抜きさん達やら何やかんや影響され易い私たちだから、闇案件の繋がりには用心しよう風邪予防みたいに、なんて思った。興収的に振るわなかったらしいけど、数年後にはカルト作として残り続けるのではないかと思います。

【シネマメモ】 



パート2だし、ガガ嬢に食われるかなと思いきやホアキン・フェニックスの演技力は相変わらず圧巻。闇がスクリーンを通して強く伝わってきます。

さすがの歌姫


またレディー・ガガが素晴らしい。ハーレイ・クインとえばマーゴット・ロビーの『スーサイドスクワッド』をイメージしてしまうのだけど、このコミカルなイメージを一新、シリアスで独自の狂気を持つキャラクターに仕上げられています。二人の化学反応は強烈。共鳴し合うと歌い、ジョーカーの世界に入り込む。その描き方としてミュージカルを使っています。彼らの愛憎入り混じる関係性にたいへん引き込まれました。傑作ぅー


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