わたしがFラン高から医学部へ進学できたワケ
はじめに
私はセンター試験受験組なので現在の受験制度について明るくありませんが、Fラン高校から医学部へ進学できた合格体験記みたいなものをネットの海に放出したいと思いnote記事を書いてみることにしました。文章を書くのが得意ではないので読みにくさについてはご容赦ください。個人を特定するのに繋がる情報は載せていませんが、今後具体的に書く必要が出てきた際には有料版で追加記載する可能性もあります。
自己紹介
年齢は20代前半、小中は公立、高校は私立に通い、一年浪人の末、現在は地方私立の医学部医学科に在籍しています。親戚家族に医療関係者はいません。高校卒業までは貧困家庭であったので塾に行ったり中学受験をしたりすることはできませんでしたが、そういったものに憧れは抱いていました。高校は地元の偏差値50代の高校へ給付型奨学金をもらって通っていました。昔から好奇心旺盛で、よく図書館で本を読んだり親に質問攻めしたりしていました。中学校では成績は10番くらい、高校では2番3番くらいでしたが宿題は嫌いで怠惰でした(今もです)。得意科目は数学・英語、苦手科目は国語です。
なぜ医学部を目指そうと思ったか
高校のOGさんが医学部へ再受験したからです。ただそれだけです。
小さい頃の夢は通訳とか研究者とか料理人とか色々なことを言っていたみたいですが、テレビで見る医療ドラマに出ているお医者さんに憧れはありました。上記の通り貧困家庭であり、今みたいにネットも自由に使える時代ではなかったため情報源も限られていました。医学部に行くには小さい頃から英才教育を受けていないといけないんだと信じ込んでいました。高校一年生の頃、高校のOGさんが医学部を再受験する予定で、A判定を取っているという話を聞いて、こんなFラン高校からでも医学部に行けるかもしれない!と思って受験を決意しました。
現役時
目標は地元の旧帝医学部に設定しました。
センター試験は79%しか取れず、どこに出願しようかと両親と相談しました。
第一志望校である国立医学部は足切りがほとんどないようなものだったので、そこに出願する予定でしたが高校の先生から願書が受理されず別の大学を受験する羽目になりました。今でも無念です。
なぜ願書を受け取ってもらえなかったのか?
高校で学力特待生としての奨学金をもらっていたこともあり、高校の合格実績に協力する必要がありました。現役時は模試でも医学部医学科はE判定しか取ったことがなく、先生や友人からは君が医学部に行けるはずがないと何度も言われていました。前期試験で受かる見込みがないところに出願するより、国立大の理学部や農学部などを受験し合格実績を作ってほしいと言われました。入学時に出願先について高校に従わなくてはならないという契約をした覚えはないので今思えば願書を受け取らない正当な理由ではないのですが断固として受け取ってもらえませんでした。
受けたところ
前期は結局偏差値ランキングで一番偏差値が低い医学部に出願しました。後期は地元から一番近い医学部に出願しました。私立の医学部は受験料が高く、払えなかったため一校も受験できませんでした。
結果、受験できず!!!
前期・後期ともに足切りされました。当然です。
自己紹介で記載した通り親戚家族に医療関係者はおらず、塾にも通っていなかったためかなりの情弱で、例年の足切りラインを知りませんでした。
現役時は医学部受験をすることができず、浪人に突入することとなりました。
浪人時
諸事情で貧困家庭から脱出することができました。実際これが一番医学部合格に大きな影響を与えたかもしれません。自分はかなり運が良いと思います。
浪人をどこでしようか両親と相談しました。どこの予備校に通うのか、それとも宅浪するのか。
環境を変えたいと思い私の希望で予備校に通わせてもらうことにしました。
3月には合格者不合格者どちらにも模試を一度でも受けたことのある予備校から浪人コースの案内が来ます。某予備校の模試では現役時たまたま高偏差値(すみません、あまり覚えていません…)を叩き出すことができたのでかなり入学料・授業料が全額免除されるハガキが届きました。3つくらい見学にいき、某大手の予備校が一番雰囲気があっていたのでそこに決めました。免除額は20万くらいだった記憶です。
浪人生活はかなり楽しかったです。周りには同じ志を持つ仲間がいて、予備校のスタッフは受験に有益な情報を惜しみなく与えてくれて、現役時とは全く違う環境でした。
受けたところ
前期は第一志望の旧帝大医学部、後期は現役時と同じ地元から近い医学部、私立は地元から一番近いところを一つだけ受けました。
現役時と違い願書は自分で出せます。
模試では第一志望校はC判定で受かるかどうか微妙でした。予備校のスタッフや両親と相談し志望校のレベルを下げることも考えましたが、どうしても行きたい大学であったことと、一浪目であったことからチャレンジすることに決めました。
防衛医科大学や他の医学部の推薦枠を受けるかかなり迷いましたが、合格実績ができてしまうと気持ちが緩んでしまうのではないかと思い受験しないことに決めました。
結果
センター83%、前期試験は受験できましたが不合格、後期試験は足切り、私立医学部合格でした。
勉強法や使った教材については別の記事で詳しく書きたいと思います。
医学部医学科合格を勝ち取ることはできましたが、国立に行きたかったため、もう一年浪人するかかなり迷いました。
しかし、浪人したところで志望校に合格する保障も今回受かった私立医学部にもう一度受かる保障もありません。受かったところに進学することに決めました。
受験を振り返って反省点
防衛医科大学校を受ければよかった
志望校以外の推薦枠に関しては、受かってしまうと第一志望校を受験することができなかったため、自己満足の世界ですが自分の選択に後悔はありません。防衛医科大学校は受ければよかったなと後悔しています。背水の陣で前期試験に臨みましたが、模試でA判定をとることより実際に合格実績がある方がかなり自信にもなるし自分のレベルも正確にわかります。
現役の時から予備校を利用すればよかった
貧困であったため予備校に通うことはできませんでしたが何らかの形で予備校を頼るべきであったと後悔しています。
情弱は医学部受験にとってかなり不利です。別で記事を書きましたが、受験校を選ぶ上でも情報は非常に大事です。受験偏差値だけでなく進級のしやすさも考慮して選んだ方が良いです。現役の時の私は浪人で減点される医学部があることすら知りませんでした。
なぜ医学部に受かったか
諦めが悪かったから
医学部受験を決意してから両親や高校の先生、友人に医学部受験を公言しました。
ほとんどの人が無理だと言い相手にしてくれませんでした。
それでも絶対合格したいという強い意志で毎日勉強しました。
現役時は勉強法すらわからなかったのでいろんな勉強法・さまざまな参考書を試しました。ひたすら試行錯誤して勉強する日々でした。
浪人時は勉強法も確立し暗中模索ではなくなったという意味で楽にはなりましたが、E判定を取ることがなくなり医学部合格が現実味を帯びてきてむしろ精神的に追い詰められました。不眠症になって精神科で薬を処方してもらったりもしました。
ただ、一度も諦めようと思ったことはなく、どんなに批判されても自分は合格するという強い意志を持っていたことが合格できた要因の一つであったと思います。
貧困家庭で無くなったから
受験するにも予備校に行くにもお金が必要です。
経済的に余裕ができたからというのは紛れもない事実です。
ただの運
合格できた医学部の試験問題はかなり自分と相性があっていたのだと思います。
実は前期試験の勉強ばかりしていて、合格した私立医学部の過去問は一年分しか解く時間がありませんでした。
また、純粋に運が良くて受かった側面もあると思います。ボーダーラインの人たちは年が違えば合否が違うとも言われます。日頃の行いに感謝したいと思います。
受験生へのアドバイス
情報戦に勝ちましょう。そして自分を信じましょう。
↓続きです。よかったら読んでみてください。